廃村 谷多丸(翁倉山 宮城県石巻市)
翁倉山
(宮城)
2026年03月12日(木)
日帰り
見つかるだろ、と思って行ったけど現地では何気に「こりゃ無理かも」と思ったでした。
「谷多丸」というのは旧北上町の翁倉山の南東付近にある三角点名で、以前から「不思議な名前だな」と思ってたけど、特に行ってみようとまでは思っていなかった。つい先日、ホントにたまたま点の記を確認していたら、この四等三角点「谷多丸」の手書き地形図に「谷多丸集落跡に至る」という文字があるのに気付いた。これで谷多丸が住所だったというのを知って「もしかしたら今でも集落跡が残っているかも知れない」と思うと最早居ても立っても居られなくなって結局行ってきた。
で、現地の大上集落に着いて、いざ地形図を見ると徒歩道と車道はあるにはある。いずれにしても点225付近を通れば同じ事だなと思って手前の車道側から入ってみたが、この道はかなり険しかった。殆どが崩落地で且つ道型が見えない所も多く、何より藪がほぼイバラで、楽に向かうなら恐らくは徒歩道の方が良かったのかも知れない。225からは徒歩道に入るがこっちも幾分の崩れがあって直登や巻きの必要があり、作業道も交錯してるので、谷多丸三角点付近に行くまででも結構難儀した。
点の記の地形図では三角点より先に「集落跡に至る」という表記しかないのでどこまで行けば集落跡なのかは分からないままだったので、とりあえずで先々まで進んだが、結果的には地理院地図で小さな家屋の表示されている場所が第一の小屋、その北側の十字路の辺りに廃屋が一つ、そしてより先の橋の崩落した所の少し北の家屋表示の場所に廃屋が一つという具合だった。見た感じでは最初の二つは恐らく「開拓工事の際の寝泊まり場所」で、最後に見つけた廃屋が「現地民の廃屋」だと思う。今までも結構多くの廃屋を見て来たけど、実際に住んでた所と寝泊まりの場所というのはある物が結構違っていて中が見れれば大抵すぐ分かる。見つかるかどうか、と思って行っただけにうれしかったね。
帰宅後色々調べたら、谷多丸という地名そのものは安永風土記にも記載があるので1770年頃からある地名で、元々は「谷多丸峠(女川道とも、この女川は現女川町ではなく河北町女川集落の事)」という志津川から北上に至る峠の地名で金鉱があったが人は住んでいなかったらしく、人が住むようになったのは開拓事業で昭和26年頃からの様だ。現地に行って見て実際に思ったが「人が住むには余りに僻地過ぎる」感があり、昭和50年ごろには完全に廃村化した様で、とある資料には昭和30年頃で5軒の家屋があり、可野という開拓事業の長が住んでいたという事くらいが分かった。ちなみに四等三角点谷多丸の場所は安永風土記にはちゃんと「谷多丸山」と書かれている。ただ、どうしても分からなかったのは「谷多丸」の由来だ。これは多分、一生分からない気がする。
なんにしても見つかって良かったね。余は満足じゃ。