宮王
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- 北海道で活動
- 1959年生まれ
- 男性
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昨夜未明から暴風雪となり、深々と降り続いていた雪が昼過ぎにようやく止んだ。 なんだかんだで約50センチ強は積もった。 正月三が日は、穏やかな天気の筈が、最後の最後にドカ雪。 夜中の3時から昼過ぎまで、休憩も取らず、朝昼食も摂らず、休みなく雪かきをした。 おかげさまで、腰が痛い、肩がだるい、膝も痛い、全身疲労困憊… さぁ、明日から初仕事。 しかも早朝の早番、寝坊しそう… ところで、この大雪、全市的だったのだろうか? 皆さま、ゆっくりお正月過ごせたのでしょうか? 年始のご挨拶、明けましておめでとうございます。 昨年は色々な方からコメントや、メッセージをいただき、大変お世話になりました。 今年もよろしくお願い致します。
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先週、京極椴山の山行の際に気になった脇方小中学校跡地について調べてみると、過去の歴史が紐解かれるような文献があった。 そもそも、この場所に小中学校があったという事実から、戦前に遡ることになる。 明治44年4月1日開校のち、昭和45年10月31日閉校。 京極町市街地から道道784号線脇方面奥へ進むと、日鐵鉱業倶知安鉱山が操業されていたという。 しかも、国鉄胆振線京極駅から、この場所へ脇方支線の鉄道が敷かれていたという。 その鉄道は鋼鉄の貨物輸送として栄えたという。 その脇方駅のあった場所が、写真にもあるように、京極町一般廃棄物最終処分場だという。 今では、その面影すら見えないのが残念。 面影と言えるか定かではないが、それらしきものがある。 駅があったであろう奥の方に、当時の面影として、日鐵鉱業株式会社の北海道鉱業所記念碑と機関庫がまだ残っている。 昭和61年11月に廃止された国鉄胆振線京極駅から約7.5kmの脇方支線が昭和45年11月1日に廃止され、脇方駅は事実上廃駅となったという。 事実上、その前日にこの脇方小中学校が閉校されたという不思議な生い立ちだった。 平成12年に処分場が建設された当時、大量の鉄道レールと枕木が出土されたという。 写真1枚目の脇方集落へと続いていた橋は「鉄見橋」と呼ばれ、脇方駅の鉄道を見ることができたという。 この廃線跡地に今でも残る当時のワッカタサップ川に橋脚の名残りがあるという。 この駅(現・処分場)の両側には、たくさんの建物、郵便局などが立ち並び、人口も4000人と増えていき、生活感溢れる当時の様子が目に浮かぶようだ。 明治41年、福島・宮城・山形県の移住者が相次ぎ、当時東倶知安第一尋常小学校附属奥ワッカタサップ特別教授所が開校、その後鉄山開発(60万トン近い生産高を誇っていた)により大規模集落に発展、その後脇方小中学校となる… その発展となった日鐵鉱業倶知安鉱山の休山とともに、この日鐵鉱業所が札幌に移転され、当時入植した農家は離農、無人と化して衰退していったという。 いろいろなことを調べていくと、この地でも、過去の遺構に触れることができたように思う。
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2022年元旦は、私の地元は勤務のあった大晦日からずっと大荒れの暴風雪です。 もう何度、雪カキに追われた・・・ 2日間で多分、50センチは超えたと思う。 山さ行くにも、帰宅後の雪カキが怖い・・・ なので雪カキに専念した1日でした。 おかげで違う意味での寝不足です。 近況はさておいて、昨年は思うように山へ出掛けられず、未消化に終わった1年でした。 今年は、ストレスが溜まらないように消化したいものです。 最後にあらためて・・・ 明けましておめでとうございます。 皆さまにとって有意義で素晴らしい年になりますようお祈りしています。 今年もよろしくお願いいたします。 追記・・・写真は、浜益岳への登り
