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親を棄てる子どもたち 新しい「姨捨山」のかたちを求めて 大山眞人 著 平凡社新書 「子に棄てられる」いまを生き抜くためにも、相互扶助が可能な「姨捨山」づくりをはじめよう。 「姨捨山⛰️」の文字に引き寄せられて、借りてきました。 本書では、著者が運営するサロン「幸福亭ぐるり」を中心に、子供が老親を「棄老」するに至った事件7つとその理由をみていきます。 周囲では「親を棄てる子供たち」が急増。 それは「親と子の関係の崩壊」が原因ではないかと著者は考えます。(p9, 12) 子供たちは扶養義務をリスクとみなし、距離を取って親との同居を避けます。 葬式も、家族葬や直葬が多くなりました(p77)。孤独死、遺骨引き取り拒否や、無縁墓が増えています(p93)。 著者は、高度経済成長による核家族化、狭小住宅の増加、 特に「親を敬う」儒教的倫理観の衰退が、従来の家族のあり方を崩壊し、こういった「棄老」を後押ししたとみています(p191, 227)。 柳田国男の「遠野物語」、宮本常一の「忘れられた日本人」に出てくる棄老伝説に、高齢化社会を乗り切るためのヒントがあるといいます。 江戸時代、東北の農村は貧しく、生活のために口減らしをする必要がありました。 60歳を過ぎた老人は不要とされ、追い出された老人たちは、村外れの「デンデラ野」に小屋を立て「寄り合い」をつくり、共同生活を送ったそうです(p216)。 同様に、現代でもセルフヘルプグループ、コミュニティ(共同生活、結)といった高齢者相互扶助システムを整えることが必要であると。 高齢者は一日でも早く子離れして自立することを提案しています(p234)。 それを実現するのが、サロンやコミュニティカフェ、コーポラティブハウスでの共同生活という、新しいかたちの「姨捨山⛰️」なのだといいます。 (自立はしても、孤立は避ける。そこには見守りがある。そういったニュアンスです) 個々のケーススタディや、著者の介護経験は参考になりますが、読んでいて苦しかったです。 現在ではお金を払って施設に入所させたら、それで子供は責任を全うしたとするのが一般的だと思います。親の介護を子が行わないのは残念だと著者はいいますが、立場や状況により意見は分かれてくると思います。 70ページに、心電図がゼロを示した瞬間に人間はモノに変わると書いてありますが、本当その通りだと思いました。 (悪い病院に当たったのかもしれませんが、病院ではスタッフの食事の時間の方が優先でした) 葬儀は、個人的には直葬でやってもらえれば十分だと思います。 それにしても、これから行く「姨捨山」はどこに❔ 覚え書きです。 「デンデラ野」 岩手県の遠野市には、デンデラ野(蓮台野)と呼ばれる「姨捨山」があったといわれています。 2017年11月、当時73歳の著者は遠野まで足を運び、デンデラ野とダンノハナを見に行ったそうです(p210)。 遠野物語(柳田国男、岩波文庫) 第111話 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東善寺および火渡、青笹村の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野という地あり。 昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習いありき。老人はいたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。 そのために今も山口・土淵辺にては朝に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。 訳 山口村、飯豊村、附馬牛村の荒川東善寺、火渡村、青笹村の中沢、土淵村の土淵など、たくさんの場所にダンノハナという地名がある。その近くには相対して必ず蓮台野(デンデラ野)という地名がある。 昔の話だが、60歳を越えた老人はすべてこの蓮台野(デンデラ野)に追いやる習慣があったという。 老人たちは、そのまま死ぬわけにもいかないので、日中は里に下りて農業をして食いつないだ。 そのために、現在でも山口村や土淵村では、朝野良仕事に出かけることを「ハカダチ」といい、夕方野良から帰ることを「ハカアガリ」という。
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独学でも東大に行けた超合理的勉強法 草薙龍瞬 著 サンマーク出版 本気の誓いを立てることができたら、それまで単なる「目標」だったものは「確信」へと変わります(本文より) 受験シーズンも半ばを過ぎました。 「反応しない練習」の著者、草薙龍瞬さんの勉強法の本です。図書館で見つけて気になっていたので、予約して借りてきました。 タイトルの「超合理的勉強法」から、同じ東大出身の野口悠紀雄さんの「超勉強法」が思い出されます。 「超勉強法」のようなテクニック的なことではなく、学び方の基本とか、心のコントロールの方に重点が置かれています。 勉強のことで悩んでいる方。何から手をつけたらいいかわからない、努力が空回りして成果が出せない、誘惑が多くて勉強が手につかない方に最適です。そういう方は、根本原因、目的にまでさかのぼって検証することを勧めています。(p106) 高校に行かず、巷に広まっている勉強法に異を唱えるものですから、教育の現場には適さないかもしれませんが、私はすごくいいと思いました。 勉強法については、論理的に読む、意味づけした知識を覚えることが重要だということです。個人的には、歴史の勉強法がとても参考になりました。 (自分の場合、高校時代は日本史を学ぶ意義が全くわからず、授業についてゆけず、数学についで超苦手科目でした) 歴史は暗記物のイメージが強いですが、用語や年号などの知識をひたすら暗記するのは正しくない方法だとしています。 まず、自分がその史実をどう見て、どう考えるかを最優先にします。「自分なりの視点をもつ」ことが勉強法のポイントで、大量の知識が整理できて、自分にとっての意味が明確になり、記憶に残りやすくなるそうです(p97) 。 司馬遼太郎「竜馬がゆく」を例にとって説明されていましたが、視点をもつためには、歴史人物の本や教養書を読み、バックグラウンドから攻めてゆくのがいいらしいです。 しかし、歴史知識や英単語の暗記は、よくよく読んでみると夜寝る前はできない(p158)とあって、やはりある程度の詰め込みは避けられないようです。 「視点をもつ」ことで、詰め込みの負担が軽減する効果があるのかなと思いました。 ラストスパート。 著者の草薙さんは、受験に際して高尾山に詣で、目標達成の本気の誓い⛩️を立てました(p175)。 受けるとなったら、人間の気力はいつまでも持たないので、期限を決めて短期決戦です(p137, 178)。 この段階で、自分自身を追い込めるかどうかが決め手です。 心の中では「目標がかなって」いる(p172)。 「100%の確信」も思い込みであり、妄想には違いないのですが、イメージトレーニングととらえれば問題ないのでしょうか。万が一の失敗は「ありえない」とします。微妙です。 それでも、直前三週間に「心のせめぎあい」が起こりましたが、その正念場においても「100%の確信」は揺らぐことはなく、最終的には「その場で一番集中した時間を過ごす。それだけでいい」心境になったそうです。 --------------------------------------------------- 覚え書きです。 第一章 「超合理的勉強法」とは、「本質をふまえた、ムダのない勉強法」のことです。 「本質」とは、根本にある「モノの見方」「考え方」のこと。 「ムダのない」とは、勉強したことが試験に役立ち、その後も一生使える知的能力として残ってくれること。 試験に出る科目には、じつはその根本にモノの見方や考え方、発想の仕方というものが潜んでいます。 それをちゃんとつかんで、その科目に必要とされる「アタマの使い方」、つまり「知的能力」を身につけることが、本質をふまえた勉強法なのです。(p23) 国語 現代文 論理的に読む。「読み跡」をつける。文章の論理の道筋を見てわかるようにビジュアル化する(p42)。 古文 ユニットごとにおきかえる。最初に訳文を見て、現代語におきかえる。わからない言葉を、わかる言葉におきかえる(p59)。 英語 言葉の組み立て方を理解する 読んでわかる、聞いてわかる、話せる、書ける 5×5×5の音読。1文を5回(おきかえ含む)、段落を5回(段落の趣旨をつかむ)、全体を5回(文章全体の要旨をつかむ) 数学 論理的に展開する 数学もまた言葉である。数学も論理の言葉なのだから、文章を書くように、冒頭から結論まで自分で展開できるようにする(p74)。 歴史社会 自分なりの視点をもつ 歴史を学ぶことには「過去の事実を知る」ことと、「その事実を意味づける視点をもつ」ことの二種類あるのです。(p90) 歴史の正しい読み方を、ご存じでしょうか。 率直にお伝えして、知識を思い出そうとした人は、まだ歴史の学び方がわかっていないのだと思います。(p92) 情報が氾濫する今の世の中や、ガムシャラな知識の暗記に駆り立てる不毛な勉強の世界からあなたを救うのは「視点」です。 これから何を学ぶにせよ、何をするにせよ、「自分なりの視点をもつ」ということから始めましょう。それは勉強という人生の特権を「自分のもとに取り戻す」ことでもあります。(p103) 第二章 目的を達成するために守るべき三つの条件 ①納得できる方法がある 正しい方法 ②自分だけの動機がある 正しい動機 ③方向が定まっている 正しい方向 この三つの条件が揃えば、自分にとって今の努力は「正しい」といえる。私はそう確信しています。 もしあなたが今めざしていることがあるのに「あまりうまくいっていない」「本当に今の方法でよいか不安がある」「あるいは過去に挫折してしまったことがある」というなら、この三つの条件が揃っているかを検証してみることです。(p108) まずは自分が納得できること 「その方法に納得できること」は、「道」の最初に確認すべき大切な条件なのです。(p111) 科目ごとのバックグラウンドや背景知識に親しむと、逆に教科書や参考書の記述のもう一歩奥にあるものが見えてきて、勉強しやすくなるものです。 一度はつまずいて、それでも立ち直ったのは、学校や受験用の小さな勉強にとらわれず、もっと広くて、豊かな各科目の本質に読書を通じてつながることができたからです。(p122) 「これだけ頑張れば必ずかなう」という努力の量•目安というのはあるのでしょうか。 ありのままに真実をお伝えすると、「これだけ頑張れば目的がかなう」という目安は、どこにもありません。 「これくらいの努力を積み重ねれば、夢はかなう」ということは、誰にも言えないのです。 なぜなら、自分の目的をかなえられるのは、自分以外にいないからです。自分自身が積み重ねる努力というのは、その方法も、与えられた資質や環境も、他の誰とも違うからです。 そして、自分自身がまだその目的を一度もかなえたことがない(未知の体験である)以上、「どれだけ努力すれば目的に到達できる」ということは、もはやあなたにも誰にもわからないのです。驚かれるでしょうか。でも真実です。(p124) 唯一の答えは「妥協しない」 正しい努力の量とは、「自分に妥協しない」ということに尽きるのです。