奠供山の写真
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奠供山

35 m

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奠供山の季節別活動日記

山頂からの景色

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奠供山の基本情報

出典:Wikipedia

奠供山(てんぐやま)は、和歌山県和歌山市和歌浦にある玉津島神社の背後の山である。 神亀元年(724年)2月4日に即位した聖武天皇は、同年10月8日に和歌浦へ行幸して14日間滞在した際、「山に登り海を望むに、この間最も好し。遠行を労せずして、以て遊覧するに足る、故に弱浜(わかはま)の名を改めて明光浦(あかのうら)と為せ、宜しくし守戸を置きて荒穢(こうわい)せしむことなかれ、春秋二時官人を差遣し、玉津島の神・明光浦の霊を奠祀せよ」という詔を発した。聖武天皇は和歌浦の景観に感動し、明光浦(あかのうら)と名付け、さらにこの地の景観を守るため守戸を置くことを命じたのである。『紀伊国名所図会』では奠供山を伽羅山とし、東に続く現在の雲蓋山を天狗山としているが、『紀伊続風土記』では「神亀元年御幸の時、登山望海此間最好と、詔し給ふは即此山なり」として、奠供山を詔が発せられた場所であるとしている。 天平神護元年(765年)10月の称徳天皇行幸の際には、南浜に「望海楼」が営まれ7日間滞在したとされているが、江戸時代後期の儒学者仁井田好古は「望海楼」を奠供山の南麓の市町にあったものとし、好古の撰文になる望海楼遺址碑(和歌山市指定文化財)にはそのことが刻まれている。望海楼遺址碑は、元は奠供山麓の市町川沿いに建てられていたが、現在は鄭供山山頂に置かれている。玉津島神社蔵の慶応3年(1867年)改刻の玉津島神社略記添付の「和歌浦玉出嶋社之圖」には、天保2年(1831年)~3年(1832年)に奠供山上に建てられたと考えられる拝所が描かれている。

奠供山の年間登山者分布

※年間の登頂者総数を100とした場合の各月の割合を%で表示

奠供山周辺の天気

天気予報は山頂の情報ではなく、ふもとの天気予報です。 地形や日射などの景況により、実際の山では値が大きく異なる場合がありますので十分にご注意ください。

奠供山周辺の山

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