前聖を登り星ヶ山を巻く頼朝道
幕山・南郷山
(神奈川, 静岡)
2026年02月23日(月)
日帰り
伊豆箱根の見直しシリーズ第4段。
箱根の外輪山になる前聖岳・聖岳と星ヶ山に登ってきました。💪
この峰々は、箱根にして、一般ハイカーですら寄り付かない藪山。
しかし、この一帯は、「石橋山の合戦」で源頼朝が敗走し、起死回生を図ったエリア。
頼朝伝説が見え隠れする謎の多いエリアです。
この峰々の山行の見直しをしてみました。
見えてきた頼朝の脱出劇。
思い浮かんだ頼朝の逃走路「頼朝道」は...
石橋山より前聖岳の頂上を通過し、星ヶ山林道で土肥郷(現在の湯河原)に抜けた!?
(もちろん、頼朝の時代に林道はございませんが...😁)
頼朝とは関係ありませんが、星ヶ山の「寝耳に水の」別ルートも歩いてみました。
歩いて調べてたくさんのことを知れた山行。
考える山旅ができて、楽しかったです。
山行:2026.02.23
記入:2026.03.21
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(忘備記)石橋山合戦から房総に脱出までの流れ
8月23日: 頼朝軍300余騎が石橋山に布陣。三浦軍と組みして敵の大庭軍を挟み撃ちにする作戦だった。
同日夜:大庭軍3,000余騎が、暴風雨の中で正面から強襲。三浦軍が到着する前に先手を打つべきという梶原景時の案と言われる。伊東軍300余騎が頼朝軍の後方(真鶴側)を囲み、頼朝軍を逆に挟みうちにしてしまう。味方の三浦軍の到着は大雨で間に合わずに頼朝軍はすぐに敗退、従者6名で逃走。
8月24日: 椙山内堀口(現在の湯河原町鍛冶屋付近)に陣を構えて再び大庭軍と合戦。ここでも敗走し、土肥館(湯河原駅付近)に逃げる。直ちに土肥・椙山(すぎやま)方面に逃走。箱根権現の永実の導きで別当永実の屋敷(箱根神社)で泊。
8月25日: 箱根の屋敷に居ては襲われる可能性がでてきたので、土肥・椙山に戻る。しとどの窟や土肥の大杉で潜伏。このエリアの山伏の保護を受けたと思われる。このエリアには、伊豆権現と箱根権現を繋ぐ強いバイパスがあった。
8月28日: 小船で真鶴・岩の海岸から安房国へ脱出。
石橋山合戦から土肥郷(湯河原)までの逃走経路は不明。
堀口合戦から箱根権現(箱根神社)までの逃走経路も不明。
星ヶ山~白金山に、頼朝道と呼ばれる道がある。
箱根に抜ける時に歩かれたと考えられているけど、それは本当なの?