大野ワイルドファイヤー一仁大野ワイルドファイヤー一仁

大野ワイルドファイヤー一仁

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ユーザーID:1469902

  • 活動エリア長野,山梨,静岡
  • お住いの地域愛知
  • 性別男性
  • 誕生日1972年
  • 誕生日11月3日

🧮【9╱26更新】山行日程・大野WF版Wikipediaはコチラ👇️ ■10月3日(土) ー 10月4日(日) 飯豊山【福島・山形・新潟 🇯🇵日本百名山 初】🏚️切合小屋 ■10月17日(土) - 10月19日(月) 霧島山【宮崎・鹿児島 🇯🇵日本百名山 2年ぶり2回目】開聞岳【鹿児島 🇯🇵日本百名山 2年ぶり2回目】🛫中部↔鹿児島 ■10月25日 立山【富山 🇯🇵日本百名山 2年ぶり2回目】 ■11月1日(日) 筑波山【茨城 🇯🇵日本百名山 3年ぶり2回目】 ■11月7日(土) 石鎚山【愛媛・高知 🇯🇵日本百名山 2年ぶり3回目】 ■11月15日(日) 荒船山【群馬・長野 🎌日本二百名山 初】 ■11月21日(土) 那須岳【栃木 🇯🇵日本百名山 今春ぶり3回目】 🟦🟩🟥これまでに登った日本百名山一覧👇️【○印は登頂回数】 利尻山・羅臼岳・斜里岳・阿寒岳・大雪山・トムラウシ山・十勝岳・後方羊蹄山・岩木山・八甲田山・八幡平・岩手山・早池峰山・鳥海山・月山・朝日岳・蔵王山・吾妻山・安達太良山・磐梯山・会津駒ヶ岳・那須岳②・筑波山・燧ヶ岳・至仏山②・武尊山・赤城山②・男体山・日光白根山②・皇海山・越後駒ヶ岳・平ヶ岳・巻機山・谷川岳・苗場山・雨飾山・妙高山・火打山・高妻山・草津白根山・四阿山・浅間山②・両神山・甲武信ヶ岳・金峰山②・瑞牆山・雲取山・大菩薩嶺・丹沢山②・富士山🗻・天城山・白馬岳・五竜岳・鹿島槍ヶ岳・剱岳・立山・薬師岳・黒部五郎岳・水晶岳・鷲羽岳・槍ヶ岳・穂高岳・常念岳・笠ヶ岳②・焼岳・乗鞍岳・美ヶ原②・霧ヶ峰・蓼科山・八ヶ岳➂・御嶽山➂・木曽駒ヶ岳②・空木岳・恵那山②・甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳・鳳凰山②・北岳②・間ノ岳・塩見岳・悪沢岳・赤石岳・聖岳・光岳・白山②・荒島岳・伊吹山⑤・大台ヶ原山②・大峰山・大山・剣山➂・石鎚山②・九重山②・祖母山・阿蘇山・霧島山・開聞岳・宮之浦岳【98/100座】 ※伊吹山は訂正。登山道崩落で、ドライブウェイからの登山回数も後に追加 🟦🟩🟥2021年12月よりYAMAPデビュー。グリーンシーズンは日本百名山🇯🇵⛰️をメインに、基本マイカーでの遠征🚙💨 ソロや仲間を募いながら全国各地に遠征登山へと出没中  🚨COCOHELI ID 0073F0−104 🟨🟪大野ワイルドファイヤー一仁(本名:大野 一仁 旧姓:光原一仁 1972年11月3日 - )は、日本のロックミュージシャン・登山家・コープトラッカーである。愛知県名古屋市緑区出身。身長175cm。血液型はO型っぽいけど一応A型 目次 1 概要 2 来歴 3 人物像 4 逸話 5 ディスコグラフィー 6 その他・エピソード  7 登山 編集]概要 オモチャーズ、サンダースティールJAPAN、ROTTEN A DEADBODY、ロッテンを経て、現在はザ・インディアンズのボーカリストを務める(バンドとしての活動については各項目を参照)。 ROTTEN A DEADBODY初期はがなり立てるような声で歌っていたが、『陽気な天使』以降は封印している。また、スパッツ一丁の上半身裸になったり、舌をベロベロ出したり、カニさん♪×2どこ行くの?走法をしたり等エキセントリックなライブパフォーマンスを見せる。