(p127) 「正しい方法」とは、自分が納得のいくやり方で、妥協することなく努力すること(p128) 本気で目的を達成したいと思ったら、自立していることが大事ではないでしょうか。「自立する」とは、自分だけの動機をもつということです。(p130) たとえそれが親であっても、人は関係ないのです。 本気の努力をするには、「これは自分の人生だから」「自分の夢•人生がかかっているんだ」という自立した動機が不可欠です。 その動機が正しいと言えるかどうかは、割とシンプルな条件で決まります。それは「思い描くだけで心が躍ること」です。(p131) 結局、自分に寄り添って、長い人生を最後までついてきてくれる友人は自分自身ではないでしょうか。 だとしたら、その自分自身が納得のいく、思い描くだけで心が躍る、真の自立した動機というものを大切にしなければいけません。 「私はこんな未来にたどり着きたい」 という心躍る自分だけの動機を、ぜひ心のうちに見つけてください。(p133) 正しい方向とは、つまりあなたが今めざしている夢•目標のことです。(p135) 「目標以外のものに目を向けない」ということです。 自分が定めた目的•方向以外に目をやらない。一度決めたら、それ以外は心からシャットアウトする。それが目的達成のもう一つの条件です。(p136) 本気でがんばれるくらいの身近な目標を設定するのです。 作業を決めるうえでは一つのコツがあります。それは、「これだったら私は真剣にやれる」と思えることです。 期限と作業を、気合が入るほど、具体的に決めれば、あとは自分次第です。(p138) 「100%の確信」をもつ方法 自分が見定めた方向•目標が「かなったらいいな」ではなく、「必ずかなう」という確信に変わる方法をお伝えしましょう。その方法はじつは、「そう思い込む」だけです。 あなたの中に自分だけの心躍る動機•目的があって、納得のいく方法で妥協せず、期限付きの作業をただ積み重ねる覚悟も固まったのなら、じつはもう考えるべきことは残っていません。(p139) 第三章 「気づくが勝ち」 心の中にわいてくるさまざまな思いは、「意識を使って」つまり客観的に意識(自覚)してあげると、なぜか停止するのです。(p146) 「不安(緊張)にのまれそうになったら現実に帰る」 不安や緊張にのまれそうになったり、アタマが別のことを考えはじめたりしたら、次のことをやってください。 ①目をつぶって「どんな不安(妄想)があるかな」とアタマの中や胸のあたり(いずれも目を閉じているので暗闇として見えます)をじっと観察する。 ②その後パッチリと目を開いて、外の世界(室内や窓ベランダから見える景色)を目ヂカラ込めて見すえる。 ③「見えている!」「今さっき浮かんでいたのは、妄想(不安緊張)である!」と強く意識する(念じる)。(p149) 「必要がない」と考える もし不安や妄想がわいたら、こう自分に語りかけてください。「自分に不安(妄想)は必要ない」(p150) 一番のオススメは、「15分の瞑想」 アタマが疲れてしまったら、もう何もしようとしないでください。ただ、じっと座って目を閉じて、呼吸するときのおなかや鼻孔の感覚を感じ取ることに努めてください。 5分でも15分でも、時間があるなら30分、1時間でも。「心が静まるまで」です。(p166) 第四章 「私は今日◯月◯日をもって、よけいなものに手を出しません。 どんなに苦しくなっても、◯年◯月◯日の本番まで、目標達成に必要なことだけに専念しつづけます」(p171) どんなときも作業本位で考える 一日になすべき作業の「マイルール」を決めて、あとはその作業を、毎日どれくらい時間をムダにせずに頑張れるかに挑戦するのです。 その心境は、「ずっと足元を見ている」 そんな感じです。外は見ない。明日も見ない。(p185) 「過去はいっさい判断しない」 やってしまったこと過ぎたことを、よい悪いと判断しない。評価しない。あれこれと考えない。(p187) では、ココから何をすればいいかというと、正しい方向を見すえての作業への集中なのです。それしかありません。 だとしたら、あなたが考えるべきは過去ではなくて、「今ココからできることは何か?」ということだけです(p189) 最後の集中に、不安も自信も全く存在しないはずです。 文字通り「シャットアウト」の状態なのです。 あなたが最後にたどり着くべきはまさにこの「シャットアウト」状態です。ぜひ、不動の心に到達しようではありませんか。(p193) この直前になって考えられる現実は、実は二つしか残されていません。 成功か失敗かです。 そして最後の試練として突きつけられるのは、「あなたは失敗を受け入れてしまうのか?」どうかという究極の問いなのです。 ここは全力を振り絞って「受け入れない(ありえない)」と答えを決めてください。これが最後の決定(けつじょう)です。(p194) ゴールを目前にした心がまえ 「後悔しない最後の期間をつくる」 「100%の確信を持って過ごす」 「今ココからできることだけに集中する」(p196)
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小澤征爾さん、追悼 クラシック音楽界に、衝撃が走った。 2024.2.15 追記 CDアルバム2種、図書館から借りてきて聴きました。 ①マーラー 交響曲第2番ハ短調「復活」 小澤征爾指揮 ボストン交響楽団、タングルウッド音楽祭合唱団、カナワ(S)ホーン(Ms) (1986年12月録音) ②ベルリオーズ 「幻想交響曲」 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ(2014年ライブ録音) ②の終楽章、ワルプルギスの夜の夢について。 若い芸術家が魔女の饗宴に参加している幻覚を表現したもので、「怒りの日」の旋律と弔鐘が、悪魔のロンドと交互に奏されます。 弔鐘の部分が際立っていて、夢に出てきそうです。衰えを知らない情熱、素晴らしい演奏でした。ご冥福をお祈りいたします。
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反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」 草薙龍瞬 著 KADOKAWA 先日iPhone📱が故障して、lightningの接続部分から充電が全くできなくなり、あっけなく寿命を迎えてしまいました。 補償サービスに加入していたので、交換が適用されることになりました。 私の使っていたのは古く、同一機種の在庫がもうなかったため、同じ費用で後発の別モデルになるということでした。9,900円かかりました。 交換機が到着して復旧するまで、10数時間でしたが、この世のすべてから取り残されてしまったような、不安で佗びしい気持ちに襲われました。 まだまだメンタル的に弱いと感じました。 本書によれば、こうしたネガティブ感はすべて心の「反応」から来るものらしいです。 ネガティブ感はムダな反応であり、妄想に分類されます(p39)。先のことが不安で思い悩むのも、妄想だそうです。この余計な心の反応こそが、悩ましい現実を作り出す原因だということです。 キーワードは「正しい理解」「妄想」です。 まず、悩みが「ある」と理解することが大事だと説きます。「求める心」があると認める(p26)。ストレスや恐怖、不安や焦りといった妄想を感じたら、心の状態を「ラベリング」する。言語化する。 悩みに対処するには、妄想とそれ以外の状態、体の感覚を意識します(p43) 。 スポーツや山歩きなどで体の感覚にスポットを当て、意識することを勧めています。(p44, 77) ポイントをまとめると、 心の状態を見る①言葉で確認すること②体の感覚を意識すること③分類する 貪欲•怒り•妄想の三つに分類する— ことで、 心は静まり、妄想がリセットされる。深い落ち着きと集中が可能になるということです。 「人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという」という名言が山月記にあります。 人間の心は猛獣のようなもので、コントロールする術がなかったら振り回され、やられてしまいます。 いったん頭では理解しても、数分後にはまたネガティブ感に襲われてしまうから、本当にやっかいです。 うっとうしい相手から距離を置く(p143)のも、結局は心のコントロールだけでは難しいからかなと思いました。怒った相手との向き合い方も、実例として著者の体験談が105ページに載っています。傾聴力も見習いたいと思いました。なかなかできることではありません。 判断してはいけない(p50, 76)とありますが、難しいです。できない、無理だと判断してしまっている自分がいます。 後の方で、貢献すること(p180, 198)、正しい生き方(p213)、迷いのない納得の境地(=解脱?)に到達すること等々触れられていますが、 まずはできることから始めて、山登りのように、ステップバイステップで乗り越えていこうと思います。
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幻想曲〜 Fantasie 瑞穂ビューパーク・スカイホールで、ピアニスト黒岩航紀さんのソロ・リサイタル🎹を聴いてきました。 最近、ショパンの幻想曲へ短調op.49を練習していて、実演を聴きたいと思って探したら、偶然ヒットしたのがこの演奏会でした。 瑞穂町は東京と思えないほど自然豊かで、ホールの展望広場からは、奥多摩の山々が一望できました☺️。 演奏者の黒岩航紀さんは、日本音楽コンクール第1位など数々の賞を受賞、コンサート活動の傍ら母校の東京芸大で後進の指導にもあたっている優秀な若手奏者ということで、すごく期待していました。 曲の合間に黒岩さん自身のレクチャーをはさんだ、ユニークな演奏会でした。 一番前の席で聴きました。お目当てのショパンの幻想曲は、細部にこだわらず勢いはあったものの、ちょっと肩透かしの感... 難しいと思いました。 ショパンの幻想曲については、色とりどりの要素が散りばめられ、いろんな解釈の可能性のある作品だと解説されていました。曲の冒頭部分が葬送行進曲で、自分の死期が迫ってきている人生の終わりのような解釈も多いけれども、(どちらかといえば)ポジティブにとると。 ショパンの幻想曲と幻想ポロネーズは、両曲ともとてつもなく大きな山です。 リストのソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」では、最後の方で拳で黒鍵を叩く演出があり、男性的なダイナミックさを前面に押し出していました。最後のスクリャービンの幻想曲も鬼気迫る快演。いかに力強く楽器を鳴らせるかに、ウエイトが置かれているように思いました。 ベートーヴェンから幅広い時代にわたる、多彩で濃いプログラムでした😊
