矢筈岳(和歌山)
2026.05.29 (金)日帰り
その日はよく晴れていた。控えめに言っても完璧な登山日和だった。
事前に入手した情報によれば、登山客用の専用駐車場に至る道はひどく険しいらしい。少し手前で車を停めるのが賢明だというアドバイスに従い、僕は「アマゴ釣り」のポイントの近くのスペースに車を停めた。インターネットの口コミというのもたまには役に立つ。
釣り糸を垂れる人々を横目に、僕は山道へと足を踏み入れた。アマゴ釣りのボスめいた雰囲気を持つ男が「このあたりはよく熊が出るんだ」と教えてくれた。
熊に出会わないための最も確実な方法は、もちろん山に入らないことだ。彼らのテリトリーに足を踏み入れないこと。しかし残念ながら、今日の僕にその選択肢は用意されていなかった。それに最近では街中でさえ熊が闊歩しているという報道もよく聞く。もはや「山だから危険」という単純なパラダイムはとうに崩壊しているのだ。僕はバックパックに熊よけの鈴とスプレーをしっかりと結びつけ、ゆっくりと歩を進めた。
歩き始めてすぐに、立派な滝が現れた。まるで山が僕という訪問者を迎え入れるために、ささやかな浄めの儀式を執り行ってくれているように見えた。
滝を通り過ぎると、しばらくは川沿いの道が続いた。水の流れる音が、ひどく心地よい音楽のようにリズミカルに響いていた。どこか1960年代の気の利いたジャズ・ナンバーのように。自然と僕の歩調も少しだけ速くなる。頬を撫でる風は、驚くほど涼しかった。
矢筈岳の登山道は、山頂に向かってシンプルで比較的まっすぐに伸びていた。長い階段が延々と続き、その後には壁のような急斜面が待ち構えている。美しい眺望だとか、愛らしい植物といった気の利いたサービスは(季節のせいもあるのかもしれないが)ほとんど見当たらなかった。若いカップルがサンドイッチをつまみながら和気藹々と登るような山ではない。むしろ、何かの修行のように黙々と、自分自身の内面と向き合いながら登るのが正しいスタイルなのだろう。
頂上にはひとりの先客がいた。僕らは短い挨拶を交わし、なぜかお互いの駐車場の話題について語り合った。途中の見どころがあまりにも少ないため、登る前の駐車場の些細な苦労が、山頂における最大のトピックになってしまうのだ。
もちろん、決して悪い山ではない。いぶし銀のような、ひどく控えめな魅力を持っている。あとになってから、ジワるタイプの山なのかもしれない。
僕はその狭い山頂のスペースに腰を下ろし、いつものように熱いコーヒーを淹れながら、そんなことを考えた。そうしているうちに、不意にこの山がとても愛おしく、可愛らしいものに思えてきた。彼らはただそこに静かに存在しているだけなのに、見どころがないとネガティブに評価されたり、誰の記憶にも残らなかったりする。
山頂には少し強めの風が吹き抜けていた。淹れたばかりのコーヒーの素晴らしい香りは、立ち上る間もなく、その風に無情にも奪い去られてしまった。
あぁ、どうやらこの山は、根本的に少しばかりひねくれているのかもしれないな、と僕は思った。