曲によっては、10穴ハーモニカ(愛用はHOHNER社製のSpecial 20だが、近年は金欠のため、アリタの低価格ハープとの噂も…)の演奏もする。 作詞・作曲のスタイルは、大きく分けてROTTEN A DEADBODY時代と、現在のインディアンズ以降で異なる。ROTTEN A DEAD BODY時代は、「UNDER STAND」「生きる証」「I WANT YOU FREE」など、ラウドロックを基調としたサウンドに乗せられ、「デンジャラスボンバー」「ランニングハート」「無限爆弾」「エキサイトテンション」などといった口調で語られる造語が特徴的だった。インディアンズ以降は、「デンジャーマン」「ナッシング・ローズ」「ロックンロール・クレイジー」といったROTTEN A DEAD BODY時代より続くヘビーでタイトなパンク調な曲も作りつつ、「MY FRIENDS」「LIVE FOR TODAY~瞬間を生きる~」「キミに出会えてボクはよかった」などのパンクに限定されない曲調や、赤裸々に胸の内を曝け出す詞も書くようになった。 好きなものをモチーフにした楽曲も多い。プロレス=「ヘッドバット」・「ボンバー」、野球=「ラインドライブ」、登山=「クライマーズ・ハイ」鉄道=「青い流れ星(ブルートレイン)」など。 波多野善郎とは10年以上に渡ってバンドを組み続けている。大野WFによれば、自己表現に飢えていた大野を、波多野は「おまえはこんな位置で燻ってる男じゃない」と叱咤激励し続けてきたと語っている。また、本音を分かち合える友人がなかなか出来なかった大野WFにとって、誰より自分を理解してくれた波多野を「自分にとって特別な存在だから、彼の期待を裏切りたくない」と言っている [編集]来歴 中京女子大学付属幼稚園(現・至学館大学付属幼稚園)・名古屋市立桶狭間幼稚園・名古屋市立桶狭間小学校・名古屋市立南陵小学校・名古屋市立有松中学校・高知県安芸市立安芸中学校・高知県立仁淀高等学校 1997年 - 波多野善郎らとROTTEN A DEAD BODY(ロッテン・ア・デッド・ボディー)を結成。 1998年 - 名古屋MUSICFARM「ポシビィリティ・オブ・ザ・ロック」でデビュー。 1999年 - バンド絶頂期。月2~3回のライブ活動。名古屋MUSICFARMを主なコネクションに、大阪遠征。同年夏には、WILDFRAG(元BOW WOWのボーカル・堀江哲也氏や満園氏兄弟も在籍)の一夜限りの限定復活祭にクラブ・クアトロでのオープニング・アクトで出演。 2000年 - ROTTEN A DEAD BODY電撃解散。 2003年、後にインディアンズで活動を共にする鈴木喬(当時IMAZ)らとピース・アクションなるイベントにライブ参戦。 翌2004年冬には、当時、一緒に創作活動を始めていた元インセインのHRギタリストだった片谷俊人(大野WFとは幼小中時代からの同級生)と大石幸一(現在は消息不明)をドラム&キーボードに、大野WF・波多野&大橋の元ROTTEN勢でバンド再興。ロッテン名義で2005年にLIVEを行うも、大石脱退&大橋の体調不良も重なり自然消滅となる 2006年9月、波多野善郎、片谷俊人、鈴木喬らとバンド結成を視野にスタジオ活動を再開。新たな音楽性の拡大と割り勘強化のために、本人の意思と関係なく半ば強制的に堤隆一を加入(本人曰く、知らない間にメンバーになっていた/談)させ、ここにザ・インディアンズが正式に結成。翌2007年5月27日、名古屋栄のもちのき広場における屋外LIVEにて、同バンドにおけるキャリアをスタートさせ、無期限活動休止中ながら現在に至る。また、2013年6月から、盟友の片谷俊人と共にラウドネスのコピーパンド【LOUDSS】に一時的にボーカルで参加。