ほてい
ユーザーID: 801502
- 滋賀, 奈良, 三重で活動
- 1952年生まれ
- 京都にお住い
- 男性
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ツツジが赤く染める葛城山。 この日、本当に綺麗な景色だと思いましたが、このツツジにまつわる歴史を考えた時、山を愛する者としてどう捉えたらいいのか迷ってしまいました。 ここは、古く辿れば8世紀に役行者が生駒山系から修行を始め、葛城山系、和泉山脈、友ヶ島と続く道は修験道の発祥の地です。 現に、金剛山はその名も無く大和葛城山から和泉葛城山まで葛城山と呼ばれていた様です。 そんなころ、こんなツツジの群生は見られていなかったはずです。 近年になり葛城山を観光地化しようとする資本がロープウェイを付け、山頂に設備を整え人を呼び込もうとしたのです。 ちょうどその頃、葛城山山頂付近を覆っていた笹が寿命を迎え、最後の花を咲かせ、子孫にDNAを残すべく枯れていきました。 タイミングよく、笹の代わりに芽を出したのがツツジでした。ツツジは綺麗な花を咲かせます。笹がいくら山を覆っても人は見向きもしません。ツツジが咲けば人は「綺麗」と集まります。 それを利用すべくツツジの下草の駆除をすすめます。 それを「剪定、手入れ」と呼び葛城山に名物が出来上がりました。 僕は常々人の営みも自然の一部である、と言う考えをしています。 吉野山の桜しかり、奈良公園の鹿しかり、富士山しかり。 ですから、人が自然に手を加える事は否定的ではありません。 でもね、なんかモヤモヤするんです。もう少し時間をかけて考えみたいと思います。
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先日行ったシェークスピア氷瀑群。 その途中に見た看板、この前で僕はしばし考え込みました。 これまで、沢山の人が歩いているはず、しかも、テレビで紹介もされていたと聞く。なのに? これはきっと、登山者にでは無く、他の目的を持った人への忠告なんだと勝手な解釈をしてやり過ごしました。 下山後もこの事が心の隅に引っかかり、川上村のホームページを確認しました。やはり、ここには一部私有地が含まれ無断で入る事は出来ないとありました。ただ、川上村で主催するツアーのみが、その許可を得ているとあり、今後は個人での入山はできないようでした。 今まで僕は、山でのルールを守ろうと心に刻んできたのにこんな事になり、本当に申し訳ない気持ちです。大反省‼️
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初日の出を見ると言う目的で滋賀県甲賀市と三重県伊賀市の堺にある御斎峠にやってきました。途中の道はさして雪は無く冬用タイヤをつけていれば難なく上がれます。峠近くでは雪が4〜5センチ積もっていて、それも、まっさらの轍のない道で、気分良く駐車場に車を止め時間待ちをしました。外に出て上を見上げると思いもよらない満天の星空❣️さっきまで雪がチラついていたのに?しかし、数分後には雲が全てを覆い尽くしてしまいました。 時間がきたので展望台にむかいます。階段を何十段か登れば、東屋のある景色の良い場所で、僕一人でした。少しすると数名の方が上がってこられ、人が増えていきます。肝心の日の出は?と東を見ると、青山高原の上に厚い雲がまとわりついています。今年はちょっと無理っぽいな?と思いつつ日の出を待ちます。雲がなければ顔を見せているであろう朝日はまだ見えません。20分ほど遅れてやっと雲の上に2022年の新しいおひさまが顔見せました。これはこれで感動ものでした。
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46 収まるどころか、感染の広がるコロナ禍! 真夏に降り続く雨。 心が湿っぽくなり、人への疑心暗鬼に襲われて、イヤになりそうな日々です。 きっと、これは「好山病」の禁断症状に違いない! という事で、せめて山の空気を吸ってやろうと、雨の中、車を走らせ生駒山に向かいました。山頂は小雨、雲の中。ならばと、さらに先に進みます。パノラマ展望台まで来ると、雨が上がってきました。車をおりカメラを構えると、下からの風に雲が吹き飛ばされて、周囲が見渡せるほどに回復。 大阪側は雲の隙間から少しだけ下界が覗け、奈良側は何と雲海になっていました。 南を見ると、信貴山、二上山、葛城山、金剛山が雲の合間から顔を覗かせています。素晴らしい光景に息をのみました。しっかりと、五感全てを総動員させ山を感じ、気持ちも落ち着き、癒されました。 欲張って、さらに先の鐘のある展望台から景色を楽しもうと、行きますが、ここからは猛烈な雨と風でまるで台風の中にいるようで、危険を感じて引き返しました。パノラマ展望台のところも大雨。僕がいたあの瞬間だけが晴れてた? 今日も山の神様に感謝です。ありがとうございました😊
