251108 宮崎県祖母傾山系③ 五ヶ所高原→高森東学園→宇奈月山→国見岳→崩野峠→赤川浦岳→玄武山→竜泉寺バス停
祖母山
(大分, 熊本, 宮崎)
2025年11月08日(土)
日帰り
春が来るまでに行う21回の登山の3回目。
この日は、五ヶ所高原から高森東学園まで車道を歩き、宇奈月山、国見岳に登った後、崩野峠を越え、赤川浦岳、玄武山へと縦走して、竜泉寺バス停まで歩きました。
先週の登山を終えて、冬が急にいつ来るか分からないなと感じ、祖母傾完全縦走を今週に前倒ししたかったのですが、明日があいにくの雨予報なので、計画変更は止めました。
すっかり、気持ちは祖母傾完全縦走に向いてしまっていましたが、今日も明日も、それなりに大変な登山なので、目の前のことに集中するよう意識的に努めます。この日も次の日も、歩いたルートは、よく歩かれているようなルートではありませんでしたが、無事に歩ききることを目標にします。宇奈月山→国見岳、崩野峠→赤川浦岳、赤川浦岳→玄武山、この3つの区間は、ルートの不安がありました。
まず、05:00に竜泉寺バス停にタクシーを手配することに成功していました。昨シーズンは、タクシー屋さんの手配で、色々なドラマがありましたが、今回は拍子抜けするくらいスムーズで、感じの良い対応をしていただき、とても助かりました。「つなぐ」ための移動手段の手配が困難かと思われた祖母傾山系の弱点は、高千穂が観光地である、ということでした。
今週は、先週の疲れがもう少し残るかと思っていたのですが、意外と回復して、登山前日の夜は、体力的に余裕を持って仕事から帰宅しました。
2時間ほど深く眠って、最後の荷物準備をして、23:29に家を出ました。先週の往路の経験を活かして、ヒライの厨房メンテナンスの時間を避け、かつタクシー屋さんとの待合せ時刻に間に合う時刻を計算しての出発でした。
サッカーも無く、短くても眠る時間を取れたので、元気でした。それにしても、明日の高千穂は朝から雨予報で、それが気になってはいました。しかし、まずはこの日の登山に集中します。
夕食を食べていなかったので、大津町のヒライで食事をしました。順調に進み、04:13に竜泉寺バス停を左折して広域基幹林道道元越線に入りすぐの所にある玄武山登山者向けの駐車場に着きました。この広域基幹林道道元越線は、そのまま上がって行けば、四季見原すこやかの森キャンプ場や黒原越へと通じています。
タクシー屋さんがお迎えに来てくれる05:00までまだ時間があったので、外に出て、すぐそばにある玄武山の説明看板を写真に撮ったりしました。
説明書きからも、峻嶮な山城であることが分かりました。それにしても、山城を造るという、重労働としか思えないことをやってのける力。山城が作られた頃の人間の体力というものは、今では考えられないくらい屈強だったのでしょうか。
外は、先週よりも寒く、ジャンパーの中の服は長袖は持って来ていなかったので、急遽ネックウォーマーを着けました。登山靴を履くこと以外の準備を済ませて、明日の行程を確認したりして、4分だけ眠りました。それから、登山靴を履いて、竜泉寺バス停に移動しました。玄武山トンネルの入口にある電光掲示板に表示された気温は11度でしたが、気温以上に寒い感じがします。空はよく晴れていて、星が見えていました。
04:53にタクシー屋さんがやって来ました。運転手さんは昔ヤンチャしてた風の女性でした。行先を五ヶ所高原とお伝えすると、黙って出発。それからは、お互い何も喋りません。静かな沈黙の時間がずっと続きます。
僕は、五ヶ所高原とお伝えしただけです。多分だけど、五ヶ所高原はとっても広い。どこで降ろされてしまうのでしょう。(僕が降りたい場所は、北谷登山口へ分岐する道の入口だったのですが、きっと伝わらないだろうと思い、まずは方面をお伝えするだけに留めてしまった)
不安なくらい何も尋ねてこないのですが、自分からこの沈黙を破るのも億劫なくらい静かです。大丈夫かな?でも、こういう時は運転手さんのペースに合わせた方が良い時もあります。待ちます。
その後、県道8号線への近道へと左折したので、方面はとりあえずちゃんと伝わっていそう。
でもあまりにも静かすぎて、眠くなってきてしまいました。道案内のため、眠るわけにもいかないので頑張って起きてましたが、一瞬眠ってしまっていたようで、夢を見ていた時に、ようや具体的にどこで降ろせばよいか質問されました。
北谷登山口へ至る道の入口、とお伝えすると、1発で理解してくれました。話を聞けば、私は五ヶ所に住んでたことがあると言い始めました。失礼しました!さらに聞けば、来週は北谷登山口まで送る予約も入っているとのこと。あなたはそこまで送らなくて本当に良いのですか?と聞かれ、大丈夫ですと答えます。
05:10に、先週、北谷登山口方面へと右折した地点まで、無事に送っていただきました。ありがとうございました!
