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新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の中、皆さんいかがお過ごしでしょうか。なかなかスッキリとしない心持ちで好きな登山やハイキングも行きづらい、行けない状況が続いていますね。 以下、この2020年4月に私が何を感じて考えていたかの記録として残しておこうと書き出すものです。かなり長文で私的な内容になるので読みにくいと感じた方はどうぞスルーして下さいね😅 2020年1月、ちょうど新型コロナウィルスというキーワードが世の中を騒がせ出した頃、(全く別の要因で)母が亡くなりました。 様々な想いで遺品を整理していたところ出てきた一冊のファイル。父にそれが何かを尋ねたところ 『あー、それお母さんが書いてた日記じゃないか?』 父も何か書いているな~とは思っていたけど、しっかり中身を確認していたわけではなかったそう。 姉と父と3人でそのファイルを開く。 なんとそれは父と共に歩いた山行の記録でした。 もともと母は私を産んでから重度のリウマチを病み、手術と入退院を繰り返す、痛みと闘う日々を長く続けていました。そんな中でも強く逞しく常に前を向き、父を支え二人の子供を育て上げた、何より明るい人でした。 そんな母の山行記録の一枚目は平成9年のもの。良い医者の先生に巡り会い、新薬による治療が効を奏し出した頃の様です。不自由な手指で書いた独特な文字、書き出しは『病院の帰り、車の中でジャージに着替え30年ぶりの登山』。少しずつ身体の調子が良くなっていたので父が誘ったのだそう。 それから3ヵ月ごと、2ヵ月ごと、読み進めると山行間隔がどんどん短くなっていきます。 何事に於いても細かく計画を立て記録を残す事が好きだった母。山行に掛かった費用や移動時間まで詳細に記録しています。 子供二人が結婚してからは、父の休みごとに出掛けており、その内容は一行だけのものもあればルーズリーフいっぱいを使っているものも。 好きな山野草を求めて季節ごとにあちこちに出掛けては花つきの状況、道中で出会った人のこと、時にはルートを間違った父へのクレームなんかも。父の事を○○と愛称で表現していた事には家族3人で顔を見合わせて笑いました。 かなり調子が良かったのでしょう、ある年には花を求めて憧れの白馬岳や大雪山縦走にも遠征しています。 常に二人三脚で行動し、下山後に父が美味しそうにソフトクリームを食べたことなど、その記録は二人の第2の青春そのものでした。後半、歳を重ねて山行間隔が開くようになってからは私と父の山行記録を帰宅した父から聞いて残したりもしています。 最後は亡くなる1ヶ月ちょっと前に英彦山の紅葉を見に行ったものでした。22年分の記録を読み終えた私は 【活動計画を作成】 【目的の登山地図を使って残す】 【自分の通ったルートを記録】 【リアルタイムな山情報を残す】 『あぁ、これは母のYAMAPなんだ』と気付きました。 GPS、端末との同期、ユーザー同士の共有など様々な便利機能が付加され素晴らしいツールとして使われているアプリだけど、本質的なところでは母が残してくれた山行記録に通じるのかな、と。 今回、このような私的な内容を共有するのはどうなのか考えましたが、母が亡くなって3ヵ月。今の世の中の状況をどう見ているのかな?と思ってしまいます。 見えないウィルスへの恐怖から疑心暗鬼、不安にかられ良くも悪くも溢れる情報に煽られる。閉塞感から何かを誰かのせいにして、気が付けば闘っているのはウィルスではなく、自分や人の心持ちとなっている世の中。 だから私は自分で考え、自分の足で歩きたい。山も人生も。その時に道に迷わないよう皆さんの記録を参考にさせて頂き、自分で判断して進みたいと考えています。 そしてこの恐怖が終息した時には、母の軌跡を辿り、母が感動した景色をYAMAPに集う皆さんと共有出来たらいいなと思います✨ 長文失礼しました。

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