現在はセッション活動が主となっている 編集]人物像 幼少時代よりあだ名はみっちゃん(旧姓の光原から、当時流行ったみっちゃん♪みちみち♪ウンコ垂れて~♪が語源とも…)またはかずくん。WF  野球が大好き(熱狂的西武ファン)で、小中時代は野球部に所属し、高校時代はソフトボール部。『将来は、工事現場の旗振りがしたい』が小さい頃の人生設計。 実家はかつて名古屋市内でスナックバーを経営し、渡った高知ではスーパーマーケットの経営を皮切りに近年まで高知市内でカフェレストを経営していた。母について、「(大野WFの友人らを招き)一仁に◯が生えたら、盛大にお祝いパーティーを開催すると一方的に宣言するなど、学校の不良グループや、友人たちからも一目置かれる、みっちゃんの名物面白母ちゃん❢と羨望されてた」と語っている。 東北や関東・関西まで下道で遠出してしまう程のドライブ・旅好き(フェリーや鉄道絡みも含む)。また、 プロレス・格闘技や戦国~幕末などの歴史・史跡なども好き。アニメTVや漫画などでは、タイムボカンシリーズやドラえもんなどの藤子アニメをはじめ、童話モノやギャグ&シリアス基本的に何でも好む。 CBGBアイテムを収集している。 20代前半の体脂肪率は「7.5ぐらい」だったとのこと。 明るく優しい性格だというパブリックイメージが定着しているが、歌詞の端々でそんなイメージに対する反発を感じさせるフレーズがある。 パンクやロックだけでなくブルースやフュージョン・ハードロックも好きで、一時期、邦楽を完全否定していた。 プライベートでは、たいていロックTシャツを着ている。ヘビメタ/パンク・ロックのTシャツにサングラスの出で立ちで、ルート配送をしてたことがある。 2010年9月に性病にかかり、予定していたツアーを延期する事態になった。 枝豆とジンジャーエール。おにぎりせんべいとラムネ・グミが好き [編集]逸話 四国時代(1987~1990)を過ごした中学3年生~高校の間に、芸能プロダクション(若プロダクション四国支部第2期生)に所属していて1988年5月16日放送の夏樹静子トラベルサスペンス劇場『瀬戸大橋殺人事件』(テレビ東京系)に鑑識捜査員の役として出演(5秒だけ)した話は有名であるが、出演記念に東京12チャンネルのボールペンを貰ったぐらいで、彼の名前は存在しない。 初めて買ってもらったレコードは、子門真人の『およげ!たいやきくん』である。本当は、ポンキッキの『オッパイがいっぱい』が欲しかったらしい。 ハーモニカを始めるきっかけは、敬愛する甲本ヒロトが吹いているのを見て、これなら(他楽器と比べ)自分でもできそうな気がしたからだという。 小学校の卒業文集に「フリチョフ・ナンセンを読んで…」と何故か読書感想文で提出した。毎回、宿題を提出し忘れることの多かった大野WFは忘れ物チャンピオンに認定された。 小中学時代は野球部に所属。現在ザ・インディアンズで共に活動する片谷俊人とは、有松中学校野球部時代からの友人であり、現在も年に一度行われる野球部同窓会には、欠かさず2人とも参加してるそうだ。桶狭間幼稚園と南陵小学校時代の三学年下にタレントの河本準一氏(次長課長)や、中3で転居した高知の転校先では、同級生に大相撲の元関脇・土佐の海関(2010年に引退)が在学していた。高校時代、バンドブームでブルーハーツに触発され、以降、ロックンロールに傾斜していく。 高校3年の秋に、地元公民館を貸し切って開催されたバンドイベントに同級生にボーカルで誘われオモチャーズ結成。これが大野WFのバンド初体験だった。 元々は目立ちたがり屋でお笑い好きであったが、音楽の事などはサッパリ。しかし、「歌うだけなら、俺にも出来る」と目立つという理由でボーカリストに。 