去り際に、明日もなんかこの時間に予約が入ってるみたいなんですけど、あなたですか?と尋ねられ、僕だったので、明日の場所も打合せして解散しました。明日もよろしくお願いします!
身支度を整え、05:12に歩き始めました。
ここから、高森東学園まで車道を約6キロ歩きます。この車道歩きには、はっきり言って何の意味もありません。先週歩いたルートとつなぐために、なんとなく歩いてみました。
まだ真っ暗な道を歩いて行きます。まだ暗い時間に歩くには、山の中より車道の方がずっと良いので、行程の最初にロードがあると凌ぎやすい。
空は、よく晴れています。放射冷却のせいか、明らかに先週より冷込んでいて、寒い夜明け前です。(放射冷却の仕組みは、地表の熱をお布団のように覆い保っていてくれた雲が、晴れて無いと、地表から放出された熱がそのまま宇宙に放出されてしまい、冷込む、というわけです)
それにしても、ついこないだ、ここを歩き終えた気がするのに、もうまたここに自分がいることを不思議に思いました。登山が始まると、帰宅してからは、だいたい月曜、火曜はおおよその記録整理に追われ、水曜、木曜が終わると、金曜はもう出発、の繰返しです。
05:35に流れ星を見て、不吉な感じがします。この県道は、抜け道になっているらしく、幅員の狭さのわりに交通量が多く、高森東学園に至るまでの間に、大きなトラックを含む何台もの車とすれ違ったり追い抜かれたりしました。
06:25に高森東学園に至り、宇奈月山へと南に曲がって進みます。
静かな山の朝に、本当の声が聞こえてきます。
手が冷たくなってきました。路端の草には少し霜が降りていました。
最後の民家を過ぎてから3分進み、左に分岐する林業専用道参川線に進みます。6分歩くと、右側に道が分岐し、そちらに進みます。しばらくすると、その道も荒れてきて、右の踏み跡の方へと逸れて進んで行くと、前方に大岩壁が出てきました。大岩壁の頂上が宇奈月山で、山頂へは右側の斜面をよじ登り、稜線に出て左に進みます。いつの間にか、すっかり夜が明け、明るい綺麗な朝を迎えていました。
07:26に宇奈月山に至りました。すぐそこに崖がひかえ、慎重な行動が求められます。
宇奈月山からは、国見岳へと周回するように計画をしていました。細く痩せた尾根の左側の崖へと足を踏み外さないように、右側に身体を傾けながら進みます。
やがてその危険な所は終わり、ここからは国見岳の方へと基本的には尾根を歩いて行きます。ただし、無理に尾根に上がる必要がない所もあり、巻けるところは巻いて進むのが良いです。慎重にルートを見定める必要はあるが、道はあると言えばあり、テープもわずかに付けられています。ただし、あまり気は抜けません。新しい足跡もあり、参考にしながら進みます。
あえてP1051へは上がらずに、国見岳へと最短方向に突っ切って行くことにすると、ずっと測量杭がありました。それは、地形図では得られない現場の感覚で、突っ切るように歩いているのに、ルートは外していないことを証明してくれる目安になります。(ただし、最後は強引に稜線に上がる必要があります)
09:27に、国見岳に至りました。ようやくと言った感じで、そうしているうちにいつの間にか空は薄く曇っています。国見岳の山頂標識の背後に、赤川浦岳が遠く聳えていました。
一旦崩野峠まで下ってから、けっこう上りそうです。左側の祖母山方面にはガスがかかっていました。
09:29に国見岳を発つと、崩野峠までは、これまでの道とは違い綺麗に道が付けられていて、あまりルートファインディングする必要が無く、安心です。ただ、天気は明日の雨に向けて、下り始めている雰囲気を見せ始めていました。やがて右下に山を切り通す作業道が見え、そちらに下りて、横断して進むと、伐採地に飛び出て、先週歩いた山山がよく見渡せました。
その先に、「赤川浦岳」の標識を見つけ、赤川浦岳への登山道は、黒原越からの道だけが正規だと思っていたのに、崩野峠からの道も、一定の物として在ることが判り、とても心が軽くなります。さらに、旧道へと一度下りずに、崩野トンネルの上を歩いて進めたことにも、気分を良くしました。
