水晶山−静岡県伊豆の国市
ソロピークハントです。 山友さんの具合が悪く、ソロで行きました。 近くの道に、駐車スペースがありました。 登山口はわかり易く、道も整備されています。 景色が良かったです。
ソロピークハントです。 山友さんの具合が悪く、ソロで行きました。 近くの道に、駐車スペースがありました。 登山口はわかり易く、道も整備されています。 景色が良かったです。
梅雨と仕事と… タイミングの噛み合わない週末が続き、今月も山へ行く機会に恵まれず、無情に来たる月末。 へっぽこハイカーの私めではありますが、今年もYAMAPの山歩バッジコンプを目指す身として、こ・れ・は・・・ 日が長くなったのがせめてもの救いと解釈して、仕事終わりの日没前に滑り込みセーフを狙うしか!! (よゐこの皆さんは、マネしないでね! 下山(行動完了)は午後3時までが原則です!) そんな訳で、しごおわか〜ら〜の〜、クイック登山開始!!( ・`ω・´)キリッ ピークハントカウントが入っていますが、実は今回、水晶山には登っていません。 流石に水晶山を濫用し過ぎるのも申し訳なくて、そもそも別の低山を登るつもりでスタートしたのですが、万が一YAMAPアプリのGPSが仕事をしなかったその時には、水晶山へ戻って登ろうと考えて…の起点でした。 通算2回目の御社山。 ここは登山口(?)に辿り着くまでの道中が急勾配のハイライトなので、本日みたいに気温の高い日には漏れなく滝汗地獄を見ます。 案の定、山頂付近でGPSがブレブレになったので、正常にピークハントが獲れているかどうか不安でしたが、無事獲得出来て良かったです。 ちょいと草ボーボーゾーンを歩いたので、念の為、下山完了時にマダニチェックをしたらば、小さいのが3匹程、パンツ生地上を右往左往していました。 実は過去に一度、低山山行でマダニに喰われてしまった不名誉な勲章が… やはり低山の藪漕ぎや草木の接触には細心の注意を払わねば!! “彼ら”には、デコピンショットでグッバイフォーエバーして頂きましたw( ˘ω˘ )スン さあ、7月… 本年の下半期突入ですね… 今夏は酷暑に打ち勝つ登山が出来ます様に!! とかなんとか言ってる側から、昨日仕事場で体調不良(恐らく軽い熱中症)になりました…(´•ω•̥`) 登山時はこまめに水分を摂るのですが、殊、日常生活に於いては、かなり意識しないと水分を摂らない上に、職場で口にするのがカフェイン目的のコーヒーやモンスターエナジーなので、色々とアレな感じです…😮💨💭
「新九郎奔る」という漫画がある。パトレイバーのゆうきまさみ氏の作品だが、伊勢新九郎盛時、世にいう北条早雲の生涯が漫画になると聞いた時は、デマを疑った。個人的には大歓迎だが、あまりにもニッチで渋すぎると思った。 だが、最新研究を盛り込みつつ現代語の飛び交う軽妙さが好評のようで、現在は今川家の内紛を経て、ついに伊豆侵攻編に入った。 同作読者仲間でもあるhisataka氏と語らい、「新九郎」の伊豆侵攻ルート、具体的にはJR原駅エリアの興国寺城跡から、伊豆箱根鉄道韮山駅エリアの堀越御所跡まで歩いてみようと言う話になった。 しかし、グーグルマップで検証すると、五時間以上かかる。これはノンストップで時速4キロを維持した場合のものであり、沿道の名所や史跡を見る暇もなく、名物を食す余裕も無い。平素自分が個人で行っている、昼食すら抜く街道歩きそのものだ。片道四千円近く出して、観光の欠片もしないのは流石にいかがなものか、という事で、距離を短くし、韮山駅から修善寺駅を経て、伊豆平定戦の重要拠点である柏久保城を見学する事にした。 早速、またやらかした。韮山駅で、ヤマップを起動し忘れた。