ROTTEN A DEAD BODY結成直後、黒い繋着からスパッツ一丁への変貌に、バンドのイメージに反する様相でステージに立つことに迷いを抱くが「ものすごくロックが好きな自分がいいと思うんだからこれでいいんだ」と思い、自分らしさを貫いた。 「アルプスの少女ハイジ」も大好きで、以前大阪でのLIVEのため、高速道路にて移動中の車内テレビで、これまで幾度となく見逃してきたハイジの最終回に直面。「どうしても最終回が観たいから、ココで観させてくれ!」と泣きの憩願を入れ、サービスエリアでメンバーを足止めさせたらしい。 非常に雷が嫌いな事で有名。前世は雷に撃たれて死んだと思い込んでいる ビデオ試写室に行ったことがある。 外国バンドのLIVEは多数だが、お金を払って見に行った日本のメジャーバンドのLIVEはザ・ハイロウズ〜ザ・クロマニヨンズだけ(しかし「波多野にスラットバンクスのチケット買ってもらって観に行ったことは何度もあるけど・・・」と発言している) 編集]ディスコグラフィー デンジャーマン大野一仁の詩(作詞作曲・トピック別)  http://mixi.jp/view_community.pl?id=1915215  ザ・インディアンズ無料音源配信サービス開始  http://www.myspace.com/purplehazecreate ザ、インディアンズ YOU TUBE登場  http://jp.youtube.com/results?search_query=ザ・インディアンズ&search=検索  [編集]その他・エピソード 高校時代は実家からも遠く離れた四国中西部にある山間部(高知・愛媛の県境)にある旧吾川村(現在の仁淀川町)の祖父母宅に超ミラクル越境入学して下宿。睡眠中、ムカデによる咬傷による激痛で目覚め、祖母にSOS。『まっことこれはイカン!』と唸った祖母が、神殿から神水(どう見ても、濁ったワンカップ大関🍶)を取出し、自らの口に含み、大野WFの顔目がけて霧射したらしい。翌日、見事に腫れは引いたものの、果たしてそれが口に含んで霧射する行為に意味があるかについては、大いに疑問が残るところである 友人たちと、同村内にあるダム公園では、深夜~朝方まで飲めや歌えでよく騒ぎまくった。そんなある日の夜、友人たちと一緒に青姦中のシーマに乗ったカップルを好奇心で覗きに行ったところ、それに気づいて怒り狂ったシーマに追っかけ廻され、友人たちは公園のトイレに難を逃れたが、大野WFはトイレ脇の崖を滑り落ち、難は逃れたが傷だらけとなった。 また、前夜夜更かしし3時間目の授業に合わせて、バイクで通学中、カーブで登ってきたダンプと正面衝突。このときはバイクごと崖に・・・落ちかけたが、九死に一生を得た 幼少時代、名古屋電気高校(現在の愛工大名電)時代に甲子園でノーヒットノーラン&ベスト4にまで進出した工藤公康氏(元西武ライオンズ投手。元ソフトバンク監督)が熱田球場の外壁で名電のチームメートとお弁当を食べている時、兄弟で軽口を叩いてしまい怒らせたことがある(厳密には一緒に居た大野WFの生意気だった実弟)。近隣に住んでいた、野球少年・大野WFの地元のヒーローでもあり、後に西武ファンとなったのも、クルマのナンバーやラッキーナンバーでもある『47』は自身の誕生年(昭和47年)からではなく、憧れだった工藤氏の現役時代の背番号から由来していると言われている 鉄道ファンだった幼少の頃、友人と「構内に入ってみようぜ!」と敷地外から本線の中に侵入し、駅に上がろうとしたところ駅員に取り押さえられ、駅長室でこっぴどくしかられた。 実は意外にも、中学・高校時代と生徒会役員を経験している。高校時代は、何かの間違いで生徒会長を2期歴任。