【遭難案件を他山の石とする】 先般公開された、昨年末の南八ヶ岳・権現岳での遭難救助案件の記事についてシェアいたします。 その内容を既にご覧になった方もおられることでしょう。 ヤマケイオンライン:https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=2961 長野県警察:https://www.pref.nagano.lg.jp/police/sangaku/documents/resucue1-r601.pdf この遭難案件に対する解釈は、ひとそれぞれでしょう。どちらかというと、ネガティブな反応が多いのかもしれません。 ただ、先にお断りしておきたいのは、実際に救助された方に対して非難するつもりは一切ない、ということです。 警察で扱った山岳遭難案件はメディアに公開されます。それを実名報道するかどうかは、メディアのさじ加減によって決まります。昨今はインターネットの情報検索手段の豊富さ(正確さはさておき)故、実名公開されれば身ぐるみを剥がされるような目に遭うことも少なくありません。 今回の案件は、氏名は公開されていないものの、年齢や居住県は公開されています。更に、事故内容を詳細に公開していることから、長野県警察や山と渓谷社が、本人の同意を得た上で作成した記事なのでしょう。 自身の遭難案件を「対岸の火事」ではなく、「他山の石」としたい、という思いがなければ、こうした記事は公開されなかったのではないでしょうか。 その点から、救助された方には敬意を表します。 実際に記事を読みますと、その計画や装備品の用意、装備品の使用など、様々な部分で致命的な綻びが散見されます。 [例] ヘルメット非装着:落石や落氷などから頭部を守れない 食糧不足:熱の産生に必要なエネルギーが枯渇する 水分不足:脱水により運動能力が低下する 非常食やバーナーがない:ビバークとなってもエネルギー補給ができない 足元は軽アイゼン:滑落し外傷を負うリスクが高い それでも無傷で生還できたのは、ただ単に「運が良かった」だけだと思います。 自然を相手にするアクティビティは、確かに天気一つとっても運頼りである側面はあるでしょう。しかし、運を前提に行動することは、自然に対して不敬であるように思います。 私たちは、昨今の大地震などから学ぶまでもなく、自然の前では無力な存在であることを知っているはずです。たまたま頭上から石が落ちて頭に当たれば、最悪死に至ることもあります。 そういうところに入らせてもらい、遊ばせてもらい、心の豊かさを得ている、という思いを忘れずに持ち続けることが、山を通じて心身の健康を維持できる特効薬の一つになるのではないかと思いますし、こうした案件を、他者への非難とするか、自分の兜の緒を締める契機とするかによって、安全登山への考え方、取り組み方が180度変わってくるのではないでしょうか。 皆様、今年も何卒ご安全な登山を。 ※写真は、事故現場と思われる場所の無雪期。61段、全長約20mのハシゴです。 (文責:望月)