活動データ
タイム
10:58
距離
16.5km
のぼり
1499m
くだり
1499m
活動詳細
すべて見る水主(みずし)三山とは (キーパーソンは「増吽(ぞううん)上人」) 東香川市にある奈良時代後半創建とされる水主神社は10世紀後半に干ばつによる雨乞い祈祷で功績があり社号が与えられたと言います その後、鳴かず飛ばずの時期があり、水主神社を守護する別当寺「与田寺」の僧侶「増吽(ぞううん)上人」が室町時代(15世紀)この水主神社の周囲の山を熊野三山に見立てて虎丸山、本宮山、那智山を「水主三山」として信仰の対象として売り出したのが始まりらしい 「増吽(ぞううん)上人」は高野山で修行を積み当時衰退していた岡山や香川の寺院等を復興させていました 彼は仏画を描いたり写経集団を率いたり、山岳仏教の影響で熊野信仰にも篤く熊野詣の先達として忙しく活躍していたのでしょう その流れで、虎丸山には新宮神社(熊野速玉大社)を、本宮山には本宮神社(熊野本宮大社)、那智山には那智神社(熊野那智大社)にそれぞれ見立てた神社を置き修験の山として売り出したら修験者も集まるし、信者さんも増えるしのう・・・我ながらいいアイデアじゃと思っていた事でしょう お蔭で現代でも、暇をもて余す老人や体力を持て余す若者に里山歩きのフィールドを提供してくれているのです 虎丸山エリア 虎丸山は湊川と与田川に挟まれた立地で戦国時代以前から地元豪族の山城があった場所で、それだけに厳しい地形をしています 一般登山道は北側から別所・新宮池コースと(石)風呂コースの2本です 叉、サブルートとしては西の星越峠から林道「修験造線」を利用して南側から尾根沿いを上るルートがあります その他、バリエーションルートとして。東の福栄地区から「鬼ノ角」ピークを経由して南尾根を這い上がるルートともう一本東から「三里(みさと)山」ルートがあります 但し、現在東からの「鬼ノ角」と「三里山」両ルートは山の地主さんから入山禁止のお達しが出されています 登山者の目に余るマナー違反がその誘因になった様です これは何処の山でも気を付けなければなりません 那智山エリア 那智山は東側の大社地区から登山道は一本だけです 但し、峰の北側に更に「石見山」三角点ピークと石鉄山(いしづちやま)ピークが有り、そこまでは踏み跡やテープがあります 私は次の縦走目的地本宮山登山口に近い「石見山南西尾根」バリエーションルートを下りました (下山時、イノシシ柵で苦労しましたが・・・) 本宮山エリア くじら石で有名な本宮山も登山道は北側の水主コミュニティセンターからイノシシ柵を開けての1本だけです 但し、周回をする場合のバリエーションルートとして今回私が歩いた「笠ヶ峰」への縦走路を南西に上がり、途中から西の「星越山」三角点峰を経由して「筑波山」へ下り星越峠近くへ周回すると言う非常にルート取りが難しく面白い山域があります 三鈷の松 叉、星越山途中の分岐付近に三本松(3本葉の松=三葉松)があり、これは虎丸山・別所・新宮池コースにもあり、そこに空海に纏わる以下の様な伝説があります その昔、空海が唐で密教の修行を終えて、さて日本でそれを広める道場の適地は何処にしようかと中国の浜から三鈷杵をそりゃ~と日本に向けて投げました。空海は帰国後、その三鈷杵は何処?と日本中を探して歩きました。すると和歌山県の高野山にある松の木に引っ掛かっていたのであります それで高野山に密教道場を開いたと言う伝説には続きがあって、この三鈷杵が引っ掛かっていた松は三鈷杵の様に3つに分かれた葉の形をしていました 普通は二本葉なので「三鈷の松」として信者が群がって3本葉の落ち葉を探して大切に持って帰ると言われています まあ、ここは高野山でもないですが、私はズボンのポケットにそれを2セット入れて帰りました でも 、その事をすっかり忘れてしまい自宅でズボンと一緒に洗濯してしまいました 里山の縦走は藪化する四月までが限度ですね この時期、山ツツジや藪ツバキを眺めながら11時間程里山縦走を楽しみました いや~ 今回も長いレポと写真になってしまいました エントツ山
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