慈眼寺 塩沼亮潤大阿闍梨 講演会

2021.11.27(土) 日帰り

活動詳細

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心の旅部のスタートを仙台に選んだのは、私が尊敬する塩沼亮潤先生(ご存知ない方は画像のプロフィールを参照下さい)の慈眼寺があるからです。 ここで塩沼亮潤先生を知るようになった経緯を少々。私には人生や登山を通じて辿り着いた境地というものがありますが、それが数年前にBSプレミアムで放送された千日回峰行のドキュメンタリーで塩沼亮潤先生がお話ししていた考え方や大切にしていることが、レベル、次元の違いこそあれ、全くと言っていいほど同じで、これだけ厳しい修行をされてきた方が、同じ考えをしているのであれば、自分の考えは間違っていないのかもしれない、正解の一つかもしれないと後押しされているようで、とても心強く感じました。よくある宗教的なとか盲目的な憧れ、崇拝ではないので、非常におこがましい言い方をすれば、同志であり、心の支えのような存在です。 先週、今週とニ週連続で金土日の三連休でしたが先週は友人からのお誘いで食事会やワイン会で埋まり、今週は熊野古道(ここ数年、登山好きな方に人気だったり、憧れる山には興味がなくなり、大峯奥駈道、熊野古道を代表とする修験道や、いにしえの道を歩くことに心を惹かれるようになりました)に遠征する気満々だったものの、倍率が10〜20倍でプラチナチケットとなったジャパンカップ(というよりは三冠馬コントレイルのラストラン&引退式)の指定席抽選に奇跡的に当選するという事態で日曜日が埋ま(馬)ってしまうという痛恨の極み。 車で奈良、和歌山まで行って歩き続けた上、二日で東京競馬場に戻るのは不可能。兼ねてから伺いたいと思っていた塩沼亮潤先生の慈眼寺であれば充分時間はあるので、訪れてみることにしました。別に先生がいるいない、話せる話せないは関係なかったんです。単にあのようなお方のお寺ってどんな雰囲気、空気、佇まい、手入れをされているのかを肌で感じてみたかっただけなんです。で、せっかくならYAMAPの地図に出てきた近くのオボコンベ山と戸神山を登って、どんなところなのか、その土地を理解してみようと。 がしかし、水曜日にお寺のサイトを覗いてみたら、27日(土)はお寺でまさかの講演会があるとのこと。しかも先着40名がまだ埋まってなかったので、速攻で申し込んだというくだりです。 さて、ここからが旅の目的、慈眼寺でありますが、実は昨日に登山を止めた直後に訪れていました。講演会当日では普段の雰囲気がわかりませんからね。 厳しい修行を終えられた2003年の建立と新しいお寺の為、雰囲気は明るいものの何かが違います。そう、至るところにベンチやテーブルがあるんです。おそらく誰にでも開かれた場、憩いの場として来てもらいたいという塩沼亮潤先生の思いやりの気持ちが表されたものと思われます。そして隅々まで気が行き渡った清潔感も半端ではありません。金曜日は朝早い時間だったこともあり、お弟子さんやお掃除の方が何人も毎朝の掃除をしていました。私が想像していた通りのお寺で、ただただ感動しました。 そして肝心の講演会ですが、今までテレビ、本、ネット記事で見聞きしてきたお話とほとんど同じ内容でしたので、目新しいものはありませんでしたが、若い頃に師匠や先輩から叩きこまれたことの一つとして話に出た、「挨拶をする時は必ず立ち止まる」というのは相手に気持ちが伝わる美しい心がけだなと感じたので、すかさず講演会後に本堂の下でお見送りをする塩沼亮潤先生にお礼と立ち止まっての挨拶を実践して帰りました。 最後にいつも通り気付いてしまったことについて 今回の講演会において、私の真価が問われるような場面に遭遇しました。それは私の二列前(最前列)の席の55歳前後と思われる女性二人組が講演会開始15分前に席に着いたのですが、紙袋に入ったスマホ、レコーダーと思われるもの各一つずつの録音ボタンを押したのを目撃してしまったからです。しかも、スマホの液晶画面が起動しているのか、紙袋を透けてずっと灯りが漏れているではありませんか。 「おいおい、塩沼亮潤先生の講演会でそれをやるんかい!」と呆れてしまいました。 そもそもの前提として、今回の講演会はお金を払って参加するもの。ショッピングモールの無料イベントとは違うので、ルールを守る必要があります。録音や撮影の禁止についてはチケットにも記載ありますし、開始にあたっての注意事項でも説明をされています。それ以前に神や仏のいる神聖な場所でそういった行為を慎むモラルを持ち合わせていないことに驚きますが、私が呆れた真の理由はそこではありません。なぜなら、塩沼亮潤先生が日々心掛けていることとして、「独りを慎む」、すなわち「人目のないところでも自らを律して裏表なく正しい行いをする」ということを必ずと言っていいほど挙げられるからです。その女性達は席の番号的に5~10番くらいで申し込んでいることから、相当熱心なファンというのが想像に難くないので、上に挙げた塩沼亮潤先生を教えを知らない訳がありません。 真っ先に思い浮かんだのは「そういうことは先生が一番やっちゃいけないって仰ってることなんだから」と言って止めさせることです。がしかし、すんなり「すみません」と言って止めれば良いものの、万が一、女性が頑なに「そんなことやっていない」と言い張って、言い争いになった場合、会場の全員が気分悪くなるだろうなというリスクも残るので、最善策ではなさそうです。 ではどうするべきか?私としては他の方だって、出来ることなら録音して家で聞き直したいはずなので、自分たちさえ良ければいいという不公平、不平等、思いやりのない行為は許しがたいのですが、「どうせこんな奴らは幸せにはなれないし、周りの人から愛されることもないだろう」ということにして忘れてしまえば。。。つまり私一人が我慢するのが一番良いのかなという結論に至りました。 やはりこういう自己啓発というものはある程度の精進を重ねた人でないと理解できない段階、境地があると思います。例えば数学を勉強する時に、習熟度によって納得できることや疑問に思うレベルが変わってきますよね。ニートが経営者の話を聞いても理解できない、真似できないように、何にも追い込んでいない人が為になる話を聞いても、三日坊主が関の山。例えば早起きするとかがありますが、その行為をすることに意味があるのではなく、そのような行為を前向きに出来る心を養うことで、いろんなことに前向きに取り組めるポジティブな人間になり、人生がどんどん豊かになっていくということが理解できないのでしょう。おそらくこの女性たちのレベルでは「○○をする」、「△△が大切」とかをメモするだけで、先生が本当に伝えたいことは何にも伝わらないんだろうなということを学びました。 がそれだけで終わる訳もなく、講演中にその女性の片割れ(おそらく首謀者)が先生のお話に頷く回数と過剰なまでの共感アクションが半端なく、最優秀聴講者賞間違いなしのレベルで余計に腹が立つのなんの。。。最優秀聴講者気取りのくせに、陰で録音しているなんて恥ずかしくないのかよと。。。 キム兄が何度も同じボケ(過ち)を繰り返す車屋に対して言った「そういうとこやぞ、キクチ」をもじって、「そういうとこやぞ、ババア」と突っ込んだのは言うまでもありません。 詳しく知りたい方はYouTubeで「木村祐一 すべらない話 キクチ」で検索してみて下さい。

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