光が丘公園から大宮大成山普門院へ20kmのウォーキング墓参<4回目?>をしてきました。 途中・正月初詣にも行った東京大仏を参拝、墓参ついでの「昼食・昔ながらの中華そば」に立ち寄った大宮東口・食堂「多万里」は臨時休業!!【残念】 しかたなく、帰りに寄るつもりだった西口の「満々亭」へ行き、ビール無しのタンメン餃子<写真を忘れた!>を食べ、本来の墓参へ!!
出発は、いつも歩いている光が丘公園の東北角「赤塚口」
正月に初詣の来る、乗蓮寺に立ち寄った。除夜の鐘の音は「家」まで届く。 <歴代の徳川将軍家から朱印地が与えられ格式ある寺院>
門の手前に「閻魔堂」
奪衣婆と閻魔大王 /前に並ぶのが十王:極楽行か地獄行かの判定会議のメンバー (秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王)
階段上に仁王門
普通?多く?の仁王門の右側には口を開けた「阿形像」だがここには、口を結んだ「吽形像」
左側に「阿形像」
「葵の紋章」の扉・謂れは追って
東京大仏(赤塚大仏) 鋳造製としては、奈良・鎌倉に次ぐ日本で3番目に大きい
本堂
手水舎/龍の口からゴムホースが伸びる
本尊(阿弥陀如来)
境内の池に「弁財天」
高さは基壇が地上2メートル、蓮台2.3メートル、座高8.2メートルの計12.5メートル
福壽観音堂
鐘楼<階段が閉鎖>
帰りに気付いた門の左に「多聞天尊像」
右に「広目天尊像」
「・・・天正19年(1591年)に徳川家康から十石の朱印地が寄進され、その後も歴代の将軍から・・・」
大仏の後ろ姿
赤塚不動の滝
瀧の上にお不動さん
荒川を渡る/遠くに浦和と大宮の高層ビルが見える
笹目川に沿って歩いていると、 川面に岸辺に「カルガモ?」と嘴から額が白い「オオバン」がいっぱい・・・
ベンチで小休止/傍に北戸田駅・コンビニがあるのでトイレ借用へ
大量の水が笹目川に流れ込んでいる!? 地元の方に聞けば「浄水の為、荒川の水を引いている」と・・・
笹目川がなくなった/遊歩道の下が元の川?
笹目川の水源・白幡沼 <右端から笹目川に落ちている/落ちていた?ようだ・・・>
白幡沼の上の校舎・浦和商業高校は我母校<ちょうど50年前に卒業>沼を見下ろすテニスコートで3年間走り回っていたのだ!
旧中山道に出た所【東日本銀行前交差点内】には一里塚ならぬ「半里塚ケヤキ」があった ※軽が止まっている場所の右
ケヤキ並木が残る旧中山道
広い歩道に大きな祠
火の玉不動尊 お女郎地蔵
伝説と巷話 ◎高台橋のお女郎伝説 お女郎地蔵 大宮宿に柳屋という旅籠があり、千鳥と都鳥という街道筋でも評判の姉妹が旅人の相手をしていた。やがて、宿の材木屋の若旦那と千鳥が恋仲となり、末は夫婦にと堅い約束。そこに割って入ったのが悪名高い神道徳次郎という大盗賊。何が何でも千鳥を身請けするとせまり、ついに宿に火をつけると凄む始末。これを知った千鳥は、思い余って高台橋から身を投げてしまった…。 哀れに思った町の者が、女郎地蔵を建立したという。 火の玉不動 高台橋のあたりを毎夜火の玉が飛ぶので、ある男が火の玉に斬りつけてみると、きゃっと声がして火の玉が消え、暗がりにいた不動明王と名乗る男が、「剣を斬り落とされた」と言い残して姿を消した。高台橋に行き不動の姿を確かめると剣を持っていなかった…。以来火の玉不動と呼ばれるようになった。 --------------------- https://www.jinriki.info/kaidolist/nakasendo/urawa_omiya/ojorojizo_hinotamafudo.html
武蔵一之宮「氷川神社」一の鳥居
鳥居の先に2kmの参道が伸びる
「武蔵一之宮」標石と石燈籠
加賀前田家の江戸屋敷門を移築
「塩地蔵尊」と「三体子育地蔵」の祠
「塩地蔵尊」
「三体子育地蔵」
朽ちた家が放置のまま!
そろそろ限界!とっくに限界・・・
大宮高島屋の場所に「本陣」あった・・・、他にも本陣・脇本陣が数か所あったが現存しない。
今日の昼食目的地「多万里」は臨時休業!
西口へ回り、満々亭へ /80才近い二郎さんが頑張っている【50年前】から通っていた・・・
大成山普門院到着
山門
山門入るとすぐに「夢違い観音」/悪い夢を見た時に この観音様にお願いをすると いい夢に取り替えてくれるという
本堂
鰐口を「ゴン」 【南無】【合掌】
本堂裏の墓地を参拝後、山門前の「河津桜」をパチリ・・・ 帰りは電車・50分で帰宅