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最近思うこと… 休み無しの忙しい日々が続き、山活できずにいた… と言い訳してるだけだとも思う。 正直疲れが溜まっていたようにも思う。 あと何年現役で仕事ができるのだろう… あと三年半で現役を退き、年金生活… 建設、土木、運輸など多種多様に40年以上も現場に携わってきた… 今現在、後輩の育成も兼ねての勤務だが、なかなか難しいものがある。 若い世代が減少… 今の日本は、人気のIT企業だとか、アパレル企業だとかに流れる若い人たちが増えてきている… 3K職場と言われる現場系は高齢化しつつあり、若い担い手が減少傾向にある。 寂しい事だが… そして皮肉にも、それが時代の流れなのだろう… 40年以上携わってきた現場での作業には色々な事があった。 まず、多種多様な建設、土木、運輸に関係する資格だが、いつのまにか免許証や、技能講習終了証、安全講習や再教育、などいっぱい… カード入れがパンパンになってしまった😄 思えば、勉強嫌いな自分だが、机に向かう事も多かったのだと思う… 生涯まだまだ勉強という事か… 死ぬまで現役でいられることを願うばかりの今日この頃… あぁ〜なんて、つまらない話ばかりしてしまったのだろう😄 失礼しました。 追記…年金生活しながらでも、いつまでも現役で働けるといいなぁ〜😄
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この本を見るたびに思い出す… 著者でもある坂口さんが「北海道山楽紀行」を発刊された時に送っていただいた、今では貴重な直筆のサイン入りの本… HYML創設者のひとりでもあり、「一人歩きの北海道山紀行」のHPでも、有名な花sakagことguchiパパ、坂口さんが、先日2月10日に大滝でクロカン練習中に倒れ、息を引きとりお亡くなりになりました。 北海道の山をやる人なら、誰でもご存知だと思います。 もう20年以上前にネットで知りあい、その後、何度かご一緒したこともあり、大変お世話になった大先輩でした。 飾らない性格で、気さく、面倒見が良く、本当に素敵な人でした。 おしゃべりが上手な人で、喋り出すとマシンガンのように止まらないという、まるでマシンガントークとまで呼ばれていましたが、もうあのマシンガントークを聞くことも無くなるのはとても寂しい気がする。 奥様曰く、「死ぬなら、ピンピンコロリと死ねればいいなぁ」と本人は言っていたらしい。 それにしても、人の命は儚いものだとつくづく思う… ご冥福をお祈りします… いつか自分も死ぬ時が来る… 坂口さんが言っていたように、「ピンピンコロリと死ねれば幸いかなぁ〜」と思うこの頃です…
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ようやく真冬並みの寒さから開放され、日増しに暖かくなってきた… もう2月半ばともなれば、雪溶けも進み、春の気配がする… 本州では、もう桜の便りがきている… そしていつも遠くの山々を眺めては、「はよ、山さ行かねば雪無くなるべっ…」と、囁かれているような気がする… 歳とともに、少しづつ山から遠ざかっている気がする… 「あ〜しんどい…」なのに何故、山を登るのだろう… たかが趣味だが、まだまだやり残している山がたくさんある… その目標があるからこそ、仕事も頑張れるのかも知れない… 若い頃は、夏山に飽き足らず、冬山、ロッククライミング、沢登り、アイスクライミング、などなど、手当たり次第トライしてきた… たまには山に感謝したくて、色々な山の笹狩りなどの登山道整備や、日高幌尻岳の山小屋糞尿の担ぎおろしなど、何度もボランティアさせて頂いたことも… HYML「北海道山のメーリングリスト」の仲間たちと、「北海道の雪山ガイド」本で、大滝の徳舜別山と樺戸山塊の濃昼岳を取材、編集、執筆担当させていただいたことや、北海道の沢登りの本や、道新コラムの執筆などで知られているganさんと同行していた頃に写真など提供させていただき、その本の巻末に、協力者の名前の中に自分の名前が掲載されていたことなど、まるで夢の世界に浸っていた… どれも思い入れのある財産… 多分、これからもまだまだ現役でいられるよう日々常々、健康第一で頑張らねばと思う今日この頃… そして、1日でも早くコロナが終息して、平和な世の中になりますように願うばかりです…
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