じんぺいが 甚平おくる 春となり
薬莱山
(宮城)
2026年02月15日(日)
日帰り
はじめに。
この日記は前回の日記の続きではありますが、YAMAPらしからぬ日記ですので、興味のない方はこの先に読み進まないことをオススメします。
前回の鳴子の釜巡りを終え、午前中ならまだ歩けると思い向かった近くの薬萊山。
山麓の駐車場に着くと青空の下に摺鉢状の綺麗な山体の薬萊山と、未だ鉛色の雲が多い日本海側とは違う温暖な太平洋側の好天が広がってました。
さて、何で登ろうか?
『スノーシューやチェーンスパ、いやいやツボ足でも行けるかも?』と思いながら下見で登山口に向かったせいか、日記のスタートボタンを『ポチッとな!』するのを忘れてのスタート(のちに下山してから気付く)。
青空に向かう急峻な雪の坂道をキックステップで登り、医療の神様が座す山頂からの雪解けを迎えた加美町の景色を堪能した時は、まさか下山してから記録がされてないことに気付き膝から砕け落ちることとなるとは夢にも思いませんでした (≧∀≦)
それから、中世の東北の城郭跡として名高い岩出山城に攻め込み、久しぶりの遠出を楽しんだのでした。
そして、この一連の春の山旅に出た理由の一つである叔父である八代目甚平さんの一報を受けての面会へと向かいました。
病室に入り、横たわる八代目甚平さんに声を掛けると『水が飲みたい』といつもとは違う力無い声で訴えがあり、担当看護師に伝えて水を飲ませながら母が少しずつ会話をしていると自分に向かってこんな一言がありました。
看護師の基本ってなんだ?
それは叔父からの入院している病院に対してのクレームであり、同業者の自分に対する最後の訴えでした。
確かに面会にいくと枕はしっかり頭に当たっていなかったり、点滴のルートはテンションがかかり今にも自然に抜去しそう。
掛け物も縦横逆、浮腫んだ両脚にもクッションも当ててもらえておらず、叔父は『寒い』と繰り返していました。
そんな叔父を見ていたたまれず、出来る範囲のことはしましたが、叔父の最後を迎える場としてなんだか悲しい気持ちを抱えながらその日は帰ることとなりました。
そして、翌日の夜勤を明けて我が家に帰ると母より吐血したと連絡があったと聞き、少し休んでから再び面会に行くと叔母やもう一人の叔父夫婦がおり、急に降り出した外の雪を眺めてました。
もう声掛けに返事は出来なくなってましたが、午前中に面会に来た可愛がっていた孫には頑張って手を振ったそうです。
その日も親戚に何かあったら連絡してもらうように話し、家に帰って疲れて寝ていた22時43分に旅立ったそうでした。
駆けつけると特例で親戚一同が面会しており、しばらくするとエンジェルケア(死後処置)をすると看護師から話しがあったので、出ていく親戚を見送りながら、
一緒にさせてもらえませんか?
と話したところ快諾してもらえ、肝臓への転移があったため全身に黄疸や浮腫み、身体はぼろぼろでしたが洗髪や着替えをして身なりを整えて再び面会をした親戚は少しホッとした顔をしていました。
結局、翌る日に納棺師の方が白装束やメイクにより生前に近づけて頂けたのですが、白装束への着替えも手伝わせてくれたことで心の整理も少しずつ出来たように思います。
その後も夜勤に火葬が重なってしまいましたが、ここでも仕事の出来る八代目甚平さんの見事なスケジュール調整で入棺まではなんとか参加できることとなり、涙を堪えつつ夜勤へ。
夜勤後も通夜の受付やら、葬儀への参加と忙しい日々を過ごして無事に納骨を終え、風邪をひいて天龍源一郎氏のようにガラガラ声となり現在に至ります。
八代目甚平である叔父は本来なら八代目を継がないはずでしたが、長男である叔父が早くに亡くなり家を継ぐこととなりました。
小さい頃から可愛がってくれて、両親共働きだった私達兄弟を嫌な顔をせず面倒をみてくれる優しい叔父でした。
私の父が"かまけして"(釜消して=釜の火を消す=行方不明)になったり、その後に母が倒れたりと何度も迷惑かけても『任せとけ!』と何度も助けてくれて今でも頭が上がりませんが、その度に『気にすんな!』といつものようにガハハッ!と笑った顔は今でも忘れません。
そんな叔父に最後に我が業界の遺言(クレーム)を言わせてしまったことは申し訳ない思いでいっぱいですが、自分の出来る範囲で遺言を胸にこれから精進していきたいと思います。
最後に。
いつも大変な我が家の問題も嫌な顔せず、ガハハッ!と笑って助けてくれてありがとう。
胃がんが見つかり、初めての入院の時に『酒やタバコは辞めました!』と前日までに呑んだり吸ったりしていたことは私めも墓場まてもっていきます (≧∀≦)
最後まで病気で弱音を吐かず、孫にしっかり反応してくれた叔父さん。
『お爺ちゃん大好き、花嫁衣装を見せてあげたかった。』と最後まで孫にいっぱい泣いてもらった、孫にめっぽう甘かった叔父さん。
そんな叔父さんのことを大好きなもう一人の孫は、泣いてしまってテスト続けられずに学校から帰されて、もう一回テスト受け直しって聞いたよ。
叔父さんが甘やかし過ぎたせいだな! (≧∀≦)
まだまだ言い足りないこと多いけど、七代目八代目と繋いできた甚平家のファミリーヒストリーは歴史大好きな私めがしっかり孫から玄孫まで伝えていくので、ついでに叔父さんの武勇伝も伝えていくので、楽になった身体でも酒とタバコはあの世でもほどほどにして孫たちの成長を見守ってあげてください。
叔父さんが亡くなり甚平家を継ぐ人はいませんが、実直で頑固で真面目なじんぺい(九代目甚平)をYAMAPで引き継いでいきたいと思います。
叔父さん、本当にありがとう。