02:03
3.7 km
160 m
強くお勧めします、鷲巣岳(437m)、国東 ― 縄文から戦国まで、二千年を一日で歩く奇跡の山
六郷満山(国東半島) (大分)
2026年05月05日(火) 日帰り
国東半島の「歴史の地層」が、すべてここにある☝️ 六郷満山で有名な大分県国東。 YAMAPではなぜか、ルート記載もなく、グレーピークに位置づけられている鷲巣岳(わしのすだけ・437m)。🧐 言っておきますが( ー̀ωー́ )、この山はただの里山ではありません。縄文時代の環状列石、弥生の立石群、倭国大乱時代の高地性集落、修験道の磐座、戦国時代の山城、そして江戸時代の庶民の祈り――日本の歴史が幾重にも重なり、ひとつの山に堆積している。 こんな場所が、他にあるでしょうか。 ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶やったー ☝️第一の足取り ― 原生林に、迎えられて (ॢ˘⌣˘ ॢ⑅)登山道に入った瞬間、空気が変わります。スダジイやカシ、ケヤキ、モミジが織りなす本物の自然林。鷲巣岳の尾根道は、ほとんどが原生林の中を歩いていけます。🌳 私、軟弱登山家でかなりのビビりです😱。ちょっとした葉ずれの音、鳥の羽ばたき、遠くで枝が折れる音にさえ、ビクッと身体が固まってしまう。今回は勇気を振り絞ってのソロ登山。国東の山は、そもそもすれ違う人が少ないうえに、危険な山も多いので、登っている間ずっと心臓がバクバク。案の定、今回も誰ともすれ違いませんでした。😭 それでも、鷲巣岳は私のような臆病者にも優しい山でした。国東の山と聞くと、田原山(鋸山)の岩稜や、中山仙境の無明橋といった、切り立った岩場のイメージを持つ方も多いはず。 しかし、私が今回歩いた鷲巣岳のルートは違います。盛り上がった稜線を辿る、おおむね緩やかな尾根道。崖登りや鎖場といった危険箇所はなく、道幅もしっかり確保されている。☺️ 正直、登山道として手厚く整備されているとは言えません。しかし、藪はなく、ルートはまっすぐ。だから迷う心配がない。これは、ビビりのソロ登山者にとって何より安心できるポイントでした。「安心して、でも国東らしい山を味わいたい」という方に、心からおすすめできる一座です。(•̀ᴗ•́)و ̑̑ ☝️第二の地層 ― 縄文の祈り、巨大環状列石 縄文時代のものと推定される、国東半島最大級のストーンサークルがあります。🪨🪨 国東半島には、豊後高田市の猪群山(458m)に1800年前(弥生後期)頃のストーンサークルがあることはよく知られていますが、鷲巣岳のそれは縄文時代と推定される、さらに古い祈りの場。日本人の精神の原点である自然崇拝・アニミズムの息吹が、今もここに眠っています。乁(˙ω˙ 乁) ☝️第三の地層 ― 弥生の立石、そして倭国大乱の影 登山口の案内板に、こうあります。「老子池上立石(武多都社の元宮)、外に三ヶ所の立石等は弥生時代と推定される」と。 武多都社(むたつしゃ)は、ふもとの竹田津地区に鎮座する古社。その元宮(もとみや)が鷲巣岳にある――これはつまり、ふもとの集落の信仰の源流が、この山頂にあるということです。 そして決定的なのは、「紀元1世紀ごろ倭国大乱の時代の高地性集落があったのではないかと思われ、人々は高地に騒乱を避けて生活をしていた」という記述。 倭国大乱とは、『後漢書』『魏志倭人伝』にも記された、紀元2世紀後半に倭国(日本)を揺るがした戦乱。卑弥呼が共立されて治まったとされる、邪馬台国時代の幕開けの動乱です。