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田舎暮らしに殺されない法 丸山健二 著 朝日新聞出版 緊急書き下ろし! あなたの大切な「第二の人生」を悪夢にかえないために! 安易に田舎暮らしを決めて本当にいいのか? 田舎暮らし歴40年の著者が、豊富な体験と作家としての洞察からあなたのプランに潜む危険を説く (本書の帯より) 著者は長野県出身の芥川賞作家です。親は教師で、仙台の高専を卒業後サラリーマン生活。芥川賞を受賞してから再び長野に戻り、以後文壇と距離を置いて活動されているそうです。 田舎暮らしを始める人に将来必ず味わう地獄について警告し、思いとどまらせるだけにとどまらず、超辛口な日本人論と現代社会への批判、生き方論になっていて、とても読み応えがありました。 田舎暮らしはリスクばかりなのに、どうして引き寄せられてしまう者が後を絶たないのか、心理的な面から分析するものでとても興味深いです。 最初に自立せよと言っています。 多くの日本人は、実は自立していない。勤め人という生き方は他力本願であり甘えである。「子どもおとな」60歳のガキでしかないと手厳しいです。 日本という国の本質的な欠陥、日本人が品格を失いダメになってしまった真の原因を文中で指摘しています。極めて辛辣かつネガティブな内容です。 お叱りを覚悟で改めて尋ねますが、あなたは本当に自立している人間なのでしょうか。(p16) そもそもあなたの前半生とは一体全体何だったのでしょうか。まずまず無難な、怠惰な歳月をやり過ごしただけというところが偽らざる答えなのではないでしょうか。(p19) あなたはこれまで心底癒しなるものが必要なほど奮闘してきたのですか。 命令され、他人から尻を蹴っ飛ばされ続ける惨めな立場を拒否する機会もなければ、その度胸も実力もなかったと言い張るのですか。 やればやれたはずなのに、安全な株ばかりを買い続けるような横着な選択と、それに伴うのんべんだらりとした日々の積み重ねが自慢に値する孤軍奮闘だったと言えるのですか。(p98) 理想の場所があるのだと勘違いして、余生に田舎暮らしを選ぶその発想、終の住処や安住の地はみな妄想に過ぎない。確固たる人生の目的がなければ、身の破滅でしかないと色々な例を挙げて説きます。 何のために生きてきたのか。自分の存在意義は何だったのか。他人の奴隷になり、こき使われ踊らされるだけの人生だったのか。 田舎で暮らす人たちにとっても「うんうん、思い当たる」と共感でき、声を上げて笑ってしまう箇所が少なくないと思います。そういえば、職場に自立して生きている人間は一人もいませんでした。 自ら事業を起こす能力がないから職場に依存して、職場からもらう雀の涙ほどの給料を当てにします。 家を継ぐのが暗黙の了解で、親が建てた家または建ててもらった家から、買ってもらった車で職場通い。言われたことを言われたようにやる。忙殺され思考停止し、理不尽を理不尽とも思わない。そんな環境にどっぷり漬かってしまい気付いたらいい歳に。 手製の槍を準備して賊を撃退するというのはちょっとあり得ない話です。しかし、有事に備えておく必要はあります。法治国家とはいえ、肝心な部分で法律が機能していないというのも問題ありだと思います。 あと一押し、学校教育についても踏み込んでもらえたら良かったです。これが一番の元凶で、著者のいう木偶坊(でくのぼう)しか育たないと思いますが、どうでしょうか。 自分を見つめ直すのにいい機会でした。喝を入れられ、自分は木偶坊だと気付いて反省し、将来の生き方の指針になる素晴らしい本でした。 覚え書きです。 あなたが助けてあげなくてはならないのは、誰あらぬ、あなた自身なのです。(p55) あなたは誰かを助ける前にあなた自身を助けなくてはなりません。それが急務です。 そうするには、自分以外に頼らないという、絶対に他の力を当てにしないという、たったひとつの道しかないのです。(p56) 職場におけるあなたは、頑張ってきたわけでも、闘ってきたわけでもありません。あなたは単に忍従と屈辱の日々に自分を馴らすことのみに精力を費やしてきたというだけなのです。 つまり、あなたがくぐり抜けてきたのは逃げて逃げて逃げまくってきた数十年間であって、けっしてそれ以上ではなく、その醜い逃げ癖は未だに骨の髄まで染み付いているのです。 職場における地位や、世間的な評価といったものを誇りや自尊心の土台にし、一人前のおとなの男のふりをしているものの、実際には何のための人生であったのか疑わざるを得ない木偶坊(でくのぼう)であり、自分の始末さえもつけられないガキなのです。(p57) 遅きに失するかもしれませんが、これを機に目を覚ましたらどうでしょうか。 あなたは強力な助っ人の存在を忘れているのです。 それは、あなた自身です。 おのれのすべてを他者に預け、委ねて生きてきた長年の付けをきれいに払いさえすれば、そこから本来あるべき姿の本物のあなたが浮上してくるに違いないのです。 そうするには一体どうすればいいのでしょうかなどと間違っても訊かないでください。その答えのすべてはあなた自身の思念の中に隠されているのですから。(p179)
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クリスマス🎅クラシックを聴く ①ドイツメンブラン・クリスマスクラシック集(10CDs) アウグスブルク大聖堂少年合唱団、フライブルク大聖堂少年合唱団、バッハ・トランペットアンサンブル・ミュンヘン、フラウタンド・ケルン 他 ②ジルバーマンの傑作オルガンによるバッハ・コンサート ハンス・オットー(オルガン) キリスト教世界では、救世主であるイエスの誕生が最大の出来事であり、クリスマス🎄はイエス・キリストの誕生を祝うイベントだということです。 日本のクリスマスは、よくわかりません😩 ①はクリスマスソングや教会音楽を、ルネサンスから近現代まで集めたCDアルバムです。 CD所収のクリスマスキャロルは、イエス・キリストの誕生を祝うための伝統的な聖歌・讃美歌です。 おそらくプロテスタントの教会で広く歌われているもので、きよしこの夜(Stille nacht)、いざ歌えいざ祝え(O du fröhliche)、神の御子は今宵しも(Adeste fideles)、甘き喜びのうちに(In dulci jubilo)などが代表的なものです。 聖歌以外にも宗教音楽からの抜粋(いいとこ取り)、オルガン曲、リコーダー合奏、金管アンサンブルまであって、飽きさせない内容になっています。 特にこだわりがなければ、BGMにして聴くのがおすすめで、少年合唱のハーモニーやオルガンの響きが心地良く感じられるでしょう。 Youtubeでstimmungsvolle weihnachts-klassikと検索すると試聴できます。 ②のバッハオルガン曲集は、高校の頃からの愛聴盤で、この時期になると聴きたくなります。 いい演奏です。 ①②でバッハのシュープラー•コラール集の6曲目「汝イエスよ、今天より降りたもうや」BWV.650 が重なっています。 バッハがカンタータからオルガン曲に編曲して、キリストの生誕を祝うタイトルを後から付けたものだと知りました。それで、この曲だけ①のクリスマス曲集に入っているのだと納得しました。 今回両アルバムをざっと聴いてみて、西洋音楽の原点とか、バックボーンになっているものは何か改めて知ることができた気がしました。 また、文化や宗教の枠を超えて、平和への祈りや愛情、感謝といったものを音楽から強く感じました😊。
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『戦場のメリークリスマス』 坂本龍一さんの、戦場のメリークリスマスを弾きに行ってきました。 先週楽譜が届いたばかりで、ストリートピアノでぶっつけ本番、初お披露目でした😅。 おなじみのテーマは4度進行のメロディで、エキゾチックな響きを醸し出しています。ドビュッシーの影響を受けていると思われます。楽譜のバージョンは何種類か存在しているようです。 誰も聴く人がいなければ、別のクリスマスソングをもう一丁... と思っていましたが、後ろに学生っぽい女性たちが。長居は無用ということで。 イオンモールには大きなツリー🎄が飾られ、完全クリスマスモードに。今年も残りわずかとなりました。 2023.12.22 追記 再び戦場のメリークリスマス弾きました。 「好きな曲です。良かった」と通りすがりの方から声をかけていただきました👏。嬉しかったです。 前回よりは弾けるようになったものの、ミスタッチはあったし、練習を重ねて表現をもっと深化させる必要があると感じました。
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治す!山の膝痛 膝の不安を解消する7つの知恵 小林哲士 著 山と溪谷社 ガクガク、ギシギシ... もう膝の痛みに悩まない 「膝痛」の悩みを抱える登山者必読。豊富な図解とイラストで丁寧に解説、あなたの膝の不安を解消します! 最近の遭難事例で増えたのが、疲労や持病による遭難です。 この間の白山や会津の飯森山で、膝痛が途中から出てきて苦戦しました。歩けなくなるほどではありませんでしたが、危なかった気がします。 重い荷物を背負っても膝痛になりにくい人がいるのはどうして?膝の軟骨がすり減って歩けなくなったら終わり?正しい対処法は? など、疑問はつきません。 前モーメントに関連して、膝を悪くする原因をもう少し詳しく知りたいと思いました。 本書では、膝関節の構造と機能、膝痛のメカニズムから痛みを部位別に解説し、膝痛の対処法と予防法とを順に説明してゆきます。 筋力トレーニングやトレッキングポールで負担を軽減できるとして、2本ポールの使用を推奨しています。 事前の準備と予防が大切だと繰り返し説きます。 登山の登りと下りで膝関節にかかる負担は異なり、最も必要な筋肉である大腿四頭筋や、歩行で重要な腸腰筋に対する筋力トレーニング、筋肉の柔軟性を出すためのストレッチを実践して予防につなげます。 Chapter 1 「膝痛はなぜ起こるのか」図説で膝関節の複雑な構造を徹底的に解説します。 Chapter 2は膝関節痛のメカニズム。構造とメカニズムだけで全体の3分の1を占めます。 大変ですが、各パーツの名前と位置関係を記憶し、 痛むのがどの箇所で関節内か関節外か区別できれば、症状からどんなコンディションなのかある程度わかってきます。 膝の構造を理解することで、登山者自身の歩き方や膝の扱い方に反映させようというねらいも感じました。足の置き方も自ずと決まってきます。 Chapter 3から5までがストレッチ・筋トレ・歩き方で予防編。Chapter 6はサポート用具について。 重心と体の線を一直線にするのが、膝に負担がかからない歩き方だそうです。ザックの重心と体の重心を近づけます。歩幅を狭くします。 Chapter 7は予防しても運悪く登山中に膝痛になった場合の、簡易な対処法です。休息が大切で、適度に休まないと膝痛がエスカレートします。 結局のところ、膝痛予防は運動と体重管理、膝を使い過ぎないことがポイントだとわかりました。 重荷と過体重(メタボ)はリスクです。歩行時には体重の3倍の負荷が膝にかかるそうです。 著者は体重を運動で減らす方法を勧めていますが(p145)、朝食を抜き、1日2食以下にした方が断然早いと思いました。食事に気をつければリバウンドしません。3kg減らしただけでも、だいぶ変わってくると思います。 膝を酷使すると軟骨が損傷し、初めのうち自覚症状がほとんどなく、それがエスカレートすると変形性膝関節症に陥るようです。すり減った軟骨は再生しないので、痛みと生涯つき合うことになります。 (本書では、炎症が治まって痛みが消えた状態になれば山歩きはできるとしています。しかし、行くべきではないという専門家も多く微妙です) 少なくとも中年以降のテント泊や、超ロング山行は控えるべきだと個人的には感じます。ポールは使わない主義だったのですが、リスクを減らすためにポールも持つべきだと今では思います。 私の親戚に、長年膝痛に悩んだあげく手術して人工関節にした者がいました。術後のリハビリやメンテナンスが大変だと聞きました。 108ページに人工関節置換術のコラムがあって参考になります。