モデルコース
頼朝山-葛山 往復コース
- 01:30
- 2.1km
- 382m

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コースマップ
活動概要
- タイム
- 01:30
- 距離
- 2.1km
- のぼり
- 382m
- くだり
- 382m
標高グラフ
チャート
チェックポイント
このコースで通過する山
「頼朝山-葛山 往復コース」を通る活動日記
すべて見る- もらった絵文字25写真20枚01:213.1 km418 m
- もらった絵文字11写真28枚01:474.8 km531 m
- もらった絵文字20写真43枚02:266.4 km523 m
長野市⛰️葛山・頼朝山⛰️
旭山(長野)2026.05.17 (日)日帰り善光寺からサクッとトレイルしてきました 葛山は上杉軍の城趾で、武田軍に静松寺を占拠され火攻めにあい焼失、敗北した歴史の山です 善光寺を大事にしていた源頼朝が、与えた山林だという頼朝山 ツツジにクロアゲハがたくさん飛んでました🌺🦋
- もらった絵文字197写真19枚03:253.9 km450 m
🌺ツツジが綺麗だった頼朝山・葛山🦋
地附山・大峰山・葛山(長野)2026.05.06 (水)日帰りまた善光寺の近くの葛山&頼朝山へ⛰️ ツツジが綺麗でした🌺その蜜を吸いにくる蝶々の多くは、羽が欠けています。短い命を懸命に生きているんだなぁ…と応援する気持ちと、勇気をもらいました😊 山の歴史を知り、その山への愛が深まることを改めて感じました⛰️✨
- もらった絵文字41写真21枚02:294.1 km461 m
- もらった絵文字13写真10枚01:146.2 km556 m
頼朝山・葛山(長野で朝活🏃♂️)
地附山・大峰山・葛山(長野)2025.09.16 (火)日帰り息子の帰省に合わせて 長野市へ。 身体がなまってきたので、里山トレーニングしてきました😁 展望は☁️イマイチでしたが、長野市街地が見え、城跡など歴史的にも名高い山でしょうか⁉️ 帰りは、善光寺を経由して長野駅まで歩く🚶のんびり電車で帰ります🚃
もらった絵文字4写真0枚02:454.1 km482 m- もらった絵文字88写真44枚03:027.3 km620 m
第三次川中島の戦い
旭山(長野)2025.08.10 (日)日帰り弘治元年(1555年)第二次川中島の戦いは旭山城の破却と犀川からの武田軍の撤退で一応の終息を見ました。とは言え武田氏は信濃侵攻の手を緩めませんでした。武田氏は奥信濃の水内郡・高井郡の豪族ばかりか神社仏閣の神主や僧侶にも調略の手を伸ばすと共に翌年弘治二年には真田幸隆が尼飾山城を攻め落とし犀川以北の善光寺平への侵攻の準備を整えつつありました。 弘治三年一月(1556年)遂に武田晴信(信玄)は武田家第一の武将と言われた馬場民部少輔信房(後の美濃守)に一万の兵を与え越後と信濃の国境が雪に閉ざされ長尾景虎が身動きが取れないのを好機として葛山城攻略に向かわせました。 葛山城は落合備中守・小田切駿河守等が守っていて(1000人位?)長尾方の最前線の城だけに固く防備されていて落合・小田切の奮戦もあり落城する気配はありませんでした。 そこで馬場信房は静松寺の僧侶を呼び出して葛山城の様子を訊ねたところ『山城なので水にかなり不自由している!』と言う事を聞き出し馬場信房は城を火攻めにしました。 城は一溜りもなく焼け落ち落合備中守・小田切駿河守は相次いで討ち死にして葛山城は陥落しました。 葛山城の陥落は、奥信濃の豪族達の間に動揺を走らせ武田方の調略に応じる豪族も出始め須坂市付近の須田氏(福島城主)・山田氏(枡形城主)・市川氏(木島平村付近の豪族)が武田方に寝返り武田方の支配地域が長尾方の飯山城に迫りつつありました。 この事態に飯山城将の高梨政頼は危機感を募らせ長尾景虎の元に急使を走らせ出陣を要請しました。飯山城は越後方の信濃の前線基地であると共に長尾景虎の本拠地春日山城とは40㎞程しか離れておらず春日山城の南方を守る重要拠点でした。 この武田の所業に長尾景虎は激怒して春日山城を一万の兵を引き連れて弘治三年三月出陣し福島城・枡形城(山田要害)を次々と攻め落とし善光寺に着陣しました。また旭山が武田方に抑えられていない事を知ると旭山に砦を構築して兵を配置して守りを固めました。 善光寺付近の守りを固めると長尾景虎は、再び進撃を始め迎撃に現れる武田軍を撃破しながら岩鼻付近(上田市)まで兵を進めました。 この時、武田晴信(信玄)は深志城(現在の松本城)を本陣にしていて長尾景虎との衝突を避けて安曇郡北部(大町市付近)の城を攻め落とし越後勢の退路を遮断しようとしました。 すると長尾景虎は、補給線に不安を感じて軍勢を一旦飯山城まで引き揚げて武田方に寝返った市川氏を攻撃しました。 この時、市川氏は武田晴信に援軍を要請する使者を走らせ『山本菅助』なる人物が武田晴信の元から使者として派遣された!との記述が市川氏に宛てた書状から発見されました。 これまで『山本勘助』は江戸時代初期に甲州流の軍学者小幡景憲が執筆した『甲陽軍鑑』と言う軍記物の中にしか登場しない人物で存在を疑問視された人物でしたが、これによって軍師として活躍した人物かどうかは別にして実在の人物だった事が証明されました。(市川文書) その後、上野原の戦いと言う戦闘がおこりました。『上野原』と言う場所が今となっては何処なのか分かりません。戸隠山の麓付近・長野市若槻付近・長野市長沼付近と諸説あって双方の威力偵察に出ていた千人規模の部隊の遭遇戦だったようで小競合いに終始し頃合いを計り双方退いたようです。 間もなく長尾景虎は、越後に引き揚げ武田晴信は、新たに支配地域になった城の守りを固め甲斐国に引き揚げました。 この戦いで長野盆地の全域が武田氏の支配地域になったのでした。
- もらった絵文字52写真10枚01:053.2 km451 m
頼朝山〜葛山 -雨降る前の里山歩き-
地附山・大峰山・葛山(長野)2025.06.14 (土)日帰り⭐︎2025シーズン:24日目 ⛰️頼朝山 ⛰️葛山(かつらやま) またまた週末の天気が悪い… この日は木こりさんと ツクモグサを見に横岳登る予定でしたが 天気が悪く中止🥲 午前中であれば雨降る前に登って来れそう ということで 未登頂の長野市の里山へ
- もらった絵文字14写真30枚00:533.0 km427 m