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2021年からyamap利用。幅広く山登りを楽しんでいます。時々ですがAmebaのブログに"トジハジ日記"という名で山旅の記録をのせています。1946年生まれ。 現在は北海道の山に年1回訪れるのが1番の楽しみ。 ----------- 二十歳から25年程アルパインクライミングにのめり込み、その後のプチ空白期間を経て定年後に山歩きを再開。いよいよ年齢的に終活登山段階に入り、体にもいろいろなトラブルを抱えながらの登山ですが、静かな山旅している時が生きていると感じる時です。単独登山がメインで、訪れる人が少ない山で出会う人との一期一会を楽しんでいます。 好きな言葉 自由とは何事かに向かって邁進しようとするその時間の中に(ユーリッヒ・フロム) 生涯現役とは自分なりにチャレンジできる人。 --------------------------- <65歳定年後の山旅> 名山コレクターではないが結果的に登ったXX名山(宿泊登山の小屋利用は尾瀬の2泊と幌尻岳の1泊のみ。これ以外は全て自炊テント泊) 日本100~300名山 166座 信州100名山 83座 岐阜100秀山 95座 岳人100ルート バリ30ルート+arufa 岳人100ルートだけは流石に この齢では不可なルートが多い。 日本百高山 91座 北海道100名山 47座 (74) 70歳代で感激した山トップ5 1位 カムエク。夏山シーズン前に単独で。誰もいない静かな山を独り占め。カールでの羆との出合いもあった。 2位 妻と歩いた黒岳からトムラウシ山テント泊縦走。シーズン前の6月下旬は残雪が豊富で妻に苦労させてしまった。ザック25kgだったか。 3位 妻と歩いた朝日岳から白馬岳へのテント泊縦走。美しさが忘れられない。 4位 谷川岳逆馬蹄形縦走。兎に角、素晴らしいコース。一ノ倉沢登攀の記憶もよみがえり懐かしかった。 5位 白出沢経由奥穂高岳-西穂、一泊2日テント泊縦走。慣れ親しんだ穂高とのお別れ山行に選んだ。 --------------------------------------- 忘備録(登山は人生においていろいろな想い出をつくってくれた。以下、定年前の主な想い出) ・アルパインクライミングの記憶 積雪期、無積雪期の穂高、劔岳、錫杖岳、笠ケ岳、奥鐘山、唐沢岳幕岩、北岳、谷川岳(衝立岩の1回のみ)、八ヶ岳にて計70ルート以上 ・バリエーション尾根 槍穂山域のバリ尾根 積雪期の槍ヶ岳から西穂高岳までの新穂高温泉側の全尾根と積雪期の硫黄尾根、北鎌尾根など(一般コース含まず) 剱岳山域のバリ尾根 小窓尾根、八ツ峰末端から剱岳(ソロ)、源次郎尾根、剣尾根末端から剣岳、他。 ・アイスクライミング 南ア、中ア、八ヶ岳で多数。 ・沢登り 中央ア、奥美濃、比良山系、鈴鹿山系に集中、他に地域では黄蓮谷、黒部上ノ廊下など。 ・3000m級の山頂からのスキー滑降の記憶 富士山、劔岳(山頂からではない)、穂高岳(北穂から縦走後に涸沢のコルから) 、御嶽山(2)薬師岳、北ノ俣岳 、木曽駒ヶ岳、白山、乗鞍岳、白馬岳(上り白馬岳主稜)、槍ヶ岳(2回、肩より)。 *劔岳、穂高岳、薬師以外は日帰り。 ・主なロング日帰り山行(13時間から21時間)の記憶 上高地ー前穂東壁登攀ー前穂高ー岳沢ー上高地(2回) 新穂高ー滝谷出会ー滝谷グレポンー涸沢岳ー白出沢ー新穂高。 新穂高ー南岳南西尾根ー中岳-大喰沢下降ー新穂高(積雪期)。 上高地ー横尾ー屏風岩東壁ルンゼー屏風の頭を越えてルンゼ下降ー横尾ー上高地。 大樺沢ーDがリー大滝−4尾根フランケ−4尾根ー中央壁ハングルートーCガリー奥壁ー北岳頂上ー大樺沢bc。 ゲートー広河原ー北岳第四尾根ー頂上ー広河原ーゲート(積雪期)。 谷川岳一の倉沢衝立岩。熱中症になり夢遊病者状態で真夜中下山。盛夏のお盆に僅かの水で登った罰。 海外登山の記憶 アイガー、マッターホルン(2回。内、積雪期ソロ1)、モンブランとモンブラン山群のクライミングルート、他にイギリス、USAでの山旅。 運が良くて命拾いした記憶 ・正月に白馬から唐松岳縦走中、白馬鑓ヶ岳頂上から転落(猛吹雪で地面と空間の境が分からず)40m,帆布のキスリングのお陰で滑落は止まった。顔面強打で、顔が倍?に(自力下山)。 ・穗高屏風岩未登ルートで40m墜落(ランニングビレーがとれず、浮石掴んで20mx2墜落)、出血は大したことは無かったがショック症状で血圧が低下しガタガタ震えて危うかった。(自力下山) ・屏風岩東壁をZ法でソロクライミング中、シュリンゲが切れて20m墜落、右脚骨折。懸垂下降で降りきった時は右脚一部が打撲で倍に腫れ上がっていた。自力下山。 最長山旅の記憶 白馬岳ー西穂高岳(ソロ、テント泊、無補給、約40kg、名古屋発着8日間)。