著者は、人工関節に置換しても山は歩けるといいます。それでも行動はかなり制約されるだろうし、定期的な通院などの不自由感は免れないだろうと思いました... 覚え書きです。 1 膝痛はなぜ起こるのか 膝の痛みはケガや一時的な使い過ぎ、長年の負担による痛みが考えられる。 2 登山における膝関節痛のメカニズムと対処方法 痛みが出たら負荷を軽減させる、休ませる。 膝が痛いと思っても関節内か関節外かで深刻度は異なる。 関節内の組織が損傷した場合のダメージは深刻であることが多い。関節外の組織は痛みがあってもほとんどの場合は治る。 関節内の痛みには、靭帯の損傷と、軟骨や半月板の損傷がある。膝が痛むのと同時に腫れて水が溜まった場合は、関節内の組織の損傷である。速やかに整形外科を受診する。 3 ストレッチ 4 筋力トレーニング 5 膝に負担をかけない歩行術 よい歩き方「バランスがよく、膝だけでなく腰や股関節にも負担のかからない歩き方」 姿勢が大切で、重心と体の線を一直線にする。歩幅も狭くする。ザックと自分の重心が近づいていると負担は軽減する。 バランスが悪いときは横向きに歩く(p137)。 6 膝を守るためにできること ①体重やザックを軽くする。 ②トレッキングポール。安定感を高め転倒防止にも役立つ。 ③膝サポーター ④テーピング キネシオテーピング ⑤サポートタイツ(補助的に) ⑥タンパク質を含んだ食事で筋損傷や筋疲労を補う。 7 もし登山中に膝痛になったら 過去に山行中に痛みが出ることがあったなら、対処用品を必ず持つ。 ①テーピング ②薬で抑える(アセトアミノフェン、ロキソプロフェンナトリウム) ③冷やす 氷、雪渓の雪で。「10分冷やして40-50分冷やすのをやめる」を繰り返す。 ④休息 ケガをした場合や使い過ぎによって生じた膝痛の痛みを抑えるのに、休息は最も効果的。
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山岳ドクターがアドバイス 登山のダメージ & 体のトラブル解決法 山と溪谷社 木元康晴 [編] 小林哲士、柴田俊一、千島康稔、杉田礼典、小阪健一郎、市川智英 [監修] 登山には行きたいけれど、どうも膝や腰が痛くて楽しめない。足腰に負担をかけないような登山の方法を知りたい。という方におすすめです。 膝の軟骨がすり減ることによって起こる、変形性膝関節症についてちょっと知りたかったので本書を借りてきました。 Q&Aで、ドクターが一般論的に答えてゆく形式になっています。ダイジェスト風にまとめてあります。わかりやすいです。 膝・腰・足首のトラブルは、病院に行って早めに医師の診察を受けることを勧めています。 最初のQ1で「登山中に膝が痛みます。なぜでしょうか」という質問に対して「痛みの原因や対処方法は様々、早めに整形外科を受診して診断を受け、原因を知るようにしよう」とまとめています。(p13) これが全体でもとりわけ重要で、言いたいことなのだと思います。全部自力で解決しようとするのは、方法論としては根本から間違っているようです。 ただし、予防や一時的で軽度なものなら、ストレッチやスクワットなどの自己メンテナンスでも有効な場合があるそうです。(p29,74,84) 登山中に腰や膝が痛み出したら、肩を大きく回したり股関節を回すなどして全身の筋肉をほぐして軽減するという方法があって、これは結構役立ちそうです。(p56) また、腰痛を防ぐためには荷物は14kgまでにとどめ、日帰りなら7,8kgにする。無理なプランにしない。 トレッキングポールは、膝痛と腰痛両方に有効だそうです。(p71) 痛みが起こった時に、ロキソニンなどのクスリを行き当たりばったりに対処することの是非についても、わずかながら触れています(p77)。 薬局でだれでも気軽に買える痛み止め。長期服用すると、内臓へのダメージが心配ですね。 第2章は高山病、熱中症・低体温症、凍傷、皮膚のトラブル(マダニ、アナフィラキシー)です。 凍傷対策がとても詳しいです。凍傷は、異変を感じたら水疱がなくても病院を受診するようにと注意しています。かかってしまってからの処置次第で予後が決まるということなので、重症化する前に手を尽くして専門医を探す(p164)。足の凍傷は軽度でも入院だそうです。 皮膚のトラブルについては、日焼けや虫刺されといった、よくあるものだけです。蜂のアナフィラキシーに対処するためには、エピペンを持参して自己注射するのが最良だとしています(無理)。 最後の第3章は、心疾患や生活習慣病の方に向けて書かれています。専門医による登山者検診を受けて、可能な範囲内で一定以上負担がかからないようにすれば、心疾患があっても登山できなくはないそうです。 生活習慣病の予防には、ストレスフリーであることに加えて、十分な睡眠といった規則正しい生活と、運動の習慣化が必須です。心疾患の予防には有酸素運動が効果的だといわれています。 加齢によって起こる痛みや、治らない病気もあります。もし痛みが起こったら、整形外科に行こうと思います。 膝痛予防のためのスクワットや、朝のスロージョギングは、これからも根気よく続けていきたいと思います。
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父子で考えた「自分の道」の見つけ方 野口絵子・野口健 誠文堂新光社 「正解」を選ぶのではなく、選んだ道を「正解」にすればいい! 時は2020年春、娘の高校生、絵子さんの留学先のニュージーランド🇳🇿は、コロナパンデミックでロックダウン(都市封鎖)となりました。 野口さん親子は遠隔対談で、これまでの生活と登山人生を振り返り、近い将来の「選択と決断」の心構えについて話し合いました。 ほのぼのとしたトークで、親がわが子を思いやる気持ちにあふれていました。微妙な親子の距離感も印象的でした。 野口さんは基本的には子の人生に介入しないとはいえ、娘の絵子さんにイギリスの母校に留学することや本格登山を提案しました。 そしてニュージーランド留学は本人自らが選択、決断。 絵子さんが不満を述べる場面も若干はありますが(p47)... 父親の健さんの策戦は功を奏して、彼女の引っ込み思案の性格は変化してゆきます。中学から高校にかけての成長ぶりは著しく、目を見張ります。 野口さん親子にとって登山とは教育であり、共に成長する機会であるのだと感じました。共通の話題は何といっても登山です。絆を深めるには単に対話するだけでなく、思いをシェアすることが大事なのでしょうね。考え方も結構似ているように思います。 初の親子登山🏔は絵子さん9歳の時、冬山の八ヶ岳でした(p49)。2019年7月のキリマンジャロ登山の体験談も、興味深く読みました(p64)。悪条件の中での登頂もさることながら、テント内で「人間失格」を読むなどは読書家の父親譲りなのかなと思いました。 ヒマラヤの6000メートル峰の目標にも前向きです。 将来やりたいことがいっぱいあって迷う絵子さんに、野口さんは自分自身の経験に照らし合わせながら、まずは見聞を広めてから決断しても遅くないとアドバイスしています。 野口さんの場合は、就活に失敗したことでアルピニストへの道が開けました。「落ちこぼれてエベレスト」と内容がリンクしていて興味深いです。 人生は運と縁、結果オーライとなることが多いと達観しています(p242)。 人の一生というのはトータルで捉えるべきものである。結果的に51パーセント成功であればいい。自分のスタンスを持つこと。 大事なのは「熱量の高さ」であり、ブレない心であるという結論に至ったのもすばらしいと思いました。 何かが起こっても誰も責任を取らない。自分を守るのは自分だというのも全くその通りだと思いました。 妥協して選択した道が正解どころか、逃げ出さなければならなかったことが私には最近ありました。寄らば大樹なんてとんでもない。将来、年金も当てにならない... 色々と考えさせられました😰。 人生後半ともなると選択肢は狭まっていきます。悔いのない道を選び、世の荒波を乗り切っていきたいものです。
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「おかえり」と言える、その日まで 山岳遭難捜索の現場から 中村富士美 著 新潮社 のこされた家族のために私が見つけ出す いくら捜索しても見つからない—— 『せめてお別れだけでもしたい』 丹念なプロファイリングで消えた登山者の足跡を辿る。 発見までの軌跡を描いた6つのエピソード。(本書の帯より) 著者の中村富士美さんは、東京西部にある総合病院の救急救命センターの看護師です。搬送されてくる遭難者に接するうち「山の何が危険なんだろう?」「どうして山でケガをするのか?」という疑問を持ちました。 そんな中、後に師匠と仰ぐ山岳救助隊の男性と講習会で出会って、捜索活動に携わるようになったということです。 彼女は20代で結婚し2人の子供を育て、JPTECインストラクター、2017年に国際山岳看護師(DiMM)の資格を取得、2018年民間の山岳救助隊LiSSを立ち上げました。 本書で扱う6つの遭難事例はすべて単独行遭難です。 地元の山でも侮ってはいけないと警鐘を鳴らしています。山の遭難は年々増加し、依頼が最も多いのは地元の里山や低山に行ったまま帰ってこないという事案だということです(p3)。 遭難防止の観点からすると、単独登山はもってのほかだと思います。自分がこれまで単独登山で遭難しなかったのは、運が良かっただけだと反省しました。 残された家族は心理的に動揺し、初期の段階では24時間電話がかかってくるといったことが書かれていました。 彼らの要望を受け止め、話に耳を傾けるといったケアも相当大変です(p78)。 プロファイリングを採り入れたのは著者のアイデアだそうです。本人の嗜好や性格から行動を推測し、捜索に役立てようというものです。プロファイリングというと、アメリカFBIの捜査官が容疑者を割り出す心理分析の手法というイメージです。 全篇を通じて、相手の話をよく聴くということに重点が置かれているように感じられました。 残された家族から些細なことでも漏らさず聴き取り、捜索につなげます(p58)。 道迷い遭難の場合は特に、遭難者の性格が反映される(p45)。登山者目線で、本人の性格とあわせて登山道の形状から行動を推測するといった、地道で根気の要る作業を繰り返します。 ただ、不明者が非社交的で自分をさらけ出さず、所持品(特に服装とザック)など手がかりを伝える機会がなかったら、推測に時間がかかってさらに長引くだろうと思いました。 孤独を好む単独登山者には(私を含め)、状況を伝えるのを不得手とする話ベタが圧倒的に多いです。 一人暮らしで仕事をリタイヤしてからの単独登山は行方不明になる確率も高く、中高年の行方不明事案がこれからは増えてくるのではないかと考えます。 手がかりがない状況が長く続けば、行方不明⇒危難失踪となります(p144)。 ココヘリやドローンでの捜索にも、現状ではまだまだ限界があるようです(p71, 110)。 行方不明という最悪の結末を回避するためには、 「自分がどのルートで、どの山を登るか」を残しておく(p53)。登山計画書を書いて提出するのが一番ですが、メモ程度のものでもよいと。面倒臭がらずに伝えることが重要だと思います。 山岳保険は、賠償責任特約が付いているものがお勧めだそうです。 登山の際には、山中の目印だけを頼るのでなく、地図を読んで登ってほしい。そして常に「万が一」の可能性を頭に入れて、行動することが大切だ。(p67)
