05:31
12.8 km
772 m
熊野古道・伊勢路(三木里~二木島)
熊野古道 伊勢路④ (三重, 奈良)
2025.12.29(月) 日帰り
*今回は、熊野古道・伊勢路の三木里~二木島の区間を歩くことにした。日帰りなので、三木里駅に車を置いて、終点の二木島駅からは紀勢本線の汽車(電車ではない)に乗って戻るという計画である。 *予定では9時三木里駅スタートであったが、予定より30分早く着いたので繰り上げて8:30スタートとなった。三木里駅からは八十川橋で国道311号に入り、少し歩くと「ヨコネ道」への入口があった。舗装道を離れて山道に入ると「世界遺産・熊野古道伊勢路」の幟が立っていた。国道より少し高いところに古道が通っており、比丘尼転びや炭焼窯跡などがあり、海が見える場所もあった。 *30分足らずで再び国道に下り、さらに少し歩くと三木峠の登り口があった。ここには「三木峠道」の案内板と「国史跡熊野参詣道三木峠道」と刻まれた石柱が立っていた。苔生した石段を15分ほど登ると三木峠に着いた。ここは、三木里と古江を結ぶ峠である。三木峠から少し外れて登ったところに展望所(139m)があり、三木里湾と三木浦町を眺めることができた。ただ、天気予報が外れて、このときは曇っていて青空がなかったのは残念だった。 *三木峠に戻り下っていくとすぐに舗装道に出た。羽後峠を指す標識は舗装道にあったので、これに従った。しかし、本当はここから舗装道を横切って古江の町に下るのは正解であった。舗装道を歩いていて、このことに気づいたので、途中から古道が舗装道に近くなってきたところで古道に下りることにした。 *古道に下ると、山の神を祀った祠があった。古道の右側には猪垣が立ち並んでいた。猪垣の間を縫うように古道を進むと再び舗装道に出たが、向かいに羽後峠の登り口があった。ここにも、「世界遺産・熊野古道伊勢路」の幟、羽後峠道の説明板、「国史跡熊野参詣道羽後峠道」と刻まれた石柱があった。 *苔生した石畳の道を少し登っていくと羽後峠に着いた。羽後峠は小さな広場になっていて、ベンチもあるので休憩できるところである。羽後峠から下っていくと、道の真ん中に通せんぼみたいな石碑があった。「是より左くまの道」と刻まれている。 *左に折れて猪垣の間を下っていくと、左手に秋葉神社の小さな祠があり、最後は水路のようなところに出て、舗装路に下りた。すると「賀田羽根の五輪塔」の標識に従って古道に入り、再び舗装道を横切ったところに五輪塔があった。球形の水輪が欠けているが、地輪には「寛永18年」(1641年)と刻まれている。 *賀田の街中に下りてから、少し歩くとJR賀田駅があった。ちょうど名古屋から新宮に向かう特急「南紀1号」が通過するところだった。賀田駅からはしばらく国道を歩くとようやく天気が回復して青空が広がってきた。賀田湾の景色も心地よい。再び古道に入ると曽根の道祖神があり、飛鳥神社のところに出た。ここからは路地のような道に入り、曽根弾正の屋敷跡を通過するとトレイに出てきた。そのまま路地を進むと、「熊野古道次郎坂」という看板があった。 *最初はコンクリートの階段になっていて、少し登ると「曽根五輪塔」にやってきた。戦国時代に曽根八か村を納めた曽根弾正夫妻と長男孫太郎(石板)の五輪塔があった。その直ぐ近くには、「庚申塚」と「南無阿弥陀佛号名碑」もあった。この南無阿弥陀仏号名碑は、熊野古道を歩く巡礼者や旅人の安全を祈って、享保3年(1718年)安定寺の元空和尚が建立したものと伝えられている。 *再び苔生した石畳を登って行くと、石切場跡があった。ここから切り出された曽根石は、江戸城の修復に使われたとの記録が残っているそうだ。 *しばらく行くと「行き倒れ巡礼供養碑」があった。文政13年(1830年)にこの地で没した武州足立郡中之田村(埼玉県)の人の供養碑である。さらに行くと「曽根の一里塚」の説明板があった。 *古道には石段が出てきたが、左手に「鯨石」があった。よく見ると、シロナガスクジラに似ている!このあたりから太郎坂になるのだろうか。峠道の次郎・太郎は「自領・他領」が転じたものといわれている。 *長い坂を登り切ると甫母(ほぼ)峠に着いた。この峠は、現在の尾鷲市と熊野市との市境になっている。東屋の横が平たくなっていたが、ここが「ほうじ茶屋跡」である。これも「甫母地茶屋」からの転語のようだ。また地蔵を祀る祠もあった。 *甫母峠からは少し下ると「楯見ヶ丘」という場所があり、ここからは二木島湾の入口にある楯ヶ崎を望むことができる。ここから先はなかなか下っていかず、小さなアップダウンが続いた。 *ようやく下ってきたところで、再び猪垣が出てきた。猪垣の説明板があり、また猪垣記念碑(石板)もあった。これには、寛保元年(1741年)3月から翌年2月にかけて築かれたことが記されている。 *下り口の少し手前にまた巡礼供養碑があった。熊野古道には目的地に着くまでに力尽きて行き倒れる人も少なくなかったことだろう。この供養碑は文政3年(1820年)この急坂で落命した17才の少年を供養したものだった。 *曽根次郎坂・太郎坂登り口に下りたところで二木島湾の風景が飛び込んできた。天気もすっかり回復して青空だ。国道を横断すると二木島駅に向かう道標に従って下っていくと二木島港に出た。新逢川橋を渡り、東屋とトイレがあり、JRのガード下を越えると二木島駅の駐車地があった。ここに「鯨の供養塔」の説明板があったので、駐車場の路地奥に二木島峠の登り口があり、そこに鯨の供養塔があった。 *二木島駅には14時ちょうどに着いたが、14:13の汽車には何とか間に合った。この汽車を逃すと次は16:10と2時間近く待たなければならない。なので、今日はランチタイムもとらずに歩き続けた。