98:43
132.2 km
10714 m
会津上越国境縦断・利根川本谷横断~只見線から只見川源流を目指して~
尾瀬・燧ヶ岳 (福島, 群馬, 栃木)
2026年03月11日(水)〜20日(金) 10日間
オープニング 『山を舞台に自分を表現する』野村良太 卒業山行前の準備で只見川を横断してから日本登山体系を必死に読んでも卒業山行の答えにたどり着かず、京都駅の大垣書店で「山の仕事ガイドブック」を立ち読みしていたらこの言葉が胸に刺さった。 ぼんやり北海道の日高を縦走・横断、利尻滞在、いっそ海外と考えていたが、どれも前例がある。自分しかできない山行を作れるのはこの南会津・越後の山域だけだと考えた。私は尾瀬を舞台に自分を表現しようと決めた。只見は親父が産まれた場所。只見線で只見川に沿って只見駅から只見源流、そう蓮沼は尾瀬沼へ繋げて見せる。最後に南会津の主峰燧ケ岳に行こう。初めて燧ケ岳を登ったあの日、太郎さんと眺めた三平下からの燧ケ岳、見える景色と想いは違うかな。 尾瀬と奥利根の主稜線、未丈ヶ岳は歩いている。しかし、全体の半分以上は知らない部分だ。パートごと(毛猛、奥利根、越後三山だけ)では参考記録が見つかるが、100km以上を繋げた山行は見当たらない。歩くラインの注意点で、大水上山~平ヶ岳は昨年歩いているから外したい。そこで昨年手に入れた「奥利根の山と谷」に書いてあった記録を参考に利根川本谷を横断して平ヶ岳に繋げよう。下山は富士見峠から尾瀬戸倉。行動中にゴールを水上駅にすれば、”ただみ”から”みなかみ”という素晴らしいしりとり山行になったと気がついた。 「3月9日」。いてもたっもいられず、その日に京都を出よう。3月10日から9泊10日の予備2日が妥当だろう。私自身恥ずかしながら夏も冬も10日以上の山行はしたことがない。だから、最後に尾瀬が待っていると考えればめげずに頑張れるはずだ。けれども、この山域は本州の中でも非常に山深い。気候も地形、雪、不安要素がたくさんある。電波もない。エスケープは限られる。もし万が一なことがあったら私は終わる。こんな大胆な山行は学生時代が最後なのだろうか。まさしく高校大学・山岳ワンゲル部8年間の結晶山行だ。卒論よりもこの計画に至るまでのエピソードは長く濃すぎるから、これらは別でWordに残しておこう。 蓮沼家の先祖よ、私は会津の奥地で自分を表現するから、空から見守ってくれよ。 3/9 アプローチ 京都(22:30)-大宮(翌朝06:50) いつも、パンパンの100Lザックを高速バスに断りなく乗せていただきありがとうございます。尾瀬・日光・谷川方面に行く時は重宝していました。 3/10 大雪のち晴れ時々雪 大宮(07:05)-(新幹線)小山-(在来線郡山経由)会津若松(15:30)-快活club会津若松店(17:30)=Camp0 私らしい山行を...と決めていたはずなのに、初っ端から新幹線を1区間使ってまで只見に急ごうとした。しかし、宇都宮で20年ぶりに12cm雪が積もり、栃木を昼まで越えられなかった。諦めて会津若松のネットカフェで整え、朝一の只見線に乗ることに変更した。この機会に初めて鶴ヶ城の中に入る。12日の荷物を背負っての天守閣登攀は甲冑を着て上ることと同じ負荷だろう。お腹もスマホのバッテリーも満タンにし、さらに緑黄色社会の新曲が発表され、気持ちも満たされたから、明日からの10日間を楽しむ余裕が生まれた。 3/11 曇り C0(05:30)-西若松駅(06:16)-只見駅(09:07)-入叶津(10:30)-山神の杉(12:30)-平石山(13:50)-alt1280付近(15:00)=C1 震災の日に入山となった。今、山を登れる環境があることを心から感謝する。この日のラジオは震災関連がほとんどだった。 さて、只見線は会津川口まで10人ほどの乗客がいたが、そこから只見までは私と運転手さんの二人っきりだった。坂下は祖父、柳津は祖母の故郷。なぜ親父が只見湖で産まれたのかは聞かされていない。案内所の人にどこまで行くか聞かれたら、水上までと答えた。すっごく心配されたからこれから会う人には"浅草岳"と言おう。 入叶津の除雪終了ポイントからトレースは無い。もちろん1ミリも期待していない。