天狗の大下りで酷い捻挫(今なら即ヘリ要請)、五竜テン場で連泊を断られた時は辛かった。この頃の装備、食糧はインスタント食品殆どなし、帆布リュック、白ガソリン、ホエーブスなど ・一番バテた記憶 日本最大の壁である黒部の奥鐘山西壁を真夏(お盆休み)に僅か500mlの水だけで登攀し完全にバテた。完登後は5分歩いて10分休憩を繰り返した末、白馬岳から祖母谷温泉に下る登山道に飛び出したときはパートナーと抱き合った。 もう一件は上述した谷川岳衝立岩正面を登った時。 ・遭難救助の記憶 冬、鹿島槍ヶ岳天狗尾根で雪庇を踏み抜きカクネ里へ転落したパーティの救助。 三ノ窓雪渓の喉で疲労で動けなくなった人の救助。 剱岳、長次郎のコルからグリセードに失敗し頭部重症の人の救助。背負って降った為、足の爪の半数以上が死んだ。 積雪期、西穂高から奥穂高岳へに縦走中、天狗の頭付近から滑落した人の救助。 ・雪崩の記憶 北ア錫杖岳前衛フェイス3ルンゼで雪崩に襲われたが間一髪で免れた。パートナーはザック喪失。 ・雷の記憶 春の北穂岳滝谷ドーム登攀中、雷雲に巻かれてヒョウに叩きつけられ続け、ピッケルも唸りつづけて生きた心地がしなかった。同日同時間帯に隣の西穂独標で落雷事故があり10名程死亡。前穂高岳東壁、四峰正面壁でも似たような経験をした。 ・リングワンダリングの記憶 1.冬山合宿最終日、吹雪の中、後立山天狗の頭手前の天狗避難小屋から白馬岳経由栂池へ向かったが約2時間後に天狗避難小屋へ戻ってしまった。 2. イギリス スノードン山系で濃霧の中を進んでいたら約2時間後に再び通過地点に戻ってしまった。 ・ビバークの記憶 1. 積雪期、滝谷出会いから第2尾根を登攀。真夜中になっても稜線まで抜けれず這松に潜り込んでビバーク。 2. グレポン登攀後、稜線での極寒ビバーク 3. 正月合宿で錫杖岳左方カンテでのビバーク(当時はダブルアックスなどの技術無く時間がかかった) 3. 西穂高西尾根JC付近での風雪ツエルトビバーク。などなど。 ・敗退の記憶 長い登山経験の中で敗退した記憶は以下の5回。 1. 北アの烏帽子から槍ヶ岳を目指したが水晶岳付近から吹雪状態になり槍を目前にして疲労していた一人が動けなくなった。稜線の嵐から逃れる為、登頂を断念して千丈乗越から槍平へ下った。 2. GWに餓鬼岳から燕岳へ縦走中、北燕山の夏道であるトラバース(積雪期は急な雪壁状態200mほどか?)地点を通過中、春の嵐で重くなりつつある雪壁に全層雪崩の危険を感じ、途中から稜線へ逃げた。しかし大きなギャップが現れた。懸垂下降してもギャップ先の垂壁(そのように見えた)が登れなければ進退窮まる為、燕山荘の明かりを目の前にして苦渋の断念。東沢乗越から中房温泉へ下った。 残りは”運良く命拾いした記憶"の3件。 一番通った山: 穂高3山と劔岳。 穂高には毎年10回は通った時期が15年以上続いた。メインは滝谷、屏風、前穂の岩壁群の岩登り。穂高3山のピークに立った回数は100回をくだらない。最後の"さよなら穂高"登山は74歳、2020年9月の白出沢から奥穂高岳-西穂高、テント1泊2日縦走(Amebaブログ参照、当時は白出沢通行禁止だったが😅) 劔岳は夏合宿のクライミングで10年ほど通った。四季を問わずピークに立った回数は30回程度か。劔大滝挑戦の夢かなわず。最後の”さよなら劔岳”登山は70歳、2016年?テント1泊立山-劔岳-早月尾根縦走。 羆との遭遇 1. 札幌岳にて下山中、曲がり角出合い頭で羆とのまともに鉢合わせ。当方にスピードが出ていたせいと思うが相手がビックリして間髪を入れずに笹薮に飛び込んでくれた。今でも思い出しても冷や汗がでそうになる。 2. シーズン前の誰もいない日高カムエクで100mほど先にいる登山道の熊を発見。笛を何度も吹いたらこれから向かう稜線の方に上がって行った。 その他の忘れられない出来事 1. 隕石とのニヤミス 北アルプス錫杖岳前衛フェイスを登攀後、クリヤ谷への下降地点(烏帽子西肩)へ向かう途中日没。烏帽子岩東肩近くでラテの電池が切れてリッジ状の所に跨って着の身着のままビバークしていた時、隕石が火花をちらしながら向かい合ってリッジに座っていたパートナーの直ぐ背後を通過して錫杖沢へ落ちていった。 2. 神の存在を信じざるを得ない出来事。 残雪期の奥美濃、金糞岳を登る途中の休憩地点でパートナーのコンタクレンズが外れて落ちた。必死に2人で探したが雪上という条件もあってか見つからず諦めて登山続行。下山時、同じ場所で休憩。神様、どうかレンズの場所を教えて下さいと念じたら、ある場所がキラリと光った。そこにはなんとコンタクトレンズがあった。 3. 目が霞んで見えにくくなったことが2回ある。 1回目は強風の厳冬期八ヶ岳大同心の岩壁を抜けてセカンド確保中にメガネの凍りつきではないことに気がついた。2回目は南アでの荒川出合いのアイスクライミング後。原因不明。 END