集団喫煙がバレ、在任中、停学となった際には当時、一緒に生活していた祖母を心配させないため「(仲間が大事だから)俺も一緒になって責任(吸ったことに)取ることにしたよ。会長辞職願も出したから」と男気を見せ、祖母を関心させたと言うが、勿論これらはギミックであり、停学以上に喫煙を否しめられると思ってたのだが、高3の夏頃には、祖母公認で喫煙&灰皿掃除もしてくれる良き理解者だったという。ちなみに現在の大野WFは、禁煙者である。 また、高校時代はソフトボール部で左投げ左打ちの外野・一塁手。最高学年時は主将として公式戦僅か1勝と貢献。県高校駅伝の地区大会では学校代表メンバーの一員として3年間出場した 元妻との間に一男一女を設けている。 長女が父と同じくソフトボールの道を選び、県代表チームの一員として全国大会に出場している。(2010春ベスト8 2011夏初戦敗退)最後の夏の大会には『5番・遊撃手』として出場。元夫妻で駆けつけ、最終回、娘の一時は逆転となるランニング本塁打に狂喜し、思わず抱きしめ合って喜ぶ姿がYouTubeで確認することが出来る 2024年6月に、13年の刻を経て、復縁したことが、関係者の調べで明らかとなった [編集]登山 バンド活動休止期間中の現在、休日はセッションや仲間のLIVEがある場合を除き、主に日本百名山を中心に山歩きを実践している YAMAPスタート当初まで百名山という存在を全く知らなかったが、それまで年1〜2回それらの山に泊まりや日帰りで登っていた 山登りを始めるキッカケとなったのに遠因だが、母方(大野家)の実家(高知愛媛県境の仁淀川町)が山岳信仰で、夏休みに田舎に帰省で帰ると、地元に聳える中津明神山(四国百名山)や西日本最高峰・石鎚山に御来光登山で登らされた。個人的にはこうした原体験と、20代半ばの時に、たまたまズームイン朝の番組で取り上げられてた宮川源流〜大台ケ原や四万十川の源流への山旅を観て、その神秘性にリンク&惹かれたのが山を歩き始めるキッカケとなったという。また、元来から活火山、ダム放流、鳥獣などの野生動物、源流には関心が有り、それも(登山が)スムーズに入っていく起因になったと考えられている 初の小屋泊となったのは、いずれもアテンド付きで人生初の縦走(南八ヶ岳の赤岳〜横岳〜硫黄岳)も兼ねた八ヶ岳の赤岳天望荘🏚️で、ちなみに初テント泊は槍ヶ岳の殺生ヒュッテ⛺️  満を持しての記念すべきソロデビューの縦走泊に選んだのは、白馬の白馬岳山荘(猿倉〜白馬岳⛰️〜小蓮華山〜白馬大池〜白馬乗鞍〜栂池)で、幼少・バンド時代に、スキーやバンドレコーディング合宿などで想い入れの強い白馬にあえて拘ったと言われている まだ本格的に山登りを始める以前に、友人任せに登った鳳凰三山の薬師ヶ岳山頂にて日没道迷いを起こし、薬師小屋のスタッフの方に助けに来てもらった事がある。また、地元の猿投山で仲間の脱水症状&道迷いで帰着遅れが重なり、反省と山行計画の重要性を痛感。後のコンパス体験学習会、自身のヤマレコ・YAMAP加入へと繋がっていった 自身が勤める副業[コープ]では配達先を含めた会員さんたちと山友になった縁が多い。その代表格が主宰する山P会のメンバーの仲間であり、元配達担当職員&利用者さんの間柄だったという。大野WFをYAMAPに導き、バディとしても数多くの山々に導いてくれたさっちゃん(サチ)や、かよぱんさん。鉄道旅仲間であり、セッションでもお馴染みのカナちゃんも、かつて担当していた地域での配達先の利用会員さんであった ジャンダルムや八峰キレット撮影を夢見て数年前に購入したGoProがいまだに未使用なんだとか 好きな言葉に『考えるな❢ 感じろ❢』『無くて7クセ悪い癖』などかある

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