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精神科医が教えるストレスフリー超大全 人生のあらゆる「悩み・不安・疲れ」をなくすためのリスト 樺沢紫苑 著 ダイヤモンド社 著者の樺沢先生は、「鈍感力」で知られる渡辺淳一先生と同じ北海道の札幌医大卒という経歴です。精神科医でYouTuberとしても活動されておられます。 本書は、著者の医師としての知見と、世に出回っている数々の心理学やメンタル系の書物を厳選してそのエッセンスを抽出して、ギュッと凝縮して1冊にまとめた趣きです。ストレス解消法+αの内容です。 近くの古本屋で300円でした。店頭でパラパラとページをめくってみて、極めてコスパの高い本だと感じました。 本書は「悩みの解決法を知り、それを行動に移す」というシンプルなものです。 問題を言語化して書き出し、ToDo(すべきこと)というタスクに置き換えて実行します。 「朝散歩」の運動療法が最も大事なこととして、繰り返し本の中で強調しています。 太陽の光を浴びてセロトニン神経を活性化させることが、質の良い睡眠につながり、心の健康を維持する上で決定的に重要らしいです。 基本的な方法は、起床後1時間以内に15−30分の散歩を行うというものです。週150分以上の有酸素運動で、薬物療法と同程度かそれ以上の効果があるといいます。(p33, 39) ToDoリストに加えて、人生を豊かにするためのウィッシュ(やりたいこと)リスト(p316)、寝る前に3行ポジティブ日記を書く(p251, 271)という、 アウトプットにより状況は好転し、悩みが解決に向かうということです。 試してみる価値は十分あると思いました。 2023.11.29 追記 運動はメンタルにめっちゃ効く! https://m.youtube.com/watch?v=l0yWMtC-2Xo&pp=ygUt6YGL5YuV44Gv44Oh44Oz44K_44Or44Gr44KB44Gj44Gh44KD5Yq544GP77yB
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『森の情景』 週末から山に出かける予定でしたが、しばらく天候不順が続くみたいなので中止しました。 イオンモールのストリートピアノ🎹を弾きに行きました。 全く誰にも聴いてもらえませんでしたが(下の階で大型犬がワンワン鳴いていました笑)、弾いて吐き出して、とてもスッキリしました😊。 シューマンの『森の情景』全9曲から2曲抜粋。 『森の情景』は、知名度においては『子供の情景』に及ばないのですが、7曲目の「予言の鳥」のように、瞑想性や暗さ悲しさが際立つ部分があって、個人的にはとても好きです。 曲集の中では、「予言の鳥」が一番難しく感じます。 何というのでしょうか、掴みどころのない難しさがあって奥が深いです。 『森の情景』は学生時代、師匠のところでレッスンしてもらったものの焼き直しです。東横線に乗って、横浜のレッスン室まで通った日々が思い出されます。しばらく練習は続けます。
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チャリンコ族はいそがない 熊沢正子 著 山と溪谷社 登山経験が少々あり旅行を愛する著者は、4年間勤めた東京の出版社を思い切って辞めた。 ツーリング用の自転車にテント泊装備と生活用具をくくりつけ、北海道から沖縄へ、そして再び北海道へ。 85年6月から2年1ヶ月にわたる日本一周の旅で、何人もの旅仲間たちに出会い、わが国の現状をつぶさに見てきた。それらは、自らの生き方を仕切り直すきっかけとなった。 東京に住んでいた学生時代、自転車旅に憧れ、近くの図書館から本書と九里徳泰著「チベット高原自転車ひとり旅」の2冊を繰り返し借りて読んでいました。 情報は80年代と古いですが、本書からは当時の日本列島、特に北海道や沖縄県の状況がよく伝わってきます。 風来坊(長期旅行者、本書のキーワード)たちと旅先で賑やかに宴が連日繰り広げられ、すごく楽しそうな雰囲気です。 著者は当時20代後半、早稲田大教育学部卒でどこか垢抜けなくも、酒好きで物怖じしない性格の女性です。 旅日記にとどまらず、登場人物を通して人はいかに生きるべきか問います。石垣島白保海岸の埋め立て計画にも触れ(p192)、ルポ的要素もあって読み応えがあります。 東京をフェリーで出発して、苫小牧港から北海道一周を始めます。北海道で4ヶ月、青森から東京で1ヶ月、東京から九州、沖縄へ。沖縄には10ヶ月間滞在。 走りながら考えよう。私はこれから、どこで、どうやって生きていきたいのか。 これまで歩いてきたレールの上からはずれて、果たしてこの社会で生きていけるのか。 会社で好きな仕事をさせてもらって給料を受け取り、生活の安定を得るといったような、世の中で一番通用する「賢い生き方」に代わる、自分の軸が掴みたい。(p38) 風来坊にとっての日本列島は狭い。沖縄から北海道、北海道から沖縄と走り回ってしまえば、後は海外へと目が向いていく。 結局居心地の悪い日常生活がこらえきれずに、再度、再々度と旅に逃げ場を求めて飛び出してしまう人が実に多い。(p137) 旅の資金が尽きてくると、否が応でも自分の身の振り方を考えなければなりません。理想と現実とのギャップに悩みます。風来坊たちも、それぞれの道を歩み始めようとしています。 「旅に人生を預けているような中年の人たち(p171)」のような、場当たり的人生はリスクが大きい。 底無し沼から自分を救い出さなくてはならない。暮らすには窮屈だが、仕事の多い東京だったらとりあえず路頭に迷うことはない。 彼女は結局実家のある東京西部に戻り、フリーライターで生きる道を選びます。 著者の熊沢さんをはじめ、石垣島米原キャンプ場に長期滞在していた若者たちも今では60, 70代です。 彼らがその後どうなってしまったのか気になります。なお米原キャンプ場は、利用者と住民との間にトラブルが頻発して休止したということです。 ①本書 ②「旅」96年12月号に出ていた熊沢さん
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『由美香』 ★★★★☆ 明日のことなんか、知るか——。 伝説の自転車不倫旅行、41日間•1,052kmに及ぶ全記録! 主演: 林 由美香 監督: 平野 勝之 かつて深夜番組で紹介され、なかなか観られなかった映画🎥を、GWの休日を利用して観ました😊。 本作は1996年夏に、平野勝之監督が女優の林由美香さんとともに、新宿歌舞伎町から北海道の礼文島(トド島)を目指してテント泊で旅したロードムービーです。 (翌97年5月に劇場公開) サイクリングとアウトドアの魅力が満載で、見応え十分でした。 ワンテント⛺️でコラボキャンプをたくらんでいる方には、参考になるかもしれません。 コールマンのツーリングドームでしょうか、結構大きなテントが使われていました。 使用自転車も、本作のために特注したオーダー車という力の入れようです。 無料キャンプ場は、旅人(流れ者?)たちの憩いの場です。 当時の、中富良野森林公園が映し出されていました。かつて夏休み期間これほどまでに若者たちで賑わっていたとは... テント村といえるほどの規模でした。 平野監督が旅人たちにインタビューし、その対話の様子がなかなか興味深かったです。 (ビデオ撮影の)仕事で旅する2人が、流れ者になり切れず、若い彼らに劣等感を抱いたというのも分かる気がします。 都会人としてのスタンスが揺らぎ、もう少しで流される一歩手前のところで踏みとどまっています。 2人旅ではケンカすることが多いです。 トイレのシーンや酔って粗相をするシーンを載せることも、人間の本質を描く上で不可欠と平野監督は考えたのでしょう。 最後の、彼女に排泄物を食べさせるミッションもその延長線上にあるのかなと思いました。 (デビューから年数が経ち、奇抜な企画を演らないと女優として生き残れないと説得していました。これはない方がよかったです) 前モーメントで、コラボ山行はいただけないと書きましたが、色々考えさせられました。 旅にあっては「旅の恥はかき捨て」なのでしょう。決して真似はできませんが、憎めませんでした。面白かったです。 特典映像で、平野監督が共演者の由美香さんを亡くなった今でも好きだと言っていたのが印象に残りました。
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蟹工船 小林多喜二 著 岩波文庫 逃げ場がなく、追いつめられる労働者たち。 5月1日はメーデーでした。 日本最初のメーデーは、1920(大正9)年5月2日に上野公園で行われました。当時は第一次世界大戦の戦後恐慌の到来で、労働運動が各地で活発化していました。 最近やたらに締め付けが厳しいです。 実はもう、日本国中、底辺の職場では蟹工船化=ブラック化がエスカレートしていると危惧しております。 歴史は繰り返す。現在の状況を理解するには、まず歴史を知ることだと言われています。 蟹工船は、1929(昭和4)年に書かれた、資本主義の矛盾と搾取がテーマのプロレタリア小説です。 本書を紐解くと、日本は元々弱肉強食の国だったのか⁉︎と目を覆うような光景が広がっていて、妙に納得させられます。底意地の悪い日本国民。底辺の労働者を踏み台にしないと幸せになれない。 ひどい世の中です。格差社会と貧困、そんな世の中で生きてゆく意味ってあるのでしょうか。 ------------------------------------------------- 話の流れをざっとまとめました。 「おい地獄さ行くんだで!」 蟹工船博光丸に乗り込む二人の酒臭い漁夫たちは、函館の街を見ながらこう言った。地獄の遠洋漁業4か月の始まりである。 蟹工船は、安い元手でばく大な利益を上げることができた。経費を抑えるために、廃船寸前の老朽船を改装して使用した。しかも、航海法や当時の労働法である工場法の適用を受けなかった。違法労働であっても、帝国のためなら何だって正当化できるのだ。 雑夫のいるハッチから、船底の棚に函館の貧民窟などから来た14, 15歳の少年たちがいるのが見えた。 薄暗い中で、漁夫たちがゴロゴロしていた。異臭がして、まるで「糞壺」だった。 夕張炭鉱でガス爆発に遭い、山から逃げてきたという元坑夫もいた。それを聞いていた漁夫は「ここだってそう大して変わらないが...」と言った。(p13) 秋田や青森、岩手から来た出稼ぎの漁夫は、金を作って故郷に帰ることを考えている。雪の北海道で「越年」するためには、労働を低賃金で「売らなければならない」。 しかし、上陸すると函館や小樽で金を使い果たし丸裸になり、毎年その繰り返し。将来のことは誰も考えていなかった。 北海道の仕事はどれもが季節労働だった。 流れ者をかき集めて働かせることが、雇い主にとってこの上なく好都合だった。(p16) 監督の浅川を先頭に、雇い主たちが入ってきた。 「この蟹工船の事業は、国際上の一大問題なのだ。帝国の大きな使命のために、命を的に北海の荒波をつっ切って行くのだ」 船は宗谷海峡に入った。波の飛沫の間から、樺太の山並みが見えた。オホーツク海は灰色で、細かい雪が雑夫や漁夫の顔に突き刺さった。 監督は鮭殺しの棍棒を手に、大声でどなり散らした。 蟹工船には川崎船(小型の発動機付き漁船)を8隻乗せていた。波にもぎ取られないように縛り付けるために、漁夫たちは命を「安々と」賭けなければならなかった。(p21) 長時間の作業を終え、糞壺に戻る。