10:16に崩野トンネルの上を通過してからも、宇奈月山と国見岳の間がそうだったように、無理に尾根に上がる必要は無く、ずっと巻き続けて進んで行きます。山の中の雰囲気は、国見岳のそれと同じでした。人間が人為的に造った道で分断されても、地質としての山の一体感は変わらないことを感じました。
結局、焦れずにとにかくずっと巻いて進み、12:23にP1027でようやく尾根に復帰しました。
その先の急登を越えると、地図にない廃れた林道に出合い、ここに「赤川浦岳」を示す2つ目の標識がありました。なんとか12時台に赤川浦岳に着ければと思い、急登を乗り切って、12:59:38に赤川浦岳に着きました。柔らかな風が吹き気持ちが良く、これまでの道のりがうそのように、穏やかな山頂でした。
さぁ、ここまで来れば、ルートに不安のあった3つの区間は、赤川浦岳→玄武山の区間を残すのみとなりました。地形図を確認すると、基本的には標高を下げて行くので、ホッとします。
13:04に赤川浦岳を発つと、すぐに黒原越への分岐があり、ここを右折。すると、すぐにテープが現れ、これまで歩いてきた道とは打って変わって、とても穏やかで歩きやすい道が続き、断然歩きやすくなります。曇っていた空も、なぜか少しまた晴れてきました。紅葉した木々も綺麗です。
しかし、安心していたのも束の間で、尾根上に大岩が現れ、どこからどう進むのか分からない所が2ヶ所ありました。進むべき方向だけは分かっているものの、ルートが消失し、危なくて胆を冷やしました。この2ヶ所を突破するのに30分ほどかかりました。どちらも、両側は深い谷になっていたので、もしルートを誤っていたら、大変だったと思います。
14:55に、目の前になんだかとんでもない大きい山が聳えて見えてきました。思わず、目を背けました。
15:07に基部に至ると、玄武山へと、本当にここを登るのか信じられないような直登が始まりました。ここまで、1日使い続けてきた現地調達の杖を捨て、落ちたら死ぬと思われる局面を、24分かけてなんとか突破しました。15:33に玄武山に着きました。
赤川浦岳→玄武山の区間は、穏やかで歩きやすい所も確かにあるものの、そうではない所が強烈で、心が疲れました。
15:34に下山を開始すると、下山路は、ロープが張られ、よく整備されていてとてもありがたかったです。
15:43に、何か文字の彫られている大岩に出合いました。風化して、ほとんどの文字が消失しかかっていましたが、「玄武城」の文字だけは読めました。きっと、玄武城の由来が書かれているのでしょう。そばに、「平成12年11月19日 上野小郷土歴史班」と書かれて看板が置かれていました。平成12年は西暦2000年。今から25年前です。僕よりも2学年下の子供たちが、郷土のことを調べる時間を持ったようです。
あれから25年経っても、まだ、あの看板は残っていますよと伝えたい気持ちになりました。
どうかこの看板を設置した子供たちが、そのことを忘れず、この郷土のことを今も想っていて欲しいと思いました。
今朝、この山城のことについて、短い時間でしたが思いを巡らせていました。実際に登ってみると、その峻嶮さは想像以上でした。
ここに山城を造った人たち、郷土の山城について学んだ子供たち、その人々のことに思いを巡らせながら下山を続けました。
次第に里の音が聞こえ始め、いつまでも続く急な下山路にもううんざりしながら進み、16:45にようやく車道に出合いました。民家が数軒並ぶ道を下り、一旦玄武山登山者向けの駐車場をスルーして、上野神社と竜泉寺を見学しました。竜泉寺に行ったのがちょうど17:00で、坊主が鐘を鳴らしていました。17:05に、玄武山登山者向けの駐車場に戻りました。
この日は、ずっとルートを探りながら、急登や難しい所を越えながら、粘り強く歩き続けた、死闘と感じられる大変な登山でした。宿泊するため、高千穂の街へ移動し、温かいお風呂に入ると、ホッとしました。
荷物を整理し、居酒屋に酒を飲みに出掛け、高千穂の街通りを少し散策して、宿に戻りました。明日が、この日を超える死闘になるとは思いもせず、21:37に眠りました。
<この日登った山>
1 宇奈月山
2 国見岳(鳴滝)
3 赤川浦岳
4 玄武山(玄武城山)