やざ
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- 長野, 山梨, 東京で活動
- 1972年生まれ
- 千葉にお住い
- 男性
山国信州諏訪出身
海国千葉浦安在住
全国通訳案内士(中国語)
趣味は、登山、街歩きと中華圏
将来は八ヶ岳で英中日登山ガイド。
ホームは出身地のシンボル八ヶ岳。
普段は奥多摩、中央線沿線の山に出没。
南八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳と奥多摩の鷹ノ巣山が推し。
2023年は箱根、丹沢まで守備範囲を拡張。
最近ホームの八ヶ岳も中華圏の方が多くなった。
今は日本在住の方が多いが将来インバウンドが復活したら、
首都圏から無理なく一泊二日で本格的な登山ができる八ヶ岳を世界にPRして
日本の山の良さを知ってもらいたい。
実家から見える横に長い八ヶ岳を見て育つ。
故に諏訪側から望む八ヶ岳が正面と信じて疑わず。
実家や茅野駅から見える八ヶ岳の真ん中は、実は阿弥陀岳。
主峰赤岳が隠れていると知ったのは40代で登山を始めてから。(笑)
信州伝統の中学集団登山では、地元諏訪の中学生は当然八ヶ岳。
硫黄岳と天狗岳に初登頂。
基本的に信州人は中学生のときに初めてのお山が
2,500m~3,000m級の高山という人も多い。
私の親世代は問答無用で集団登山は赤岳だったらしい。
集団登山で赤岳?!親父によると、昔の山小屋はコメは登山者が持参して、
山小屋に炊いてもらうシステムだったとか。
賛否両論があるが、山小屋は普段は登山道の整備など山の安全に気を配り、
いざとなったら命を張って登山者の救助もする。
山のルールを知らない、知ろうともしない登山者には厳しくて当たり前。
集団登山で登った硫黄岳の山頂から見た南八ヶ岳の眺望に感動したことを覚えている。
さらに蓼科山から編笠山へ縦走し小淵沢駅まで歩くと言うお兄さんとの雑談も記憶に残る。
以後、40歳まで本格登山なし。
山歩きの面白さを覚えてからは
冬山以外の日帰り、テン泊、小屋泊メイン。
最近、古道や廃道に関心あり。
道路がまともに整備されていない時代、
平地を流れる河川は防衛上の理由で橋は架けられておらず、
一度豪雨となれば水かさが増し渡れないので、
山の尾根道はアップダウンはあっても、
遠方に行くために便利な道だった。
したがって、山道を歩くことは
昔の人にとっては当然のスキルだった。
日本の山は信仰の対象とされ修行や登拝の場所として
古くから登られてきた。
現代人と比べて、はるかに強靭な足腰をもっていた
昔の人のように山を歩きたい。