白屋岳 山路にて思ふ、回り道の恩寵
白屋岳
(奈良)
2025.06.28(土)
日帰り
白屋岳・焼山・ユキヤ峰・鎧山四座を周回。
六月も末、未明に集合し、我々は紀伊の山中に分け入らんとした。
目的は、白屋岳・焼山・ユキヤ峰・鎧山の四峰を縦走し、それぞれの頂をこの足にて踏破することであった。
予め、始点にはモペットを、終点には車を配し、移動の合理を計画していたのだが、不測の事態とはえてして、出発の直前に訪れるものである。モペットのバッテリーが完全に空となり、我々はやむなく、行程を周回15キロへと改めるに至った。
予定よりも35分遅れ、距離もおよそ5キロの増加を余儀なくされたが、そこに現れたのは皮肉ではなく、むしろ贈り物であった。
人知れぬ道脇に見つけた鹿の白骨。
青い湖面にひっそり佇む恐竜モニュメント。ダムの中に沈んだ廃校の二宮金次郎像。そして、陽を浴びてほのかに香るクルミの木の葉――
旅とは、予定通りに進むことのみが価値なのではない。むしろ、思いがけぬ寄り道にこそ、一期一会の風景は宿るのだと知る。
登山は、早くも急登から始まった。
800メートルもの標高差は、我々の身体から水分と意志を奪い去るかのようであった。息を整え、我々はあえて破線ルートを選んだ。容易な道ではない。繁茂する草木、無数の虫、迷いかけた道――しかし、それもまた山である。
白屋岳の頂に立てば、足元に鏡のごときダム湖が広がり、視線の先には大峯奥駈道が連なっていた。我がかつて歩いた稲村岳、大日岳、竜門岳…その尾根の名を胸に呼びながら、遠き記憶の中の自分と静かに対話する。
焼山への縦走は厳しく、ユキヤ峰への道は急な下降に心身を揺さぶった。鎧山の展望台より、彼方に見えたダイヤモンドトレイルは、あたかも過去の自分が歩いた光の路のようであった。
最後の道のり――大滝遊歩道とダム湖沿いの長い長い五キロを、ただ黙々と歩く。照りつける夏の陽光は容赦がなかったが、足を止めようとは思わなかった。
人はなぜ、山に登るのか。
それは、おそらく「登る」という行為そのものが、生きることそのものの象徴だからであろう。
予定通りに進まずとも、想定外の出来事に苛まれても、足を一歩前に出すという、そのことにこそ意味がある。
たとえば今日のような一日もまた、回り道の末に手にした、かけがえのない贈り物であった。
中華料理店、豪華お昼定食、15時まで。津風呂湖の標示近く、リーズナブルで美味しかった。嵐のポスター、思わず写メ。