活動データ
タイム
03:02
距離
5.2km
のぼり
370m
くだり
369m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る阿蘇の杵島岳を歩きました。 先日と違って、気温も過ごしやすく歩きやすかったのですが、山の中の風景を見ていると得も言われない変な感覚になったので、下に作文してみました。 直接的な活動日記ではありませんので、時間があれば読んでいただけると嬉しいです🙂 (写真はいつもの活動日記です) 「前日の夜は、取引先との懇親会で遅くまで飲んだ。こちらはわたしが代表となって、部下を連れて参加した。 会社同士の付き合いは何十年もの歴史があって、先人たちの人脈を引き継いで良好な関係のまま取引が続いている。 「ビジネスの付き合いは、自然体で長続きするような甘いものではない。お互いの利益を慮んばかって、苦しいときも投げ出すことなく対話を続けることだ」 相手の社長が締めの挨拶でそう言って、わたしたちは握手した。 お開きになって、同席した部下とも別れ、わたしは夜中の繁華街を一人歩いた。 何事にも歴史がある。どんな人にも、小さな会社にも。 今を生きるわたしたちは歴史の先端に立っている。振る舞いを誤れば、行き先は崖かもしれない。歴史は、引き受けた人間次第で終わりもすれば続きもするだろう。 そう思うと、少し気が滅入って肩が重くなる。 しかし、怯んではいけないと思い返した。 懐石を堪能したわたしは、少しも空腹ではなかったがラーメンを啜って帰ることにした。 どんな時も、意気盛んにラーメンでも食べて帰れる人にならなければ、と思ったのかもしれない。 明日の休日は、リフレッシュするためにも早起きして山歩きしようと考えながら、疲れた体で無理してラーメンを味わった。 翌朝は酔いと胃もたれで寝坊したが、慌てて用意を済ませてからオートバイに跨がった。 晴れた空の下で峠道をバイクで駆けると心が張りを取り戻す。やがて草千里にたどり着いた。 今日は杵島岳を歩いてみよう。 或る人がヤマップで「やがて梅雨が来ます」とコメントしていたことが気にかかっていた。 いつでも山を歩けるわけではない。 大雨が続くかもしれないし、体調を崩すこともあるだろう。言われてみれば当たり前のことだが、日次決算が当前の業態に慣れすぎて、そんなことも忘れがちになっていたのかもしれない。 仕事や日々の雑念を振り払いながら、わたしは歩く。舗装された坂道と延々と続く階段を登りながら、その人工的な足元に少し肩透かしされたような気持ちになる。 しかし、向こうに屹立する中岳から昇る白い噴煙と、曇りのない大きな青空を眺めていると、全ては些細なことに思えて、いつか、何も考えることなくひたすら歩いていた。 黙々と歩くわたしの視線の先に赤紫の彩りが見えた。咲き誇る深山霧島の花たちは、祝福されているかに見え、また、祝福しているようにも見えた。 こうも艶やか(あでやか)な色彩が目の前に実在していることに、少し嬉しくなって歩を早める。 急ぐわたしの目は、しかし、艶やかさとは異なるものに捉われた。 枯れた灌木の木立があった。 陽の光に晒された枯木は、漂白したように白い。それは、幾度か火葬場で目にした白骨と同じほどに白かった。そして、意外なことであったが、それはわたしの目に美しく映えていた。 骨の白さに美しさを見いだす自身の感覚に不思議な思いを抱きながら歩を進める。 新たな光景が拡がって、わたしは息をのみ、理解した。 そこには、白骨のような白い枯れ木立と隣り合わせて、赤紫の花たちが生命をみなぎらせて咲き誇っていた。 ーそれ人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、凡そ(おおよそ)はかなきことは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、幻の如くなる一期なり (さて、人間の定まりない有様をよくよく考えてみますと、およそはかないものとは、この世の始めから終わりまで幻のような一生涯であります) ーされば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり (だから、朝には血気盛んな顔色であっても、夕方には白骨となってしまう身であります) 何度か立ち会った葬儀の場で僧侶が唱えていた蓮如上人の御文章の言葉が、わたしの心に蘇っていた。 この言葉を聞いて、人はこの世の儚さを知ると言う。 死は、誰しもが厭わしく思う。 生は、誰しもが望ましく求める。 しかし、それは本当のことだろうか。 赤紫の命は、白い死と連続している。しかし、そうであるならば、枯れ木立の美しい白さもまた、艶やかな赤紫と連続しているのだろう。 美しい死と、艶やかな命はどちらの側からも隣り合わせていた。 生きて、死に、生まれて、生きて、死ぬ。 そこに儚さを見いだすのは人の性であろうが、しかし、山にあってそれは単純な事実に過ぎない。 山が、どこまでも単純なその事実を、いびつに右往左往している小さなわたしに、教えてくれたのかもしれない。 業務にやつれていた昨日の晩からすれば、奇妙なことのようにも思えたが、わたしの心はどうにも明晰な静けさに浸っているようだった。 終わり」
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