強気だけれども、山神の杉までラッセルに苦戦した。ここから日向倉山までの吹き曝し以外はスノーシューでくるぶし中心で、たまに脛ラッセルだった。 計画では沼の平から浅草に上がる方向だったが、ラッセルが嫌になり平石山に直登した。山神ノ杉からの直登は雪が少ない所が多く、倒木をたどって楽して高度を上げた。平石山はだだっ広くここで張りたい欲が沸く。でも、時間があるから進めるだけ進もう。 食事は夜にアルファ米とみそ汁、高野豆腐、大豆ミート、乾燥野菜・ニンニク・オニオン、ウインナー。朝に餅とラーメンか焼きそば、燧ヶ岳アタック前と行程の折り返し日に赤飯にした。 3/12 晴れのち曇り C1(05:20)-浅草岳(06:30)-鬼ヶ面山(08:45)-六十里越(10:15)-前毛猛山(12:30)-P1176(15:00)=C2 道路でも凍結するほどの冷え込み。その分、山行最初の日の出はすごく綺麗だった。遠くに磐梯山が見える。浅草岳ではあいにくのガス。ヒメサユリが咲く時期にまた来たい。ここから鬼ヶ面山の上り下りに時間をかけてしまった。しかし、日中はよく晴れたので、このタイミングでたくさん写真を撮った。あとあと考えたら、この時にはしゃいでおいて正解だった。 六十里越を南に行くと田子倉湖と段々お別れになる。寂しさが強い。なぜなら、徐々に答えを知っている山域に踏み入れるからだ。前毛猛山と毛猛山は遠くから見たら全く同じでどちらもカッコいい。雪がだいぶ緩くなってきたので、やせ尾根が続く手前のピークでテントを張ろう。 3/13 晴れのちガス時々雪 C2(05:00)-P1268(08:00)-毛猛山(09:00)-大鳥岳(13:30)-P1326手前(16:00)=C3 毛猛山まで2.5時間あればたどり着くと考えていたがそれは甘かった。今山行で一番の核心部はP1268までのやせ尾根だと感じる。斜度が70°あるんじゃないかの雪と対面すれば、まだザックが重い中なのでアイゼンだとすごく沈む。何度もクラックに落ち、自分を失うほど叫んだ。雪が無かったらと考えると身動き取れないだろう。たった4時間で越えられたんだ。大丈夫。 P1268までは展望が広がり前毛猛山が美しかったが、ここからの行動中は日向倉山までガスの中。毛猛山を楽しみにしていただけあって残念すぎる。ホワイトアウト中はナビと読図に気を遣う。また、雪庇に気をつけたいところだが、樹林近くを歩くとクラックに落下する。何度も吠えた。P1268から百草ノ池まではスノーシューで通した。 不思議なことに幕営地に着くとガスが取れる。前毛猛山が見える所で張った。この日から両足に痛みを感じ始める。軟膏を持ってきて正解。ラジオでシャウエッセンを爆食いしている声を聞いているだけで、ヨダレがボトボト垂れる。 3/14 ガスのち晴れのち曇り C3(05:15)-未丈ヶ岳(06:30)-日向倉山(09:50)-赤崩山(11:10)-明神峠(14:15)-道行山(15:30)=C4 ラーメンを作っていたら完成寸前で鍋がひっくり返った。朝からテント内でワンワン叫んだ。穴が開いていないだけに、テントの汚れとともに拾い集めて美味しく食べる。 未丈ヶ岳~丸山JPは先々週ルンルンで駆け抜けたが、降雪が続いたせいで膝下ラッセルをした時もあった。しかし、日向倉山から雪質が一変し、ラッセルのラの字も無くなった。そして、ガスがどんどん取れ始め、気持ちが昂る。国道との出合から久々の夏道上を歩く。安心していると、明神峠から先の稜線で"ズシン"という異音が足元から伝わった。速やかに樹林帯に隠れ、道行山から振り返ると雪庇がかなり発達していた。先に進んでも恐ろしいだけなので、道行山の銀山平側で張る。 3/15 ガス時々晴れ C4(05:10)-小倉山(06:00)-越後駒ヶ岳(09:20)-槍廊下(12:15)-中之岳手前コル(15:30)=C5イグルー 今日の昼前から明後日にかけて晴れるらしい…そう期待してテントを撤収する。そういやテント撤収は人よりすごくゆっくり。02:30起きの5時発が基本だ。 小倉山を乗越すと山スキー100山に紹介される登高路だから安心して歩ける。もちろんトレースは無しだが。百草の池から久々のアイゼンに切り替え。