南昌山の写真
読み方:なんしょうざん

南昌山

847 m

コース定数

516

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季節別の活動日記

山頂からの景色

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基本情報

出典:Wikipedia

  • 宮沢賢治の童話「鳥をとるやなぎ」に登場するなど、賢治が幾度となく訪れた山
  • 東根山、赤林山と合わせて志波三山とも呼ばれている
  • 気軽にハイキングを楽しめる都市近郊の名山
南昌山(なんしょうざん)とは、岩手県岩手郡雫石町と紫波郡矢巾町との境にある、標高848.0mの山岳。岩の鐘を伏せたような均整のとれた形をしている山で、坂上田村麻呂の時代から霊山として敬われたほか、宮沢賢治が何度も訪れていたことでも有名である。 南昌山は盛岡市西方に鎮座し、付近の赤林山、箱ヶ森、毒ヶ森などと連山をなしている。また、南昌山と東根山、赤林山などの山域を総称して志波三山とも呼ばれている。 山麓には幣懸の滝(落差7m)、北ノ沢大滝(落差13m)、南昌大滝(落差7m)などの瀑布や、幣懸の滝由来の湯脈を持つ温泉(矢巾温泉)が存在する。岩崎川は南昌山麓に端を発し、紫波町内で北上川に合流する。 南昌山は、かつて活動していた火山が風化浸食を受け火道が露出した岩頸と呼ばれる地形で、約439-461万年前の鮮新世に基盤に貫入した主に石英斑岩からなる岩体と推定される。 南昌山は古くから天候を司る霊峰として地元の信仰を集め、この地方では「南昌山が曇れば雨が降る」と言い伝えられている。麓にある南昌山神社は、元は山頂にあり水源守護の青竜権現を祀ったお宮であった。この神社は、延暦年代に志波城を築く際、天候不順で工事が難航したために征夷大将軍・坂上田村麻呂が南昌山の頂上に祈願したところ、雨がやんだことからお宮を造営したのが始まりと伝えられ、嘉永2年に山麓に移されて現在に至る。山頂には現在でも、天候の安定を祈願して奉納された石柱があるほか、雨乞いの儀式に使用される全国でも類を見ない6体の獅子頭石仏が奉納され、南昌の権現様として親しまれている。岩手の語源になった鬼の伝説では、石神の「三ツ石様」に退治された鬼は南昌山へ逃げ去ったという伝説がある。 前九年の役において、安倍貞任が衣川から源義家に追われて南昌山の麓までたどり着き奮戦したが、安倍側に多大な犠牲が出て、安倍側の名のある武将たちが亡くなったと云われる。 南昌山の山中には白竜が棲んでいて、暴れると雲が峰を覆い、毒気で人々を苦しませたという伝説があった。元禄16年(1703年)に天候不順が続き、空念という僧が竜を鎮めるために頂上に青竜権現の祠を建て、それまで毒ヶ森と呼ばれていた本山を、空念の推挙によって南部藩主南部信恩が南部繁昌を願って南昌山と改名したとされる。山中にある幣懸(ヌサカケ)の滝は昔マタギが猟の安全を願って、幣と呼ばれる札を納めたことから名づけられている。 江戸時代の画家谷文晁によって『名山図譜』のひとつとして選ばれた他、松本竣介も1934年(昭和9年)に水彩画『南昌山』を描いている。 宮沢賢治は、南昌山を童話「鳥をとるやなぎ」に登場させている。「鳥をとるやなぎ」に登場する石原は、賢治が藤原健次郎と石を拾い集めた場所で、現在は煙山ダムの湖底に沈んでいる。また、河袋(南昌山麓の地名)の場面に登場する楊はドロの木、ギンドロなどと言い、実際に河袋付近にはドロの木やポプラの木が生えている。 また、賢治は南昌山でのろぎ石を採集した思い出を「のろぎ山 のろぎをとりにいかずやと またもその子にさそわれにけり」「のろぎ山 のろぎをとればいただきに 黒雲を追ふ そのかぜぬるし」という詩に残している。その他、賢治が記した「東京ノート」の盛中二学年一学期の欄に「藤原健次郎 南昌山 水晶」というメモがある。南昌山の山頂にある天候の安定を祈願した石柱は、銀河鉄道の夜に登場する「天気輪の柱」のモデルとされている。 また、経理ムベキ山の32山のうちの1座に選ばれており、他の31山と同様に賢治の没後に山頂に経典が厳重に埋蔵された。

年間登山者分布

※年間の登頂者総数を100とした場合の各月の割合を%で表示

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