全国各地に「高地性集落」――防御のため山上に築かれた弥生集落――が出現したのも、まさにこの時代。鷲巣岳の頂は、その動乱から逃れた古代国東人たちの、命をつなぐ聖地でもあったのです。(-A-)/ココ大事 足元の落ち葉の下に、二千年前の人々の暮らしが眠っている。そう思うと、一歩一歩が重く、尊く感じられます。 ☝️第四の地層 ― 慶応二年(1866)、里人の祈り 緩やかな尾根を辿り、山頂が近づくと、森の中に立派な石鳥居⛩️が忽然と姿を現します。 縄文の環状列石、弥生の立石、修験の磐座、そしてこの石鳥居。祈りの形を変えながらも、二千年以上にわたって人々はこの山に手を合わせ続けてきた。その連続性に、ただ感嘆するばかりです。 ฅ(º ロ º ฅ) ☝️第五の地層 ― 六郷満山、修験者たちの聖地 鳥居をくぐって南へ100メートル進むと、岩肌に寄り添うように佇む石室が現れます。 国東半島の南西、豊後高田市の真玉(またま)海岸まで、地下の風穴で繋がっているという伝承。修験者たちの想像力が、半島全体をひとつの神聖な大地として結びつけていたのです。 戦前まで、この場所で西方寺の人達がお接待(おもてなし)をしていた――そう案内板は記します。つい数十年前まで、ここは生きた信仰の場だったのです。 ( -ω-)m † ☝️第六の地層 ― 中世、竹田津城の「逃げ城」🏯 そして最後の地層は、戦国時代の山城。 案内板にはこうあります。「北端 竹田津城の逃げ城と思われるジグザグの石垣がある(中世)」「頂上部分に竹田津城の山城の跡と思われる堀切が大、小2ヶ所あります」と。 ふもとの竹田津には、戦国期の竹田津城(現在の大光寺裏山)がありました。その城主が、いざという時に立て籠もる詰城(つめのしろ)・逃げ城として、鷲巣岳が機能していたのです。山頂部に残る堀切とジグザグの石垣は、まさにその防御施設の痕跡。 縄文人が祈り、弥生人が逃げ込み、修験者が修行し、戦国武士が立て籠もった――ひとつの山が、これほど多様な役割を担い続けた例は、全国でも稀ではないでしょうか。 そして、頂きへ ― 二千年の時を超えて開ける景色 光が葉を透かして差し込む森を歩きながら、足元に縄文人の暮らしを、頭上に修験者の祈りを、そしてふもとに戦国武士の足音を感じる。鷲巣岳を歩くとは、日本史を地層のように一日で踏破する、奇跡のような体験なのです。(人´∀`)。.:*☆彡 ⚠️YAMAPさんへ、改めてお願いします これだけの歴史的・文化的価値を持ち、登山道も整備された鷲巣岳ですが、YAMAPの地図上には登山ルートが記載されておらず、山頂マークもグリーン(登山可能な山)ではなくグレー(情報の少ない山)のままになっています。( ´Ꙩωꙩ` ) 縄文の環状列石、弥生の高地性集落、修験の磐座、戦国の山城――これほどの遺跡群を有する山が「情報の少ない山」扱いとは、あまりにももったいない。ぜひ、ルートを地図上に正式に記載していただき、山頂表示もグリーンに変更していただきたい。鷲巣岳は、日本中の登山者・歴史愛好家に知ってほしい、間違いなく特級の一座です。 国東で最も贅沢な「歴史散歩」へ 派手な絶景も、有名なガイド本の太鼓判もありません。しかし、鷲巣岳の登山道を一歩進むごとに、二千年の時間がそっと足元から立ち上がってくる――これ以上の贅沢が、登山にあるでしょうか。 国東市にお越しの際は、ぜひ鷲巣岳へ。縄文人が祈り、卑弥呼の時代の人々が逃れ、修験者が歩き、戦国武士が守り、慶応の里人が鳥居を建てたこの山は、今も、あなたを静かに待っています。
