活動データ
タイム
02:55
距離
6.2km
のぼり
301m
くだり
253m
活動詳細
すべて見る🏴江戸時代、大阪堂島と各地方の間で、米相場をいちはやく伝達する方法として大阪商人が開発したのが「旗振り通信」です。10~20㎞おきに見晴らしの良い山を選び、各山頂に人を配して、旗を振る回数や角度で複雑な相場情報を伝達したそうです。 🏴理屈は単純でも非現実的な通信方法のように感じられます。が、なんと大阪から岡山までの所要時間は15分、広島までは27分! ほぼ毎日、複雑な米相場情報を伝達したと言われ、電話が普及する大正時代の初期まで活用されていたと聞きます。 🏴今も山名となっている須磨の旗振山の次の旗振り場所が雌岡山の西隣りにある御茶山だと知り、登ってみることにします。ところが、現在の御茶山山頂は雑木に囲まれて眺望が全くありません。やむなく展望台が設置されている隣の雌岡山に移動します。 🏴15㎞離れた須磨の旗振山に向けて目を凝らしますが、肉眼では到底確認できるものではありません。旗振り役には望遠鏡が貸与されていたとはいえ、あんなに遠くの山で振られる旗をごく短時間で解読していたことに驚かされます。 🏴複雑な暗号を考案し、視力と体力に秀でた人を多数雇い、高価な望遠鏡を貸与するまでして、他者を出し抜いて大儲けを企む商人達の只ならぬ熱意にはもはや感服するしかありません。近いうちに次の旗振り場所、志方の城山にも登るつもりです。 https://inam-walk.blogspot.com/2024/03/blog-post_27.html
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