六甲山・長峰山・摩耶山(兵庫,大阪)
2026.08.14 (金)日帰り
「六甲修験」の足跡を求めて、甲山(神呪寺)、鷲林寺、石の宝殿、六甲山最高峰、雲ヶ岩、シュラインロード、古寺山、多聞寺などを訪ね、歩いてみた(2026年8月14日・金)。
修験道は、日本古来の自然信仰や神仏習合の歴史を通じて古神道(神社)と仏教(特に真言宗や天台宗の密教)とが混ざってできた日本独自の山岳信仰の宗教。実際、多くの山の頂きには祠があり、山自体が信仰の対象になっている。
ホームマウンテンの金剛山は葛城修験の総本山でもあり、奈良の大峰の山々に行くと山伏の方によく出会う。でも、六甲山で山伏の方に出会ったことはこれまでになかった。
ところが、六甲山にも修験道に関係する伝説が多くあると知り、いろいろ調べてみると、甲山は修験道の開祖・役行者(役小角)が修行した山との伝承が残っている。また、山麓の神呪寺は修験道との関りが深い真言宗の空海(弘法大師)が開創したとされ、月命日の21日には、山伏が集まって大師護摩祈祷を行っていることが分かった。
そんなこんなで、これまで知らなかったことがいろいろと分かってきて六甲修験に興味が湧き、六甲修験道と思しきルートを歩いてみることに。
先ずは、神呪寺にお参りして甲山へ。この山に登るのは、ほぼ20年振り。次に鷲林寺へ。六甲修験の起点とされるこの寺も空海の開創で修験道と関わりが深い。十一面観世音菩薩がご本尊で、毘沙門天、弁財天、役行者も祀られている。また、毎年 1月21日の柴燈護摩では旧鷲林寺村の古くから続く家とされる16軒が 山伏として出仕するらしい。
さて、鷲林寺から裏山の観音山に登る途中でクマ出没の札が!正直、ちょっとビビったけど、頂上の手前にはとても見晴らしの良い場所(岩場)があり、ここでちょっと休憩。
ここから先は奥池を経て静かなトレイルが熊笹峠まで続く。修験道の修行場としては物足りないので、本来は別にルートがあったのだと思う。
標高を上げていくと、六甲山最高峰手前に「日本三霊山」のひとつ白山の白山神社の御祭神と同じ菊理媛命(キクリヒメノミコト)を祀った「石の宝殿(六甲山神社:白山の宮:)」がある。ここは、中世に白山修験の山伏が開いた修験道の霊山であったと伝えられていて、不動明王を祀った滝行の場もある。
そして、六甲山最高峰には登山者の目には容易に入らない場にひっそりと不動明王や修験道の開祖・役行者を祀る祠がある。ところで、現在地ではなく魚屋道側にあった元祖一軒茶屋のそばにあった「吉高神社」は、有馬の「湯泉神社」にいつの間にか遷座していた。
さて、最高峰を後にして観光客で賑わうガーデンテラスでひと休みしてから、最近、パワー・スポットとして人気の「雲が岩」に初めて足を運んだ。
このすぐ傍の「六甲山アスレチックパークGREENIA(旧・六甲山カンツリーハウス)」内に、天穂日命の古代祭場とされる磐座(いわくら)やストーン・サークルがあるので観たかったけど、入園料が高いので今回はパス。
で、「雲が岩」だが、数年前まで存在そのものを知らなかった。ここは、今回の旅の終着点である多聞寺の奥の院で、神が降臨または宿るとされる巨岩が御神体の磐座がある。また、六甲修験の行場のひとつとされ、弁財天を祀るお社や般若心経を刻んだ巨大な「心経岩」もある。
ところで、修験道の行場、特に滝行の場には不動明王の像や祠がよくあり、修験者は滝に打たれながら真言や般若心経を唱える。不動明王は大日如来の「化身(権現)」または「使者」とされ、穏やかな表情の大日如来とは真逆で、不動明王は人々の煩悩を断ち切るためあえて怒りの姿(忿怒身)をとったのだそうだ。
不動明王の本来の姿は大日如来。大日如来は密教そして修験道における最高仏(最高神)で、大日如来は宇宙の真理そのものを表し、すべての修行と信仰の根本・究極の本尊と位置づけられている。
そうしたことから、修験道(密教)では自然の山々自体が神仏の宿る曼荼羅とみなされ、山そのものが大日如来の体(密教の法身)であるとされて信仰の対象となった。山は仏であり神なのだというのは、日本人のアイデンティティにつながり、自分的には無意識のうちに心の中にある感覚だ。
そもそも、リクリエーションとしての登山が日本で盛んになったのは、明治期に西洋人が多く居留してからの事。六甲山もその例外ではなく、神戸居留地の外国人たちが六甲山で近代登山を始めたのが切っ掛けだった。
でも、彼らがスポーツとして六甲登山を始めるずっと前から六甲山は修験道の行場で、日本人は六甲山と向き合ってきた。このことが今回の六甲山史探訪の旅で知ることができ、そのことが何となく嬉しい。
さて、神秘性をまとった「雲が岩(多聞寺奥の院)」の次は、前ヶ辻から西国三十三か所の神仏を祀る祠がトレイルの両脇にある「シュラインロード」へ。ここを歩くのも初めて。登山道としてはあまり人気がないのか「ノースロード」との分岐以降、誰とも会わなかった。
「シュラインロード」は「聖なる道」の意で、六甲山上に別荘を構えたりして六甲登山を楽しんだ明治期の神戸の居留民たちが使った呼び名。本来の名は「唐櫃道」。
シュラインロードの中間地点には「行者堂」があり、ここには修験道の開祖である役行者と前鬼・後鬼そして不動明王が祀られていて、修験道の行者道でもあったことが分かる。
西国三十三か所の観音巡りをしながら下り、最後に古寺山へ。かつて、この山上に六甲修験の最終地とされる真言宗の多聞寺があったが、一の谷の合戦時に源氏勢に焼かれて廃れたらしく、後に今の地(神鉄六甲駅の北側)に移った。
この山から西側に下ったところに、六甲修験の行者たちを世話し山を管理してきた四鬼総家がある。四鬼総家は修験道の開祖・役行者に仕えた鬼の末裔とされる一族。こんな謂れのある古い家が今も連綿と続いていることが凄い。
そんなことを思いながら古寺山を下り、今の多聞寺に立ち寄って今回の山歩を終えた。帰宅してから、この活動日記を書くために更に色々調べたが、摩耶山天上寺を中心とする摩耶修験というのもあった(ある)らしい。
近いうちに、旧・天上寺や行者道だったらしい旧摩耶道も歩いてみようと思う。