寒中作業で手足の感覚は失われ、大根のようだった。誰も口をきかなかった。ストーブがくすぶっていて、冷蔵庫に投げ込まれたように寒い。船の鉄壁から凄い反響音が聞こえていた。 時化の中、雑夫の1人が作業中に逃亡。 深夜、並進していた秩父丸からSOSが送られてきた。監督が無視しろと船長に命令。 船の実権は、資本家の代理としての監督が握っているので、法が定めた船長の権限はなかった。 やがて無電室の受信機に乗組員425人救助見込みなしの連絡が入り、沈没した。他人事ではなかった。(p25-28) 仲介業者に欺されて連れて来られた学生17, 8人は、ボロ飯で体調を崩していた。脚気と便秘に苦しんでいた。 逃亡していた雑夫は捕まり、懲罰として便所に閉じ込められ半殺しの目にあった。 荒れる海に、監督は無理に川崎船を出漁させた。 「人間の命を何だって思ってやがるんだ! ——人間なんて思っていないよ」(p36) カムサッカの突風の中、川崎船は行方不明になった。 3日後、川崎船は奇跡的に帰ってきた。 助かった漁夫らの話では、船はカムサッカの岸に打ち上げられ、ロシア人に救助されたという。 「あなたがた、貧乏人」 ロシア人から、いくら働いても貧乏なプロレタリアートは搾取され続け、ますます貧乏になってゆく話を聞かされた。団結して資本家を実力で倒せば、必ず生活は良くなるのだと教えられた(p42-46)。 蟹工船での作業は、さらに過酷を極めていった。 飛びかう猥談。性欲に悩まされ悶々となり、不眠になった。漁夫が夜這いをかけ、若い雑夫を犯した。地獄だった。(p47) 監督は下っ端どもをけしかけ、互いに競争させた。一番出来ない者に焼きごてを当てると脅した。 北海道の開拓地などでの、労働者の悲惨なエピソードの数々。(p55-60) 漁夫たちは不潔の極みだった。虱や南京虫がわいていた。 やがて漁夫たちの体は、何日も続く過労のために動かなくなった。作業中に学生が卒倒した。 300人の者が最悪な労働環境に毎日放り込まれていると、思考動作言動が同じになっていった。どれも泥人形のような顔つきだ。 「とても続かねえや。おらァ仕事サボるんだ。できねえ」 元坑夫が言った。それは船員へと伝染し皆がサボるようになった。 中積み船が到着した。活動写真(映画)鑑賞会が催された。勤労は美徳であるという教訓的な内容で、それが本当なら俺は社長になっているとブーイングが上がった。(p70-75) 蟹工船では事故よりも、懲罰による傷害や病気の方が多かった。船医は証拠隠しのために診断書を書かなかった。(p83) 脚気で寝たきりだった漁夫が死んでしまった。27歳だった。病気の者だけで通夜が行われた。すすり泣きが洩れた。 「さようなら。がまんしてな」 死体は麻袋に詰められ、監督の命令で海に沈められた。 漁夫の死をきっかけに、彼らの間に支配側に対して反抗的な気持ちが食い込んでいった(p91)。 学生の1人がストライキを発案した。労働者たちを連帯し、団結に向かわせた。 漁獲高が減って監督は焦った。他船の網からも上げさせ、領海侵犯もした。 「監督に反抗する者は銃殺」のビラが貼られた(p96)。 「今、殺されているんでねえか。小刻みによ」 資本家の目的は、搾取して自分たちが儲けることでしかなかった。 「俺たちが働かなかったら、一匹の蟹だって金持ちの懐に入って行くか」(p100) 大暴風の中の出船を拒否して、漁夫たちは反乱を起こした。 彼らは要求条項と誓約書を持って、船長室に押しかけた。 監督は落ち着いていた。「後悔しないか」 そう言った次の瞬間、監督は叩きのめされた。 ほどなく駆逐艦が来て、9人の首謀者は逮捕された。騒ぎは簡単に片付いてしまった。 監督が無線で手配していたのである。国民の味方であるはずの軍艦は、実は資本家の手先だった。孤立無援。ストライキはみじめに敗れた。 労働はさらに過酷になり、耐え難いものになった。 死ぬか生きるかだ... 彼らは、2度目のストライキを秘かに企てていた。
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「友だち」から自由になる 石田光規 著 光文社新書 SNS時代の新しい「友だち」の付き合い方を考察する。 「友だち」の概念は激変した。縁の結び方や探し方もインターネット、情報通信ツールの出現で大きく変わってしまった。いま、他者とのつながりを維持するために何をすべきか。 去年、Yahoo!ニュースで書評を目にして以来、すごく気になっていた本です。 「友だち」の意味や、付き合い方の現状について、大いに考えさせられました😰。 YAMAPにはブロックという便利な機能があって、 本書でいう「友だち」関係を終わらせたいとき、例えば何らかのトラブルが持ち上がり相手をヤバい人と認めたときなどに、一方的に強制終了できるシステムがあります。 相互フォローの方と、お正月に今年もよろしくお願いいたします...と互いに挨拶したばかりでしたが、つい先日バッサリと。 (∴ヤバい人と判断されたのかな💦) SNSの「友だち」関係はかなり不安定で危ういと、身をもって実感しました。 あなたは間違っている、それは違うと心の中で思っても、わきに置いておいて、相手の誤りを指摘しないのが一番無難です。 本書では、これを「閉じられたやさしさ」(p70)と表現しています。親しくなっても、SNSの相手に反対意見を述べて波風を立てるのはご法度といえます。 「形から入る友人」関係の中を生きる私たちは、「友だち」というつながりをつくり、その形を壊さないよう場の空気を読み、親しさを演出しているのである(p67)。 情報通信ツールでは、コミュニケーションが可視化され(p125)、記録に残ってしまいます。 「形から入る友人」間では、メッセージやいいねの数といった、記録の積み重ねが承認の判断材料となってゆく(p136)ので、付き合いを維持したいのであれば、なおさら慎重に戦略を考えて対応する必要があると思います。 本書では、コスト、コスパという語がこれでもかという位何回もくり返されます。これも「形から入る友人」同様、根幹をなす重要なキーワードです。 コスト(cost)は、名詞だと①代価, 費用②犠牲, 損失 という意味です。コスパは和製英語で、費用対効果を表す語として用いられます。 友だちには「受け入れられている」感覚と同時に、利用価値がある=コスパが高いことが大事らしいです。 これからは、オンラインによる非対面の交信が主流となり、私たちは人と直接会うにあたり、会うに足るだけの理由を求められるようになる。 その結果、直接会うに足るような魅力を備えている人だけ、対面接触の中に残されてゆく(p190)。 なるほど。コスパが低く、魅力的でない選ばれなかった者は蚊帳の外となるのもうなずけます(笑)。 リアルで会うことすら許されません。 友人として認めてもらい、善い人間関係を結ぶためには、自分の能力やスペックを高め、多くの人を引きつけなければならない(p162)としています。 著者は、SNSの人間関係には批判的な立場です。 それでも、相手を資源とみなすコスパ重視の「形から入る友人」の関係が「真の友情」に変わる望みもまだ残されていると、最後の章で説きます。 「友だち」の概念にとらわれない。 長期の視点でコスパを考えること。長いスパンの中でいろいろな人に出会って友だちと呼べる人が数人でもできれば、それでよいとしています。 まず、誰かと一緒にいてみることだ。 そのような心持ちでいたほうが、気持ちよく人付き合いができるだろうし、「真の友情」に到達できる可能性も高いはずである。(p211) 現状を憂うよりも、自分が時代の流れに合わせて戦略的に変わっていかなければならないことがわかりました。 本書には、今まで何となく感じていたモヤモヤがわかりやすく解説されていて、とてもありがたいと思いました。 友人や恋人を選ぶ判断基準が、ドラマのように偶然の縁で出会ったからというロマンチックなものではなく、 SNSやマッチングアプリを意図的に効率的に駆使して、事前に不良物件を避けつつ有用な候補を選んでゆくというシビアで超現実的な考え方にシフトしているのも、興味深かったです。 資本主義の世の中では、値踏みされるのもある意味仕方ないと諦めています。 青木雄二さんの「ゼニの人間学」に、女性は男性を記号としか考えていないと書いてありましたが、その記号性の度合いが一段と強まったように感じました。 情報通信ツールで、記号たる相手の本質は果たして見抜けるのでしょうか。写真やメッセージの上手さに惑わされない鑑識眼が必要ですね。
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山岳霊場巡礼 久保田展弘 著 新潮選書 国内の主要な山岳霊場8つを取り上げ、修行体験と数々の歴史書からの引用など交えながら、山岳宗教の根源に迫ってゆく。 宗教思想史研究家である筆者は、羽黒山の峰入りの行、大峯山系の奥駈け修行、比叡山の回峰行などの厳しい山岳修行にも参加し、修験者たちと霊的体験を共有した。 フィールドワークと書物調べの同時並行で山岳宗教を理解してゆくことを、筆者は独自に「歩く宗教学」と呼んだ。 山は文化の母胎であり、そこには宗教の根源がある。山は途方もないエネルギーを人々に与え続けている。 筆者は国内の山岳霊場をさまよい歩き、そのエネルギーを自ら体で実感した。 フォローの方の熊野三山レポを最近読んだのがきっかけで、本書を読み返してみました😊。 下北半島の恐山を初めてお参りしたとき、本書を参考にしました。当時はネットもなく、情報もなかなか集められませんでしたが、本書のおかげでまだ見ぬ土地へのイメージをふくらませるのに大いに役立ちました。 雑多なエピソードを盛り込み過ぎの感があって、入門書としてはやや難しいです。 日本を代表する8つの霊場について、各章ごとにまとめられています。主に、開山の歴史やゆかりの歴史的人物の紹介に重点が置かれています。 本書に出てくる山は次の通りです。 I 恐山 II 出羽三山 III 木曽御嶽山 IV 比叡山 V 大峯山と熊野三山 VI 高野山 VII 立山 VIII 白山 神仏習合と本地垂迹説、修験道が山岳信仰を読み解くキーワードです。 本地垂迹説とは、神の本当の姿は仏であり、仏が人間を救うため神に形を変えて現れたと説くものです。神仏習合という考え方です。 神も仏もいずれも否定しない信仰の営みが、わが国には千数百年ものあいだつづいていた(p211)。 山には人が背負う罪と穢れを浄めた者だけが入り、山神と交わる異次元の霊地である。山を下りた行者は、修行の験力を示せるので修験者と呼ばれた(p109)。 歴史的に見ると、平安時代から鎌倉時代にかけて始まった大峯修験が修験道の源流となりました。 山に神が宿るとする山岳信仰は、神仏習合の考え方と結びついて、人々の中に違和感なく浸透していったと大筋で説明されています。 筆者の大峯奧駈け修行の体験記が、117ページから124ページ付近にまとめられています。このあたりが本書のヤマでしょうか。 吉野から熊野に抜け(逆峯)、山中6泊約180km。 当時は、全行程の3分の2区間は男性しか登拝を許されなかったそうです。今なお女人禁制の地があります。奥駈け修行は、懺悔の行に他ならなかったと述懐しています。 「西の覗(のぞき)」で行われる逆さ吊りの捨身行は、修験道のドキュメンタリー番組で見た覚えがあります(写真)。 (吉野の)蔵王権現から那智の観音信仰へ。この一大山岳霊場には、いまも地つづきの信仰が生きている。大自然の息吹きと、その尽きないエネルギーが、神仏習合という、日本のもっとも自然で力強い宗教世界をつくってきたのである(p124)。 「山に挑戦するとか、征服するとかという思いはただの一度も抱かなかった」と筆者はあとがきで述べています。個人的にはこの姿勢に共感しました。俗世を離れ、母なる山と一体になりたい心境だったのでしょう。 本書には、巡礼の旅で見落とせないスポットが大体網羅されているので(II章までの私見。木曽御嶽山以下の山は未確認)、ガイドブックとしても使えなくもないかな?と思いました。
