十万劫山
このエリアについて
掲載されている山
十万劫山, 花見山
信夫山(羽山)
標高 275 m
信夫山(しのぶやま)は福島県福島市の中心市街地北部にある山である。標高275m。 福島市街を一望でき春には大勢の花見客で賑わう福島市のシンボル的存在である。外周は1周7キロメートルで皇居(外苑も含む)と同じ大きさ。うつくしま百名山に選定されている。公園内では飲食が可能なため福島市内では人気の名所。古代には岑越(みねこし)山と呼ばれた。 登山のルート次第では険しい経路もあるなど登山趣味の入口として親しまれ、近隣小学校の遠足で用いられる山である。 山岳信仰として神社仏閣スポットでもある。岩谷観音、黒沼神社、福島県護国神社や出羽三山の分社(羽黒山神社、月山神社、湯殿山神社)がある。また大円寺や市が管理する墓地が存在、福島市を代表する墓所地帯としての性格も兼ねている。 東から熊野山、羽黒山、羽山の三峰で構成され、これらを合わせて信夫三山と呼ばれることもある。それぞれの山の名前からもわかるように山岳信仰と密接に結びついており、熊野山には湯殿神社、羽黒山には羽黒神社、羽山には月山神社の出羽三山が勧請され祀られている。
弁天山(椿山)
標高 142 m
弁天山(べんてんやま)は、福島県福島市にある山である。 福島市街地東側の渡利地区にあり、阿武隈高地西端部に位置する。標高は142メートル。阿武隈川東側のほとりに位置する。江戸時代から明治時代にかけては「山椒大夫」の安寿と厨子王が住んでいたと言われる椿舘跡があることから椿山と呼ばれており、現在の福島市都市計画図では西側の峰が弁天山、中央の峰に椿山と記載されている。1665年、福島藩から江戸への廻米のために江戸の商人により阿武隈川の開削がなされ、舟運が行われるようになると安全祈願のために竹生島より弁財天を勧請し、西側の峰に建立したことから弁天山と呼ぶようになったといわれている。なお、弁財天は1702年に板倉氏が福島城へ入城した際、城を見下ろされるということで阿武隈川河畔に移された。南側の斜面、旧国道114号沿いには1925年(大正14年)に渡利浄水場が設置され、山麓にはレンガアーチ造りの配水池やポンプ等の設備があり福島市の水がめとして働いてきたが、摺上川ダム供用に伴い2007年3月18日に廃止された。現在も土圧による崩壊を防ぐため水で満たされている。東側の峰には当時渡利村に所在した福島県立蚕業学校(後の福島県立福島農蚕高等学校、現在の福島県立福島明成高等学校)同窓生により建立された蚕祖神社の記録を伝える石碑が建てられている。神社自体は戦後、公立学校による宗教活動が行えなくなったことから管理者がいなくなったために東側の春日神社に移された。 ふもとを国道4号福島南バイパスが通り、この山の名を冠した弁天橋が南側の阿武隈川を渡る。橋北詰は渡利弁天山交差点と名付けられており、旧国道114号が国道4号バイパスと交差する。国道114号渡利バイパス開通までの長きにわたり福島市から浜通り地方中部への玄関口であった。 1926年より一帯が弁天山公園として整備され、現在の園内には芝生広場や四阿、バーゴラ、ベンチ、遊歩道、遊具等が整備されている。各峰に合計3か所の展望台も設置されており、福島市街地や遠く国見町の厚樫山までもが一望できる。駐車場は3か所設置され、公衆トイレも整備されているが、冬期間は水道管が凍結するため使用が禁じられる。
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