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45 現在の私のバックパックの中身 ともかく、ザックに入っている物を出して並べて見ました。 バックパック:コールマン、パワーローダー43L バーナー:SOTOウィンドマスター メスティン、ケトル、フライパン、他色々 ホットサンドメーカー まな板 風防 テーブル バーナーマット 座布団 コーヒーミルセット 緊急時セット:モバイルバッテリー、ポイズンリムーバー、ソイヤーミニ、ライター、ファイヤースターター、エマジェンシーシート 救急セット 簡易トイレ ツェルト、ガイライン、ペク、 マット シュラフ 雨具 今まで、どんな山でも、近くても、低くても、ずっと同じ荷物を背負って歩きました。 それは、必ず来るであろうテン泊に備えての練習になると信じて、重くても、邪魔になっても持って歩きました。 これからは、軽量化に向けて考える時です。食べ物も簡素化しなくては、必要最小限の事を考えます。
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42 面不動鍾乳洞 大天井ヶ岳からの帰り、洞川の街に寄り龍泉寺と面不動鍾乳洞に寄りました。 龍泉寺も言わずと知れた、役小角所縁の寺で真言宗のお寺ですから、高野山との縁もあるのでしょう。水行をした滝や八大龍王のお堂があり、周りには、一般人の大峯修行の碑が沢山立っています。横には山上ヶ岳記念館の様な所がありましたが、お休みでした。残念。そのあと少し車を走らせ面不動鍾乳洞の駐車場に止めて、モノレールで上に上がりました。鍾乳洞はそんなに規模は大きくありません(秋芳洞と比べる事は気の毒かな)が、地元の方が観光資源として一所懸命に頑張っておられるのがみてとられました。いろんな形の鍾乳石や石筍が面白いです。ただひとつ、提案ですが、あの赤や青の照明は余りいただけないかと、薄暗い蛍光灯で良いのかなと感じました。洞窟の容積とすれば、この前に行った河内風穴のほうが大きいかなと。でもこちらは鍾乳石はないので風穴と呼んでいるのでしょう。いずれにしても、地元の方のご努力に何らかのの形で応えたく、出来るだけいろんなものに費用かけていこうと考えさせられたものでした。これからも、何度もお邪魔するので、よろしくお願いします。
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41 鍋尻山の帰り、河内風穴に寄りました。 思っていた以上の規模で、この公開されている部分は多分一部で、もっと沢山の洞窟や、穴が存在してるのでは?と思いました。 洞窟内で、私は「ぶうぉ〜ん」という音が聞こえて、「これは、換気の為にファンをまわしてる?」なんて思って周りを見渡したのですが、それらしき物はなにもありません。それで、耳を澄まし音のする方を探ると、地中から湧き上がって来てるではないですか。確かに、この足元の下に風が吹いてる音がしてます。きっと、この下も穴だらけだろうと、だからここは鍾乳洞と言わず、風穴と呼んでるんだと思いました。 また、私のフォロワーさんがここでコウモリを沢山見たと書いておられましたが、今日はその姿を見ませんでした。きっと、日曜日だったので、人の出入りが激しく、コウモリも避難したのかなぁなんて思いました。
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40 役小角と修験道と私。 近鉄生駒線の駅で元山上口という駅があり、ここから、西に少し上がると、千光寺という真言宗のお寺があります。(私はまだ行った事がありません)ここの事は、山友のMさんがかなり詳しく、何度も歩いておられます。その活動日記を見ていても、ここはやはり「役小角」が開祖である事がわかります。 役小角が金峯山寺を開く前にこの場所で、自身の母親と共に修行をしていたと言われています。昔から、「元山上口駅」の事は知っていましたが、どうしてこんな名前になったのかなんて事は考えもしませんでした。 吉野、大峰の山上ヶ岳の元はここにあるのだという意味なのか?そんな事を考えながら1300年の昔に思いふけりました。 そして、私が好きで何度も歩く鷲峰山金胎寺も「役小角」が開祖である事を知り、また、驚きと、感激に浸っています。こちらの寺は天台宗のお寺です。 私は、本来の修験道は仏教とは距離を置いたものではなかったのかと思っています。あるいは、役小角が興したものは単なる山岳信仰で修験道とは呼ばれるものではなかったのか?(現に仏教が広まる前から存在していたのですから)その後の修験道においては修行は在家でも出来、ごく普通の一般人が全国から集まり、大峯での経験を活かして、現実社会で生きていました。 金峯神社から青根ヶ峰の道で沢山の石碑を見ました。そこには個人名で「この大峯に三十三度登りました」「五十回歩きました」とか、会社名で「新人研修で大峯登山をしました」などとありました。 明治以降、修験道は禁止され、仏教の天台宗か真言宗のどちらかに属さなければならなくなったと聞いています。ですから、今の修験道は役小角が描いたものとは少し違ったかたちになっているのでは?とも思います。この事はまだまだ勉強不足で、語れる程のものは有りません。 近畿圏だけでも、無数の山が私を待っています。これらの山できっとまた「役小角」「役行者」というワードを目にする事でしょう。その時には手を合わせ千三百年前の空気を感じたいと思います。
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