秋津町とハンセン病資料館

2024.04.27(土) 日帰り

活動データ

タイム

03:20

距離

8.0km

のぼり

28m

くだり

28m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 20
休憩時間
1 時間 24
距離
8.0 km
のぼり / くだり
28 / 28 m
3 20

活動詳細

すべて見る

朝から雨空。昨日の新入社員祝いのダメージもあり、今日は軽めの散策。 近くにある国立ハンセン病資料館の2024年企画展 「絵ごころでつながる-多磨全生園絵画の100年」を見ることに。

所沢市 新秋津駅から出発。まずは秋津神社。
新秋津駅から出発。まずは秋津神社。
所沢市 ツツジ
ツツジ
所沢市 カエルの詩で有名な詩人の草野心平は昭和38年から秋津に住み、あたりを自然のままという意味の「五光」と命名。その後、秋津橋のたもとに氏の筆により「光あまねし」の木柱が立てられ、昭和56年11月に地域の人々により、石の記念碑が立てられた。
カエルの詩で有名な詩人の草野心平は昭和38年から秋津に住み、あたりを自然のままという意味の「五光」と命名。その後、秋津橋のたもとに氏の筆により「光あまねし」の木柱が立てられ、昭和56年11月に地域の人々により、石の記念碑が立てられた。
所沢市 柳瀬川
柳瀬川
所沢市 ヒルザキツキミソウ
ヒルザキツキミソウ
所沢市 秋津図書館前の碑には北条民雄(1914~1937)「いのちの初夜」の冒頭。
「駅を出て二十分ほども雑木林の中を歩くともう病院の生垣が見え始めるが、それでもその間には谷のように低まった処や、小高い山のだらだら坂などがあって人家らしいものは一軒も見当たらなかった。東京からわずか二十マイルそこそこの処であるが、奥山へはいったような静けさと、人里離れた気配があった。」
「いのちの初夜」は短編小説で、雑誌『文學界』(1936年2月号)に掲載され、第2回文學界賞を受賞。原題は「最初の一夜」で、川端康成により「いのちの初夜」に改題。第3回芥川賞の候補。
秋津図書館前の碑には北条民雄(1914~1937)「いのちの初夜」の冒頭。 「駅を出て二十分ほども雑木林の中を歩くともう病院の生垣が見え始めるが、それでもその間には谷のように低まった処や、小高い山のだらだら坂などがあって人家らしいものは一軒も見当たらなかった。東京からわずか二十マイルそこそこの処であるが、奥山へはいったような静けさと、人里離れた気配があった。」 「いのちの初夜」は短編小説で、雑誌『文學界』(1936年2月号)に掲載され、第2回文學界賞を受賞。原題は「最初の一夜」で、川端康成により「いのちの初夜」に改題。第3回芥川賞の候補。
所沢市 野行の庚申塔
野行の庚申塔
所沢市 多磨全生園に入りました。
北条民雄が闘病しながら「いのちの初夜」を書き上げた秩父舎跡。
多磨全生園に入りました。 北条民雄が闘病しながら「いのちの初夜」を書き上げた秩父舎跡。
所沢市 旧ハンセン病図書館
旧ハンセン病図書館
所沢市 復元された入所者施設「山吹舎」
復元された入所者施設「山吹舎」
所沢市 敷石は盲目患者のため
敷石は盲目患者のため
所沢市 築山(望郷台)。「望郷の丘」と呼ばれ、入所者たちは、この高台から遠い空を眺めながら、故郷や家族を思い涙した。
築山(望郷台)。「望郷の丘」と呼ばれ、入所者たちは、この高台から遠い空を眺めながら、故郷や家族を思い涙した。
所沢市 1953年、学校基本法施行で市内の分校となり、正規の教師が派遣。1979年に廃校となり、2008年に校舎は解体。
1953年、学校基本法施行で市内の分校となり、正規の教師が派遣。1979年に廃校となり、2008年に校舎は解体。
所沢市 樹木希林 最後の出演作「あん」の製作者らによる植樹記念碑。東京オリンピック聖火出発の碑もこの前に。
樹木希林 最後の出演作「あん」の製作者らによる植樹記念碑。東京オリンピック聖火出発の碑もこの前に。
所沢市 「いのちとこころの人権の森宣言」
かつてハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見や差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。
ここ多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐハンセン病資料館、これらとともに多くの想いがある。
この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。
いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。
私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。
 平成21年9月28日    東京都 東村山市
「いのちとこころの人権の森宣言」 かつてハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見や差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。 ここ多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐハンセン病資料館、これらとともに多くの想いがある。 この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。 いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。 私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。 平成21年9月28日 東京都 東村山市
所沢市 ハンセン病資料館の玄関に立っている母娘遍路像。映像化された松本清張の「砂の器」が思い出されます。
ハンセン病資料館の玄関に立っている母娘遍路像。映像化された松本清張の「砂の器」が思い出されます。
所沢市 「絵を描くことがぼくらのすべてだ」は、絵を学ぶために全生園に転園したものの、1枚も描くことなく亡くなった長浜清(1928頃~1971)の詩の一節に由来。苦難の中で筆をとろうとし、絵を描く未来を夢見た描き手に注目することが多磨全生園絵画を振り返る上で大切との考えからこの言葉をキャッチコピーに。
「絵を描くことがぼくらのすべてだ」は、絵を学ぶために全生園に転園したものの、1枚も描くことなく亡くなった長浜清(1928頃~1971)の詩の一節に由来。苦難の中で筆をとろうとし、絵を描く未来を夢見た描き手に注目することが多磨全生園絵画を振り返る上で大切との考えからこの言葉をキャッチコピーに。
所沢市 多磨全生園100年の絵画史が収められています。タイミングよく学芸員の解説を聞くことができ、勉強になりました。
多磨全生園100年の絵画史が収められています。タイミングよく学芸員の解説を聞くことができ、勉強になりました。
所沢市 永代神社。入所者らの手により完成。ご神体は伊勢大神宮、豊受大神宮、明治神宮の3体。
永代神社。入所者らの手により完成。ご神体は伊勢大神宮、豊受大神宮、明治神宮の3体。
所沢市 空堀川。本当にからっからです。
空堀川。本当にからっからです。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。