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新しいマット買いました。 シートゥサミット・ウルトラライトS.I.マット(Xスモール) シリーズ中最軽量かつ最もコンパクトなマットレスです。必要な箇所のクッション性とサポート性はそのままに、身体の部位に応じて内部フォームを肉抜きすることで20パーセントの軽量化を達成。 重量 XS=385g 外寸 全長×幅:XS=125×51cm サイズ XS 収納サイズ XS=径11×26cm 厚さとR値 厚さ=2.5cm、R値=2.6 追記 初使用時は、マットを24時間膨らませたまま放置しなければならないこと(←そんな時間ありますか?)、 保管するときは、スタッフサックから出して膨らませておくようにとの説明書きです。 なお、一度膨らませてしまうと、収納サイズは径が12-13cmになり、スタッフサックに力いっぱいギュウギュウに詰め込まないと入りません。
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①恐山 死者のいる場所 新潮新書 ②「前向きに生きること」に疲れたら読む本 アスコム 南 直哉 著 ①恐山は1200年続く死者供養の霊場として知られるが、その本質はあくまでも器である。 力も意味もない。人々が死者への想いを放出する、パワーレス・スポットである。 ②人生とは「自分」という舟で川を渡るようなものである。 川を渡り切れば人生は終わる。たどり着く先(=死)は誰にもわからない。ふと生まれてきただけの人生に、意味や価値を求める必要があろうか。 無理せず、力まず、ラクに生きるコツを伝授する。 著者の南直哉さんは、青森県恐山菩提寺の院代(住職代理)、福井県霊泉寺の住職を勤めておられます。 早稲田大学第一文学部を卒業後、2年間の大手百貨店勤務を経て、1984年曹洞宗で出家得度。永平寺で約20年の修行生活を送り、2005年より恐山へ。 「恐山」は2012年、「前向きに生きることに疲れたら読む本」は2017年の「禅僧が教える心がラクになる生き方」を改題し加筆修正したもので、2022年に出版されました。 ①「恐山」は、著者が霊場恐山について思ったことや感じたことをまとめたものです。 ②「前向きに生きる」は、禅僧が語る人生論&生き方のヒント集といった趣きです。結局、状況はなるようにしかならない。あるがままに生きる。人生に過度に期待してはならない。時には諦めも大切なのだ...🤦🏻♂️と。 状況が打開できなくて困ったときは、その困った状況を言語化するのが良いそうです。 「問題」に組み立て、主語と述語を明確にして紙に書き出す。人に話せるようにする(p134)。 個人的には、このテクニックが一番役に立ちそうだと思いました。 第4章では、恐山で出会った人々のことや、死者との向き合い方について触れています。後悔を抱えたまま、生きればよいとしています。 ①②は姉妹編の関係にあると感じました。 --------------------------------------------------- ②「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本の、覚え書きです。 「苦しい」とおっしゃる方たちの話を伺っていくと、気づくことがあります。 問題をクリアに見ていけば、解決の糸口は意外に身近なところにある場合が多いこと。 また、つらいと感じている「自分」が本当はどんな存在かを知ればそのつらさを飼いならして、もう少しラクに生きていけるということです。(p3) 一章 あなたが大切にしている「自分」とは何か 昨日の自分と今日の自分が同じだと言える根拠は、2つしかありません。 それは、自分自身の記憶と他人からの承認だけです。(p16) 諸行無常とは、この世のすべての物事は変化していくことだと解釈されます。しかし、私が感じ取った意味は違います。 生きること自体に意味などない。 自分の存在には確かな根拠がない。 人の存在には確固たる根拠などない。 2500年前に釈迦が残したこの言葉は、そう教えてくれました。(p24) 今見ているとどんな人も非常に力が入っています。 「よりよい人生を生きなければならない」と思い込み、「人に勝たねばいけない」と焦っている。 さぞ苦しいだろうから、力を抜いて「大したことのない自分」を生きればいいのにと思います。(p39) 「何を大切にして生きたいか」を考えて、それをやることです。 自分のためでなく「誰かのために」「何かのために」なすべきことをする。将来は変わってもかまわない。少なくとも「今」自分がやるべきことは何かを考えるのです。 私はこのことを「自分のテーマを決めて生きる」と言っています。(p46) 生きるか死ぬか以外は大したことではない。これは、極端な言い方です。 しかし、そこまで枠を広げてしまえば、今まで大きく見えていた問題が一気に小さくなります。すると、スッと冷静になれるのです。(p52) その視点を養えるかどうか。 それが、ときにその人を救うこともあるのです。(p53) 人生を変えるような大きな決断は、自分の判断だけで済むことはまずありません。不思議なもので、まったく予想外の力が働きます。(p55) 自分の居場所がどこにもないと言う人がいますが、居場所がなくて当たり前なのです。 すべては仮の宿であり、一時的な場所ですから。(p61) 「置かれた場所」がつらければ、別の場所を探してもいい。(p63) 人生のそれ自体に意味などないのだから、わからなくていいと気づく。 そして穴の空いた自分と折り合いをつけながら、持ちこたえていく術を身につける。 世の中には、今の自分の視点だけではない別の見方があると気づくと、今まで見ていた景色がガラッと変わるような感覚が生まれます。(p67) 世の中に今ある情報の99%はなくてもいいものです。自分にとって必要な情報はせいぜい1%程度でしょう。(p72) いったいわれわれはどこから手をつけたらいいか。 それにはまず、自分の問題から逃げず、しっかり困ったり悩んだりすることです。 人が学び始めるのは、自分の悩みや問題を見据えることができ、この状況をなんとかしたいと本気で考えたときです。 悩みや苦しみをなんとかしたいと切実に思ったとき、人は情報の選別を始めます。 「情報を使いたい」「問題を解決したい」と実践を繰り返すうちに、少しずつ情報から世界観へのループが回り始めます。(p74) 私には悩んでいる人たちが、「ネガティブ」「うまくいかない」などの言葉を自分に貼りつけた時点で安心して、考えることをやめてしまっているように見えます。(p78) 生きることへの違和感があるのなら、そのネガティブやいろいろの中身をきちんと考えなければ先へ進めません。 自分が何に困っていて、何が欲しいのか。 自分がどんな状況にいて、どう変えたいのか。 それを見極めるためには、置かれた状況を冷静に見て具体的に考えていく根気が必要です。(p78) どうにかしたい状況があるのなら自分が「これは!」と思ったことを実際に試し、少しずつ修正していくしかありません。(p79) 二章 「夢」や「希望」という重荷を下ろす 私は人間にとって挫折は大事だと思います。なぜならそのとき人は損得感情から離れられるからです。ふだん、人は得をしたいと思うところから動いています。 しかし、人生につまずくとそんな算段は吹き飛びます。思い通りにいかなかったとき、夢破れたときに、人は損得から離れ、自分が本当に大事にするものを見極めます。(p87) 自分が大切にしたいものがはっきりしていて、明確なテーマがあるなら人生の岐路での選択に迷いがない。迷ったとしても最終的には自分で決められる。こういう人は強いと思います。(p105) あなたが大事にしたいテーマはなんでしょうか。 どんなことでもいいのです。テーマが定まっていれば、人生の選択を迫られたとき、ぶれない指針となります。(p106) 三章 感情に振り回されないために こじれた人間関係が、自分ひとりの努力や愛情でどうにかなると考えるところから、まず一歩離れてみる。 家族から国家までどんな集団であっても、人間関係の基本は「政治」だと考えることです。つまりすべての人間関係の底には、利害関係と力関係が働いていると見通すのです。 そこをきちんと見なければ、正しい状況把握はできません。(p119) なぜ人が感情に翻弄されるかといえば、根本的に物事の認識を誤っているからです。 感情の問題の十中八九は、ものの考え方と見方の問題です。 事態を正しく認識していれば、いったん感情が乱れてもそれに翻弄される事はありません。(p124) 感情や思考の動きを沈静化させ、意識の方向を切り換えるためには、体のほうから感情をコントロールするテクニック(=坐禅)が必要なのです。(p128) 散歩や入浴、お茶や食事などでクールダウンするときは五感に集中することが大切です。(p130) 自分の問題を「他人にわかる言葉」にしてみると、解決の糸口が見えてきます。 主語と述語を明確にして、自分の置かれた状況や問題点を整理してみましょう。(p132) なぜ状況を言語化できないのか。それは、自分自身の問題について考える作業をやってきていないからです。 言語化する際には、まず主語と述語をはっきりさせなければいけません。主語と述語の明確な言葉で、自分の置かれた状況や感情、問題点を書き出す。あるいは、人に話すのです。すると、問題の枠組みができていきます。(p134) 一番大事なのは、解決策を教えてもらうことではありません。自分の問題が明らかになることです。 問題が明らかになれば、相手から答えを提示されるまでもなくアプローチの方法は自分で見出せるでしょう。 だから結論や答えを得ようと焦らず、まず自分の問題を自分の言葉で明らかにして、人前に持ち出せるようになることを目指すのです。(p137) もし人間関係に煩わしさを感じているのなら、人脈は言うに及ばず、友だちも必要ありません。むしろ友だちなどつくろうとしないほうがいいのです。(p156) 自分が抱えている問題を話せる「淡い関係」の人をつくる。 自分の姿を照らし出す鏡のような相手と話すことで、問題が浮き彫りになり、解決への第一歩を踏み出せます。(p174)
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今日わが国のクラシック音楽の総本山🗻、東京赤坂のサントリーホールに行って来ました。 イーヴォ・ポゴレリチ・ピアノリサイタル🎶 曲目はショパン晩年の作品を主とした、オール・ショパン・プログラム。 アンコールもショパンで、プレリュード嬰ハ短調op.45とノクターン第18番ホ長調op.62-2の2曲でした。 嬰ハ短調のプレリュードは、デビュー盤にも入っていたからお気に入りの曲なんでしょうね。 剛腕ピアニストのポゴレリチも、今や64歳です。さすがに、かつてのコンサートグランドを壊すほどの気合い勢いは無かったです... 演奏に独特の停滞感が拡大しているのが、個人的には気になってしまいました。けれども、老境を迎えてポゴレリチの芸風が変わりつつあることを感じました。 真ん中のS席に座っていた聴衆が、アンコールのあと総立ちになっていたのが印象に残りました。