下田街道へ至る途上で起動したので、スタート地点が中途半端である。 これまでだと、韮山駅から東へ向かって韮山城へ。あるいは、西へ向かって多比から沼津港へというルートをとった。が、今回は新たな方向、南へ向かう。 気温も湿度も、思ったより高い。けれど、沼津港へ向かった時の灼熱に比べれば大したことない。そう思っていた。 立てたフラグはすぐに回収。前言撤回、湿度がキツイ。平地は歩きなれているせいか、疲れはないものの、にじみ出る顔汗が鬱陶しい。そのせいで、せっかく用意したサングラスも付けるわけにいかず、ときおりヤマップ地図を眺めながら、ひたすら南へ。 そもそも、そのヤマップ地図、活動計画の行程は、自分がフリーハンドで描いた線なので、縮尺を変えると、本来の道の形とずれていることが多々あり。自動作成のルートに慣れていたせいで、目の前にある道とは別に正解路があるかのように見えてしまうのだ。 登山路ではないので、ヤマップの既存ルートにあるわけもなく、この先も、この課題を抱えながら街道歩きルートを作っていくしかなさそうだ。 田京駅を過ぎると、どこかで見たような外見の山が見えてくる。先日、甲州街道歩きで見た大月の岩殿山に似たその山は「城山」。目測、岩殿山よりも高く見えるそれには、前者同様に岩壁を持ち、城跡でもある。 時代が微妙に専門外なのでhisataka氏に問うと、1361年の反乱で使われた城のようだ。室町時代初期というべきか。あそこに籠城するということは、岩壁から水でも湧いていたのだろうか?この山は、ヤマップの登山地図にもあるので、ぜひ登ってみたい。秋か冬に。 途中、道の駅に寄り道し、大きく西へ逸れた。そこまで大きなものではなかったが、シイタケのクレーンゲームなど、不思議なものがあって面白かった。静岡産イチゴのソフトクリームもありお勧めである。「川の駅」とやらも近くにあり、城山を間近で見えるとの事だったが、道が複雑な上、さらにルートから外れてしまうので断念した。 川のほとりに、水晶山という小山がある。渡河を試みる南の敵を監視するにも、川へ向かってくる北の敵を見張り知らせるにも絶好の地形と位置だ。隆起で出来た山で、以前は鉱石が採れたとか。最低限整備された道を登ったが、生憎生い茂る草木で、往時の眺望は分からなかった。 修善寺駅に着くと、想像していた駅舎は存在しなかった。以前、hisataka氏を含む中世史ゼミの合宿で、修善寺駅から修善寺までバスに乗った。なんというか、凄く昭和の香りのする駅舎と構内だったのを覚えているが、目の前にあるのは、色も形もとてもお洒落で、真新しい駅だった。おかしい。いつ来たんだ?自分達は。三年生くらいだったから、だいたい2004・・・・・・よし、深く考えるのは止めよう。心にクる。 駅前の「おおき」さんで昼食。伊豆味そばというセットを頼んで大正解。自分で摺るわさび、地元のキノコ、そば。最高でした。おすすめ やたら親切な乗車案内放送をしている駅バスターミナルに背を向け、修善寺とは反対方向の東南へ向かう。自分が卒業論文を書いていた頃には、既に新九郎・・・早雲の伊豆平定は瞬殺ではなかった事が知られていた。その論拠の一つが、柏久保城をはじめとする早雲方諸城の構造だったと記憶していた。南を意識している、つまり南に未だ敵がいたのだと。 実際に柏久保城へ向かうと、東西に尾根が走り、南北は急峻な崖。確かに南方からは攻めづらい。北側には、南側と違い、小尾根に突出した曲輪がありそうな地形だったが、川に守られた南に対して、陸地から登りやすい北を補強する意味だったと思える。特に南を意識しているようには、自分には思えなかったが、ン十年前に読んだ論文の記憶だから、別の城と勘違いしていたのか、わからなくなってきた。 