諏訪山に登り美里町を歩き深谷市の山崎山に登る

2024.03.29(金) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 42
休憩時間
0
距離
7.7 km
のぼり / くだり
163 / 164 m
14
49
28

活動詳細

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 今日は午前中は雨、午後から妻の通院明けからの、近くの諏訪山と山崎山の低山のピークハントと美里町関地区を歩いてみました。  長坂聖天塚古墳下に車を止め、諏訪山の河輪神社に登り、また道の荒れた所を下って美里町を歩きました。美里町の関地区の児玉神社から義民遠藤兵内の墓を訪ね、そこから山崎山に登り、下って関地区の川輪の浅間神社に登り、駐車した長坂聖天塚古墳に戻りました。  諏訪山は東南側の半分は、岡部チサンカントリークラブの美里コースです。また山崎山の山頂は岡部チサンカントリークラブの岡部コース(深谷市)の中にあるピークです。私が記憶しているなかでは、岡部チサンカントリークラブの岡部コースの山崎山はこの辺では古いゴルフ場でした。ゴルフ場イコール山崎山と呼んでいました。  諏訪山は普通に登ることができますが、山崎山はゴルフ場の中にあるので、私有地なので 許可なく入ることは出来ません。しかし、支配人に許可取るために、ゴルフ場に入りましたが、登って行ったら山頂があったので、そのまま下山しました。ごめんなさいm(_ _)m  YAMAPに山崎山は山名が存在しているお山です。

宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 長坂聖天塚古墳の説明板(高さ4.5m墳径50mの円墳、自然の丘に1m盛り土した古墳、5世紀前半の築造)
長坂聖天塚古墳の説明板(高さ4.5m墳径50mの円墳、自然の丘に1m盛り土した古墳、5世紀前半の築造)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 古墳下の史跡長坂聖天塚古墳の石碑(埼玉県指定史跡)
古墳下の史跡長坂聖天塚古墳の石碑(埼玉県指定史跡)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 南側からの古墳
南側からの古墳
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 古墳頂上にある標柱
古墳頂上にある標柱
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 北側からの道路からの古墳
北側からの道路からの古墳
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 諏訪山の登り口の河輪神社への鳥居
諏訪山の登り口の河輪神社への鳥居
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 参道の右側の杉の大木
参道の右側の杉の大木
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 諏訪山への河輪神社の参道
諏訪山への河輪神社の参道
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 河輪神社拝殿
河輪神社拝殿
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 河輪神社の御由緒(坂上田村麻呂が蝦夷討伐の折、当社に祈願した。あっちこちであるやつ!武蔵七党の猪俣党の河匂氏が社殿を造営し、次いで、地頭の安藤彦四郎が戦国時代に終わりから江戸時代に諏訪神社を合祀し、江戸時代は諏訪神社でした。明治時代には、色々な神様を合祀し河輪神社になり現在に続いているようです。)
河輪神社の御由緒(坂上田村麻呂が蝦夷討伐の折、当社に祈願した。あっちこちであるやつ!武蔵七党の猪俣党の河匂氏が社殿を造営し、次いで、地頭の安藤彦四郎が戦国時代に終わりから江戸時代に諏訪神社を合祀し、江戸時代は諏訪神社でした。明治時代には、色々な神様を合祀し河輪神社になり現在に続いているようです。)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 河輪神社の裏の摂社群
河輪神社の裏の摂社群
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 神社の裏には岡部チサンカントリークラブの美里コースがある。一度プロ男子の大会を行なった。プレー中で右側から70ヤードくらいから打った人の打球が低く、グリーンから後ろにこぼれた。残念!
神社の裏には岡部チサンカントリークラブの美里コースがある。一度プロ男子の大会を行なった。プレー中で右側から70ヤードくらいから打った人の打球が低く、グリーンから後ろにこぼれた。残念!
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 諏訪山山頂の神様の石碑
諏訪山山頂の神様の石碑
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 石碑の右側にある諏訪山の山名(標高113m)
石碑の右側にある諏訪山の山名(標高113m)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 昔の荒れた道のを下る(藪漕ぎ状態)
昔の荒れた道のを下る(藪漕ぎ状態)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 諏訪山を下り、田んぼの中を北側に歩く所から、振り返る諏訪山
諏訪山を下り、田んぼの中を北側に歩く所から、振り返る諏訪山
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 北側に歩く先に、赤城山のアップ
北側に歩く先に、赤城山のアップ
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 右側には群馬県から日光男体山方面のアップ
右側には群馬県から日光男体山方面のアップ
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 向かう左側には榛名山山塊のアップ
向かう左側には榛名山山塊のアップ
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 西側には雨降山から東御荷鉾山と西御荷鉾山、手前は金鑚御嶽山と右側は天狗山
西側には雨降山から東御荷鉾山と西御荷鉾山、手前は金鑚御嶽山と右側は天狗山
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 志戸川からの諏訪山の遠望
志戸川からの諏訪山の遠望
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 志戸川の傍らにある義民遠藤兵内之碑
志戸川の傍らにある義民遠藤兵内之碑
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 県道改修により、石碑を移したとの説明石碑
県道改修により、石碑を移したとの説明石碑
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 児玉神社
児玉神社
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 児玉神社の御由緒の説明板(鎌倉時代に若宮八幡宮をこの地に創建したのが始まり、明治時代に色々な神社を合祀し児玉神社となる。)
児玉神社の御由緒の説明板(鎌倉時代に若宮八幡宮をこの地に創建したのが始まり、明治時代に色々な神社を合祀し児玉神社となる。)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 義民遠藤兵の墓(武蔵国ではこの伝馬騒動と西暦1866年の武州一揆が有名で棒ノ峰への飯能市名栗に壁画あり)
義民遠藤兵の墓(武蔵国ではこの伝馬騒動と西暦1866年の武州一揆が有名で棒ノ峰への飯能市名栗に壁画あり)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 義民兵内の墓の説明石碑(江戸時代の中期の明和元年1764年2月、農民20万人参加の伝馬騒動の首謀者で、この辺の名主の遠藤兵内墓、中山道の往来が増えることにより、中山道界隈の百姓たちに、助郷として課すことを割り当てされたけど、助郷が大変なので、この地の関地区の名主の遠藤兵内が首謀者となり一揆を起こしたので、助郷が中止され、後に幕府により、明和三年に処刑された。その二年後に追悼の宝篋印塔をここに建てた。)
義民兵内の墓の説明石碑(江戸時代の中期の明和元年1764年2月、農民20万人参加の伝馬騒動の首謀者で、この辺の名主の遠藤兵内墓、中山道の往来が増えることにより、中山道界隈の百姓たちに、助郷として課すことを割り当てされたけど、助郷が大変なので、この地の関地区の名主の遠藤兵内が首謀者となり一揆を起こしたので、助郷が中止され、後に幕府により、明和三年に処刑された。その二年後に追悼の宝篋印塔をここに建てた。)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 美里町指定文化財 義民遠藤兵内の墓
美里町指定文化財 義民遠藤兵内の墓
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 義民遠藤の墓のある関観音堂(墓地を見ると色々宗派の墓地があり)
義民遠藤の墓のある関観音堂(墓地を見ると色々宗派の墓地があり)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 山崎山への道路からの南側、皇鈴山、登谷山、雨乞山、釜伏山、遠く城峯山の展望
山崎山への道路からの南側、皇鈴山、登谷山、雨乞山、釜伏山、遠く城峯山の展望
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 山崎山の山頂の山名板(標高116m)
山崎山の山頂の山名板(標高116m)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 山崎山山頂から北側の展望(群馬県から日光男体山方面)
山崎山山頂から北側の展望(群馬県から日光男体山方面)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 山崎山の下りからのゴルフ場の練習場越しの御荷鉾山方面の展望
山崎山の下りからのゴルフ場の練習場越しの御荷鉾山方面の展望
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 ゴルフに越しの陣見山方面の展望
ゴルフに越しの陣見山方面の展望
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 山崎山の下りからの左側は比企三山や右側の愛宕山、皇鈴山、登谷山、雨乞山方面の展望
山崎山の下りからの左側は比企三山や右側の愛宕山、皇鈴山、登谷山、雨乞山方面の展望
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 下って岡部チサンカントリークラブの入口を振り返る
下って岡部チサンカントリークラブの入口を振り返る
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 寛保二年十一月吉日の庚申塔(青面金剛明王で下に三猿が彫られている)
寛保二年十一月吉日の庚申塔(青面金剛明王で下に三猿が彫られている)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 山崎山から下る道路からの浅間山と剣の峰、角落山、浅間隠山方面のアップ
山崎山から下る道路からの浅間山と剣の峰、角落山、浅間隠山方面のアップ
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 浅間神社の御由緒の説明板(ここも猪俣党の川匂氏の本貫地、児玉神社の氏子は浅間神社の氏子を兼ねていたようです。創建は不明ですが、鉢形城主の北条氏邦が崇拝して再興したようです。慶長18年に焼失して村民により再築されたようです。
浅間神社の御由緒の説明板(ここも猪俣党の川匂氏の本貫地、児玉神社の氏子は浅間神社の氏子を兼ねていたようです。創建は不明ですが、鉢形城主の北条氏邦が崇拝して再興したようです。慶長18年に焼失して村民により再築されたようです。
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 浅間神社の入口の鳥居
浅間神社の入口の鳥居
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 参道の様子
参道の様子
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 浅間神社の拝殿の社殿
浅間神社の拝殿の社殿
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 浅間神社社殿改修記念碑の石碑(この辺の字川輪地区の鎮守、今の社殿は明治33年に建設され、昭和から平成へと営繕をかさねた社殿です。)
浅間神社社殿改修記念碑の石碑(この辺の字川輪地区の鎮守、今の社殿は明治33年に建設され、昭和から平成へと営繕をかさねた社殿です。)
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 社殿の本殿の様子
社殿の本殿の様子
宝登山・長瀞アルプス・不動山・陣見山・鐘撞堂山 ここが水の枯れない池か?(参道を上がり、直ぐ右側にある池)
ここが水の枯れない池か?(参道を上がり、直ぐ右側にある池)

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