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アルピニズムと死 僕が登り続けてこられた理由 山野井泰史 著 ヤマケイ新書 「人生クライマー🧗」東京有楽町まで観に行けないので、行ったつもりで想像です。 本書では、2014年に50歳を迎えようとする著者の山野井氏が、数多くの厳しいクライミングで生き残った理由を、自伝風に綴ってゆきます。 確かに、九死に一生の困難なシチュエーションが多いです。しかし、無類の想像力と数多くの経験、冷静な判断で対処したからこそ帰還できたのではと振り返ります。 多くの夢半ばの友や実力者たちを山で失ったと、しみじみ感慨にふけっています。 行動中につけたクライミングメモから、自身の中で特に印象に残っているギャチュン・カンやチョ・オユーなどの記録を紹介。 凍傷で指を失った後のリハビリや、奥多摩の自宅近くで熊に襲われた時のことも詳しく書かれています。 経験を通して身につけた動物的な勘、自分の感覚を信じることが大事だと述べていました。ある意味、昔の山屋なのだと思いました。 目標選定にあたっては、その山が本当に心から登りたい山なのか深く自問し、自分の能力の限界を決して越えないものを選んだそうです(p184)。 著者の考える生きる目的とは、目標の山に到達し生命を実感することでした。 困難に向かうのが面白く、その達成感は何ものにも代えがたい。山に限界を求めず、死がなかったら単なる娯楽に過ぎない。人生をかけるに値しない。 登攀中に命を失うことも仕方ないと、率直な思いがよく伝わってきました。 示唆に富む一冊でした。共感する部分が多かったです。 --------------------------------------------------- 本書で特に印象に残ったのは、著者の山野井さんの方法論です。想像力を重視して利用していることです。 「想像すること...僕の最も得意とする分野かもしれません」 なんと本書執筆時より20年も昔の、ガッシャブルムIV峰の記憶を掘り起こしながら説明しています。記憶力もすごいです。 部屋で横になり深呼吸しながら、登ろうとしている対象の山や岩が眼前に存在するくらい思い描き、シュミレートしてゆきます。 例えば「5700メートル付近から、ピラミッドのようなガッシャブルムIV峰が見えてくる。緊張のあまり心拍数が上がるが、しっかりと目標の東壁のコンディションを見極めている」のような感じです。 イメージすることで、限界や引き際も自ずからわかってくるといいます。最悪も想定すればこそ、ギャチュン•カンの時のような「冷静な対応」も可能になると。 登山経験が増えるにつれ、ますます想像力は豊かになり、想定外に遭遇する機会も減ったということです。 流れをざっとまとめました。 ⚫︎人生の一時期を共に過ごした友人たちのこと。妻妙子のこと。 ⚫︎2つの生還事例。 ①ネパールのギャチュン・カンで雪崩に遭い、(経験に基づいて)冷静な判断により、危機を脱出した。(p136) ②自宅近くで熊に遭遇。相手に身体を倒され被害を受けても、その場で取りうる最善のことをした。(p151) しかし、けがの後遺症は大きくソロクライミングを断念するきっかけに。 20年来のやり方を変更して、アルパインスタイルへ。 ⚫︎最後に2013年のペルー・アンデス遠征。 第1章 「天国に一番近い男」と呼ばれて(p10-64) 鋸山での事故の記憶から始まる。 国内から海外まで山岳関係書を数多く読み、手ほどきは受けず、独学で基本技術をマスターした。(p17,32) 1982 城ヶ崎海岸でクライミング中に事故、翌年同地で死亡事故に遭遇。 若き日の雑誌インタビューから。(p42-54) 成功した次の2つの登攀について。 1988 トール西壁単独初登(p23-30) 1994 チョ・オユー南西壁アルパインスタイル・ソロ(p55-64) 第2章 パートナーが教えてくれたもの(p65-84) 中垣大作、ヴォイテク・クルティカ、山野井妙子、3人の強力仲間から学んだこと。 第3章 1996-2000 敗退の連鎖(p85-94) 第4章 2000年以降の記録 第5章 危機からの脱出 2000 K2の南南東リブを単独初登攀。(p98-100) 2002 ギャチュン・カン北壁登頂後、悪天候のなか奇跡的に生還する。凍傷のため手足の指を計10本失う。これまでの経験に基づく冷静な判断ができたからこそ戻ったと振り返る。 ネパールの病室での写真。(p102, 135-149) 2003 奥多摩のハイキングから再スタート。(p104) 運動能力、体力ともに激落ち。リハビリ。 2007 グリーンランド「オルカ」と群馬下仁田の西上州一本岩。(p112-119) 2008 奥多摩で熊に襲われる。(p150-156) 自宅近くで熊に遭遇。相手に身体を倒され被害を受けても、その場で取りうる最善のことをした。(p151) 中央アジアのハン・テングリへ。 2009 再起をかけたクーラ・カンリでは、熊に噛まれた怪我の後遺症で何もできず。鼻呼吸ができなくなり高山病に。(p122-124) 2010 登山スタイルを変更。 2011 タフルタム敗退。高所でのソロクライミングを断念、単独への未練は捨てる。(p127) 2012 ヨセミテ・ヘブン、ゾンビ・ルーフ(5.13a)登攀。(p 128-133) 第6章 アンデスを目指して 2013 ペルー・アンデスのブスカントゥルパ東峰南東壁を初登攀。トラペシオも南壁から成功。 2014年3月惜しくも山に散ったクライマー野田賢さんとの、ブスカントゥルパとトラペシオ登攀を振り返る。(p158-180)
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脳を鍛えるには運動しかない! ——最新科学でわかった脳細胞の増やし方 SPARK: The Revolutionary New Science of Exercise and the Brain ジョン J. レイティ 著 野中香方子 訳 NHK出版 運動は、脳の働きを最適化する最も強力な手段である。 認知能力と精神的健康に大きな影響を及ぼし、ほとんどの精神の問題にとって最高の治療法である。 「体を整えれば、心はついてくる」 著者のレイティ博士は、ハーバード大学医学部の臨床精神医学の准教授で精神科医です。 著者は、多くの人々が好んで動かない不健康な生活を送り、脳に自ら悪影響を与えていることに危機感を抱きました。 運動を生活に積極的に取り入れ、自発的に運動をするようにと願って本書を書いたということです。 今まで誰も教えてくれなかった、脳や体の機能を良くするアイデア💡に満ちており、この先ずっと役立つであろう一冊だと思いました。 健康寿命を少しでも長くしたい人には、超おすすめです😊。 学習前の運動がひじょうに効果的だということを、イリノイ州ネイパーヴィルの学校の例で最初に紹介し、以下の章でその理由を解き明かしてゆきます。 有酸素運動が不安を解消するという仕組みを、研究者たちが解明し始めたのはごく最近のことだそうです。 脳が活性化され体の働きが良くなり、穏やかに気分が回復します。認知症予防にもなりますが、まだまだ限界はあるようです(p290)。 誰とも交流がなく出歩かず家にこもっているのは、脳に良くないそうです。 最初の一歩を踏み出すのは確かに大変ですが、自分に適した運動を見つけられればしめたものです。 それでは、有酸素運動はどのように行なえばいいのでしょうか。 著者の経験や、読んできた多くの論文を総合して、 「週に6日、45分から1時間、何らかの有酸素運動をするのがベストでしょう。そのうち4日は長めの時間、中程度の強度で、2日は短めの時間、高強度で行うのがよいでしょう」と結論しています。(p314) 最低でも、1日30分だそうです。(p209) 初めての方はウォーキングから始めるのが良いそうです(p315)。最初からハードな運動を試すと挫折しやすいので、硬軟組み合わせるのが良いと。 個人的には、スロージョギングを朝起きてから1時間6km、週6日行なうようにしています。 これに山登りかクライミングをプラスすれば、さらに良いんでしょうね😊。 2枚目は、最近図書館で見つけた本です。 わが国の薬オンリーの「ブラック精神医療」が本当なら、かなり由々しき事態だと個人的に思いました。 いつだったか、お子さんがパニック障害という方と職場で一緒になりました。娘さんは毎日薬を飲んでいるものの、ずっと家にこもってばかりで全然良くならないと。 病院通いは、長い待ち時間と高い治療費で人生を無駄にします。薬の長期服用による副作用も恐ろしいです。体がボロボロになります。 有酸素運動の方がよっぽど健康的だし回復が早いのだと、その方に伝えたかったです。 ---------------------------------------------- 本書の序文は、全体のまとめになっています。 それをさらにまとめました。 運動で爽快な気分になるのは、心臓から血液が盛んに送り出され、脳が最高の状態になるからだ。 わたしはよく患者に、脳を育ててよい状態に保つために運動するように話している。 人間が動くように生まれついた動物だということは忘れられがちだ。 現代の生活は動くことが少なく、人間本来の性質を壊し人類という種の存続を根底から脅かしている。 もっと気がかりなのは、動かない生活は脳も殺してしまうということだ。実際に脳は縮んでいくのである。 脳を最高の状態に保つためには、体を精一杯はたらかせなければならない。 強いストレスを受けると、脳の何十億というニューロンの結合が蝕まれる。うつの状態が長引くと脳の一部が萎縮してしまう。しかし、運動をすれば神経化学物質や成長因子が次々に放出されてこのプロセスを逆行させ、脳の基礎構造を物理的に強くできる。 脳は筋肉と同じで使えば育つし、使わなければ萎縮する。 脳のニューロンは、枝先の葉を通じて互いに結びついている。運動をするとこれらの枝が生長し、新しい芽がたくさん出てきて、脳の機能が根元から強化される。 筋肉を動かすとタンパク質が作り出され、血流に乗って脳にたどり着く。高次の思考メカニズムにおいて、それが重要な役割を果たすことがわかった。 タンパク質群にはIGF-1やVEGFがあり、その発見により心と体の結びつきを新たな角度から見られるようになった。 なぜ脳の働きを気にかける必要があるのだろう。脳がわたしたちのすべてをとりしきっているからだ。 脳の前の部分(前頭葉)は、現に読んでいる内容を信号に変換していて、どれだけ吸収できるかは、ニューロンのつながりを強くする神経化学物質と成長因子のバランスが正しく保たれているかどうかにかかっている。 運動はこうした物質と因子に劇的な影響を及ぼす。 ニューロンの道をつくることの大切さは、本書で扱うすべての問題に関わっている。 今朝、30分間運動したのなら、心の準備は万全で、落ち着いて集中でき、本書の内容を覚える態勢は十分だ。 うつ病の治療には、塩酸セルトラリン(ゾロフト)より運動の方が効果がある。 ニューヨークタイムズ紙は、躁うつ病の子供の治療に恐ろしい副作用のある高価な薬が使われている実態を暴いた。 運動は、ほとんどの精神の問題にとって最高の治療法なのだ。
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