駒の小屋から日が当たってきた。小雪の年だけど駒の小屋は入れない。中之岳ももしや、と確実に泊まれない可能性があることを察する。越後駒ヶ岳ピークだけが青空だから今は今を最大限に楽しもう。標高2003mは僕と同い年の数字。これから自己紹介の時に使ってきいたい。天候回復に期待して中之岳を目指すも、ガスの中に突っ込んでいく。ここから翌日の丹後山までは完全にホワイトアウトだった。下界は晴れているのに。入山日から今日まで上空寒気が居座っているからのようだ。最後の冬を味わえて嬉しい。 天狗平でスノーシューに替える、槍廊下でアイゼンに、通過後にスノーシューに。計4回の切り替えで時間だけがどんどん過ぎる。このまま中之岳に登って避難小屋が開いていなかったら幕営適地を探す頃には日が暮れてしまう。山行中今晩が一番寒いだろうから中之岳手前のコルで学生最後のイグルーを建設した。少々広く作りすぎて穴だらけになったから、フライシートで覆った。外より暖かいが、まあ寒い。 3/16 ガスのち快晴 C5(05:00)-中之岳(06:15)-小兎岳(09:20)-兎岳(10:20)-大水上山(11:20)-丹後山(12:55)-co1710(15:30)=C6 朝はいつもラジオ深夜便を聞いている。この日は鈴木圭一郎だった。夜明けの時だけガスが取れ、八海山と越後駒ヶ岳を見えたが、中之岳から丹後山までは真っ白な世界。中之岳避難小屋は雪をどかせば使えたようだ。小兎に向かう下りで笹の揺れが熊に見間違え、そこでじっとしてしまう。ガスが無ければ素晴らしい稜線だろう。大水上山から本谷山は昨年3月に歩いたパート。丹後山まで40分で行けたものが、右往左往して1.5時間もかかってしまった。丹後山避難小屋は1階の入り口が見えそうなくらい雪が少ない。ホワイトアウトが続くから小屋を風除けにしてもうテントを張ろうとしたら13:30から青空が見えてきた。越後沢山手前の広い雪原でテントを張る。馴染みの平ヶ岳や燧ヶ岳が見えてしまい、もう終盤だと感じてしまう。今晩は星が奇麗だった。 3/17 快晴 C6(04:40)-越後沢山(05:20)-本谷山(06:00)-P1510-本谷出合(08:45)-水長沢山(12:40)-沖ノ追落(14:20)-alt1910(16:00)=C7 新月に近づく中、明るい星空の下でテントを畳む。ピーカンになりそうなのに水を1Lしか準備していなかった。昨年と同様、本谷山から平ヶ岳から出てくる太陽を確認した。それに越後駒ヶ岳から歩いてきた稜線を振り返ると、よくホワイトアウトの中やって来たなと思う。さあ、気合を入れて本谷へ下っていく。ズルッ…途中でスノーシューに足を取られてしまい滑落した。運悪くリーシュが外れピッケルを放してしまった。敢え無くザックか体を木にぶつけて止まろうとしたら頭を強打してゆっくり止まった。打ち所悪かったら終わってたな。アイゼンに変えたいところだが、下降点までスノーシューを外したくない。十分沢に滞在時間を短くしたいと思い始め、予定していた下降点から先のやせ尾根から前爪でゆっくり下りた。けれども、下りやすいところですぐ沢に立ち、急ぎで本谷に向かうほうが明らかに安全だった。てっぺんが開けたP1502に寄れたのは嬉しかった。 本谷からは目の前に見えた急登尾根で水長沢山を登る。最初の取りつきはかなりの急斜で苦戦した。ブナになったら自由にアイゼンを利かせてスイスイ登れる。広いピークでは雪が団子に代わってC7まではスノーシューになる。水長沢山で水が足りなくなったから氷柱を水筒に入れて溶かす。1日中ピーカンで暑い。翌日、平ヶ岳から白沢山でホワイトアウトに遭いたくないからこの日中に白沢を越えようと頑張ろうとしたが、ばててしまい平ヶ岳手前の200m下でテントを張った。風は当たらない適地だが、木の横はツリーフォールで2.5m以上空洞になっている。尾根の端をせめた。普段通りテントを張っていると竹ペグを雪上に置いた瞬間に谷へ吸い込まれてしまった。この日の晩、テントごと谷に落ちる夢を見てしまい脅かされた。 3/18 ガス時々晴れのち雨雪 C7(05:00)-平ヶ岳(06:00)-白沢山(07:05)-大白沢山(09:00)-景鶴山(11:00)-与作岳(12:00)-見晴(14:45)-沼尻(17:20)-尾瀬沼東畔(18:10)=C8 朝からガスガス。