ともかく、この柏久保城は早雲の伊豆平定に重要な役割を果たし、伊東方面や、更に南東の大見の地侍と連携して、南方の狩野城や深根城の旧勢力と対峙した場所。卒論当時から訪れてみたかった場所なので、ン十年を経て目的が達せられた。 この後、西側尾根から下り、修善寺駅でおつかれ山。 今回は見送ったが、やはり興国寺~堀越御所は歩いてみたい。韮山といえば、源頼朝の挙兵時、平家方の人員が三嶋大社へ出払っていた事が隙となったというので、韮山の衆が三嶋大社へ向かった道としても歩いてみたい。 金山城も登りたいが、もっと西の真城山にも興味がある。1570年代だったか、駿河を制圧した武田と伊豆の北条が対立した際、武田軍の来襲に備えて、地元民に見張りを命じた書状がある。その場所が「井田 さなき山」。江尻、清水からの海上侵攻を見張った眺望がいかなるものか。 やはり、(後)北条オタクにとっては、伊豆は堪らない場所である。
2024年5月8日に「第1回」をやった時(※)はすぐにでも次回をやるつもりだったのだが、日程やら何やらで二年越しの「第2回」になってしまった💦それでも企画倒れにならなかったのは幸いである。 ※ https://yamap.com/activities/31624054 さてトランザク氏と共に、今回は韮山駅【写真1】を南下し、風景を楽しみながら【写真2,3,9,13】、足利茶々丸の有力家臣•狩野道一の居城である柏久保城(愛宕山)へと赴いた。要は伊勢宗瑞(伊勢新九郎盛時、北条早雲)軍の通ったであろう侵攻ルートを辿った訳である。 説明看板🪧【写真30】にもあるように、この山城は、周囲に三つの川が流れ【写真15-17】、北面にも「新九郎谷」と呼ばれる深い谷のある【写真31】天然の要害だ。また南面もきつい坂になっており【写真21,22】、ここを甲冑を着て登るのはさぞ大変だっただろう。 勿論城内も空堀や急登【写真24,25】など様々な工夫が施されていてこの城の難攻さを物語るが、実際城の北東にある沢は「地獄沢」と呼ばれ、激戦の地だったようだ(行けばよかった😓)。 苦戦の末伊勢軍が何とか当城を落としたものの、道一も城を奪還しようと反撃し、どうやらその過程で宗瑞の弟•弥次郎盛興も重傷を負ってしまったらしい。 最後は道一が韮山や原木に近い、つまり宗瑞の勢力圏にある国清寺(大仙山の南麓に鎮座)で自刃して(『異本小田原記』)、熾烈を極めた伊勢⚔️狩野の戦いにも漸く決着がついた。おそらく伊勢軍が道一を捕縛し、国清寺に連行したのだろう。 しかしそれにしても、弟も負傷させた強敵の道一を斬首せず、自刃(つまり切腹)を許した宗瑞は何とも度量が広い。これは伊豆平定は力づくでは出来ないと感じていたからに違いない。この後、狩野の一派が伊勢氏に帰順し(のち北条家の重臣となる)、その姫•善修寺殿も宗瑞に嫁ぐことになるが、こうした処置と無縁ではないだろう。 こうなると「第3回」は大仙山と国清寺に行かねば…!と思うのだが、トランザク氏、どう?
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※年間の登頂者総数を100とした場合の各月の割合を%で表示
| 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 12.61% | 14.29% | 7.57% | 11.77% | 8.41% | 3.37% | 3.37% | 6.73% | 4.21% | 5.89% | 9.25% | 12.61% |

山歩(さんぽ)とは、山や身のまわりの自然の中を気持ちよく歩くこと。今すぐ行ける山歩コースや、山歩した気分になれる映像コンテンツを更新中です。



