虎倉城跡 備前、御津虎倉 2021.2

2021.02.21(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 56
休憩時間
8
距離
3.8 km
のぼり / くだり
308 / 307 m
1 57

活動詳細

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 虎倉合戦の伊賀方の拠点だった山城らしい。  毛利方は、竹の荘に進出して、福山城をおとし、虎倉城をめざして進軍するも、下加茂で伊賀方に襲撃されて、敗走したらしい。  案内板によると、もともとは、15世紀後半からあった城らしいが、16世紀後半に宇喜多勢の伊賀久隆が城主となったときに拡充されたらしい。  伊賀久隆は、宇喜多勢の中で力か大きくなっていたそうで、1580年の虎倉合戦で毛利を撃退した翌年、謎の死をとげたらしい。死期の迫った宇喜多直家による謀との説があるらしい。  伊賀久隆を継いだ家久は、宇喜多から離反し、毛利方につき、宇喜多勢と戦ったらしい。備中高松城の戦いで毛利が秀吉と和睦したため、伊賀家久は、秀吉方の宇喜多領にある虎倉城をでて、毛利領へ転出したと。  宇喜多勢による父親の暗殺に抗して、備中兵乱で途絶えた三村氏となんとも似たような流れの話だ。  蛇行する宇甘川を眼下に見下ろす虎倉城跡は険しい山容で、その姿はますます厳しいものに思えた。

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