しかし、平ヶ岳で2つのBCトレースがついていたから安心して南下できる。白沢山からどんどん取れてきた。景鶴山までもってくれよ。大白沢山は西からの登高だと雪が少なくて難しい。景鶴山も同じく。景鶴山を登ろうとしたら巻いているスキー跡がありこれを使わせてもらった。東側にデポして空身で登る。ずっと憧れていたピークだから上からの景色を目に焼き付けた。与作岳からヨッ堀田代に下りて上越国境を制覇した。東電尾瀬橋は橋げたの上にある雪に乗って渡る。尾瀬ヶ原はツボ足で十分すぎた。見晴集落に着くとヒトらしい動物が動いていた。檜枝岐小屋の秀雄さん?いやいやあれは読売のジャビットだ。見なかったことにしよう。15時前に原を出発したから日の入りまでに沼東畔に着く方向だったが、3時間半もかかってしまった。今までで一番楽しく辛かった白砂越えだった。白砂湿原からは風雪が強まる。沼は十分歩けたものの、一部薄かった。スキートレースが東畔まで伸びていて、暗くなってもなんとかたどり着いた。 3/19 雪 C8=C9 沈殿 この日から春の高校野球が始まる。一日中かけながら三日目から溜まっていた日記を書いていく。行動食や予備食も平らげる。明日は好天の予報だから朝一に燧ヶ岳を登ろう。そして、明日下山するか、もう一日頑張って水上駅か迷いに迷った。足の状況、明日は思い出の「3月20日」だから、明日下りて沼田でとんかつを食べようと決めた。これで本当に終わってしまうのか。 3/20 晴れのち曇り C9(03:40)-ミノブチ岳(05:40)-御池岳-柴安嵓(06:25)-赤ナグレ岳(07:20)-沼尻(08:10)-C9(10:00)-タソガレ田代(11:30)-皿伏山(12:15)-白尾山(13:40)-スノーパーク(16:30)-尾瀬戸倉(17:00) ガチガチに沼上は固まっていた。何も考えずに浅湖湿原から森をかき分けたが、この雪なら沼尻辺りから直登するのが最速だっただろう。けれども、真っ暗な長英新道で彷徨うのも僕は好きだ。歌いながら一人で喋りながら登っていると東の空が明るくなる。帝釈山から太陽が出てきた。今回、俎は飛ばす。柴安直登で南会津・越後の最高点に立った。24年の5月に登った時、谷川と巻機しか分からなかったたが、この時は、奥利根の山と谷、南会津・越後の山々、田代帝釈、日光方面、山ごとの思い出に浸っていた。ここまで思い入れの強い山域になるとは休学する前は思わなかった。ありがとう尾瀬。只見川の源流にゴールできました。 下山は赤ナグレから沼尻に行ってみる。原と沼を見ながら、そして白砂湿原を見下ろしがら下りれたのでワクワクしていた。沼尻から東畔まで昨日より20分早く帰れた。パッキングしながらブランチを挟み、沼を去る。何度も”ありがとう、行ってきます”と叫んだ。誰もいないから自由に生きられる最高の瞬間だ。 以前、小屋の人から3月の白尾皿伏はおすすめという言葉が頭から離れなく、タソガレ田代を経由して確かめに寄った。昨日からの低気圧のせいで太平洋側の山ではくるぶしラッセルを味わう。その代わりに鬱蒼としていた笹薮がなくなりクリアになっていた。ガスっていたのは残念だったが、雪がオオシラビソの上に着いていて、とても綺麗だった。白尾から冬路沢にBC跡が伸びていたからそれをたどり、ショートカットしてキャット道に出る。スノーパークでは10日振りにヒトと遭遇する。そんな当たり前のことなのに全てが新鮮に感じた。尾瀬戸倉のバス停まで歩き、これにて卒業山行を終了した。 もしテント泊山行を高校から、長い山行を大学1年からしていたらもっと面白い山人生だったかもしれないと考えると少しばかり悔しく感じる。でも、最後の最後にこの卒業山行は誇りを持って良かったと言える。誰もAIも想像できない山行を作った。僕は、尾瀬を舞台に自分を表現できた、と言えよう。 そして、2,3月にお世話になった人たちから励ましと元気を貰いました。よく言われたのは"死ぬなよ"の一言です。危険な時に何度も脳内でリピートされました。この山行に関わって下さった方々には心から感謝申し上げます。
