スクナヒコナ
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- 東京, 埼玉, 神奈川で活動
- 1963年生まれ
- 東京にお住い
- 男性
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たまたま、見つけたのですが。時代の流れなのでしょうか? 東京都羽村駅を下りたところ。この地に中里介山氏の生地ならびにお墓があるのを発見しました。 中里介山さんは、日本百名山 大菩薩嶺で知られます時代小説「大菩薩峠」の著者であります。 明治生まれの中里介山氏ですから 「大菩薩峠」は、時代劇の小説の初期にあたり。その後の時代劇にたくさんの影響を与えることになるのでした。 羽村市では、数少ない著名人でありますから お墓や生地。さらには、住居跡の近くに記念公園が駅前の地図に記されていましたね! 行ってみたところ。介山公園には、石碑があり。説明文がありました。駅から歩いて10分少しというところでしょうか? この公園は、「大菩薩峠」を書き上げた住居跡の近くというところ。 その住居跡も番地も グーグルなどで写真が見つかるのですが? ? どう考えても住居跡が、売り出されているところのような? その奥の住居だとしても 見えなくなってしまいますね? 諸事情などあるのでしょうが、時代の流れなんでしょうね。 墓所は、離れたところにありますが。難なく見つかりました。 遠くに多摩川が見えて、景観がなかなか良いところ。桜の季節もあってか、地元愛を感じさせましたね。
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つけ麺の元祖のお店、閉店していました! 珍しく風邪をひいてしまった私。お昼過ぎに駅前を歩きますと、以前から閉店の噂のあったに変化がありました。 地元荻窪駅近くにあります 中華そば 丸長さん。昭和22年創業の老舗ラーメン店です。(昨年11月に閉店し、76年の歴史を閉じました。) こちらでは、創業当時に働いていた方々がたくさん暖簾分けしてきた歴史があり。ラーメンの神様と言われます岸本一雄さん率いる、 あの大勝軒の創業者も丸長にいらっしゃいました。 つけ麺(元祖のお店では、つけ麺ではなくもりそばです。)は、丸長の創業者である青木さんが考えた。 忙しい合間に早く食べられる「まかない飯」だったのです。 今では当たり前に思われる魚介系の出汁に 動物系の出汁を加えるアイデアを始めたとも言われています。 残念ながら 高齢のために。三代目さんで閉店とのこと。 私も昨年春に食べに行くことができたのは、幸いなことでした。 丸長さんは、現在も荻窪丸長のれん会として、大勝軒のお店や暖簾分けした丸長さんなどが加盟しているのですね! 食文化の歴史に刻まれるべきお店ですから ぜひ、復活して欲しいものです。
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赤城山に登ろうとしていました。 前向きに考えていたいのですが? あまりに 酷いなぁ。 充分な告知もないためか? 前橋駅に来てしまったたくさんの登山者たち。 突然知ったバスの運休だけでなく、車も行かせてくれない? 一年中登れると思っていた山を登らせなくするのは、何故でしょうか? わずか2000人ほどのイベントのためですが、前橋駅ではイベントをやっている雰囲気はありません。 こんな、盛り下がったイベントをするのは、なんのためですかね? お金と時間を失ったショックも 曖昧な日時の記載の仕方がなければ対応できたのに。 残念です。 正直なところ、坂があればどこでも良いクライムヒルを 赤城山でやる必然性はありません。 いつでも登れるとは限らない赤城山にしてしまうことのダメージが、わからないのでしょうね! なんて、愚かなことをしてしまうのか? 本当に 残念でした。
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救助が続いた富士山でした。 先日の富士登山。ニュースを見ますと、ヘリコプターの前後にも救護要請があったことがわかります。 あの後にも砂走りで救助隊員に囲まれた方がいたのは見ていました。 足をつったのでしょうかね? 富士山は岩場が多く油断のできない登りと下りが、待っています。転倒すれば、大怪我をする可能性がある山なんですね? これは、富士山に限らず。どの山でも起こりえることです。 山の良さを知る前に 山の怖さを知ってしまった。 私は神様は、厳しいものと身近に感じています。 だからこそ、山の神様には 必ずごあいさつをさせていただきますね! 何度となく、助けていただいていると感謝しています。 願いはひとつ。 無事に下山すること。それだけなんです。
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富士塚めぐり(3) 十条富士神社 工事中の富士塚でもある十条富士神社。工事は終わったのでしょうか? 正直なところ、富士塚をいじくると。みんな、悪くなっていると思っています。 どうしたいのか? センスがないのですね! こちらも お祭りで大にぎわいでした。 駒込と十条だけが、富士塚に対しての頒布品があったり。お祭りで、賑わってお祝いしている気がします。 富士山に行けない人のために 地元に作ってしまったミニチュア富士山。 その素材は、富士山そのもの。噴火で飛んできた溶岩なんですよね! コンクリートで、きれいに整えてしまった富士塚は。 すでに 富士山への思いがない富士塚に感じてしまいます。 そんな富士塚を忘れないでいてくれる地元の人たちがいる。 富士塚の形は変わっても 本物の富士山は、変わらずにいてくれる。 やっぱり、富士山はいろんな意味で日本一の山だと思いますね!
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春の小川 みなさんご存知の童謡「春の小川」。 春の小川は さらさら行くよ 岸のすみれや れんげの花に すがたやさしく 色うつくしく 咲けよ咲けよと ささやきながら 明治時代に創られ 大正時代に発表された童謡「春の小川」は、作詞家 高野辰之先生により作られました。当時住んでいた近くの小川 河骨川(こうほね)がモデルとされています。 メダカが泳ぎ すみれやれんげの花が咲く小川を先生は、よく散歩していたそうです。 住んでいた住所が東京府豊多摩郡代々幡村。現在の代々木八幡駅近くになります。 この地域は、明治神宮西参道を出ました参宮橋。かつて東京オリンピックの選手村があった青少年オリンピックセンターと代々木公園の近くでもあります。 高度成長の時代。生活排水により下水道となり地下深く眠ることとなった春の小川。その川は、渋谷駅地下までつながっています。 もちろん れんげもすみれは咲いていません。 二度と戻らない春の小川は、私たちの心の中で れんげやすみれを咲かせているのですね! 春になると思いだす童謡「春の小川」。 いつまでも 私たちの心の中でよみがえる名曲です!
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