宝尾山(烏とまらず)と牧山(二等三角点)
三国岳・養老山
(京都, 福井)
2024年02月18日(日)
日帰り
ヤマップ未登録の山に登ろう
今日は宝尾山(烏とまらず)と牧山(二等三角点)へ
宝尾山(烏とまらず)は小浜山の会の方が最近登山道を整備され迷わず行けます。
最初に登るのは牧山(二等三角点)東三松村です。
牧山は地理院地図で山名が出ている低山ですがヤマップでは記録がみあたりません、
牧山で検索するが何もでてこない、近くに鉄塔巡視路も無これはまた藪漕か。
どこから登ろう?、距離が短い尾根直登かそれとも距離の長いゆるやかな宝尾峠稜線か?
とりあえず宝尾峠で検索するとなんと小浜山の会宝尾峠項目内に牧山ハイキングコースがでてきました。ラッキー!!
ブログをみると宝尾集落近くにピーク烏とまらず(宝尾山)を発見行くしかないね
宝尾山『 続越前若狭 山々のルーツ 』 上杉喜寿 著とで紹介されています。
牧山(二等三角点)へは子生峠経由で登ります。
子生峠までの峠道が倒木多く潜ったり越えたり一番の難所です。
子生峠から稜線にのると藪も無くサクサク進めます。
下りは宝尾峠を経由し宝尾山(烏とまらず)そして廃村の宝尾集落痕へ
宝尾尾根筋の途中に『宝が埋めてある』言い伝えがあるそうです。朝日と夕日のあたる松の木の根元ということです、探すぜ(尾根沿いには松の木が一本も無かった)
忘れられた集落跡峠道を昔の賑を想像しながらの散策、楽しいもんですね。
川上集落登山口から宝尾山(烏とまらず)まで整備された登山道で登れます。
宝尾山(烏とまらず)の登山情報で
小浜山の会の方々が
2021年4月2日に、参加者9名で宝尾に入り、探索、整備を行いました。権現への参道、宝尾集落内の道(一部)、宝尾峠~宝尾山(烏とまらず)道を整備しました。
https://www.obamayamanokai.jp/2021/04/04/%E5%AE%9D%E5%B0%BE%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%B1%B1%E9%81%93%E6%83%85%E5%A0%B1-%E7%B6%9A%E5%A0%B1/
小浜山の会牧山と宝尾峠ハイキングコース地図
https://www.obamayamanokai.jp/%E8%8B%A5%E7%8B%AD%E3%81%AE%E5%B1%B1%E3%80%85/%E5%B1%B1%E3%81%A8%E5%B3%A0/%EF%BC%91%EF%BC%91%E5%AE%9D%E5%B0%BE%E5%B3%A0/
川上通信さんブログに宝尾が詳しくでています
https://kawakami-ku.mitelog.jp/blog/
案内地図
https://kawakami-ku.mitelog.jp/blog/files/kawakami_map.pdf
地区の方達宝尾山(烏とまらず)登山の様子
宝尾集落跡へ(山水倶楽部 宝尾登山)
http://kawakami-ku.mitelog.jp/blog/2009/01/post-4d61.html
おにぎり持って山歩き(2)
http://kawakami-ku.mitelog.jp/blog/2009/04/post-9b29.html
おにぎり持って山歩き 〜2021〜
http://kawakami-ku.mitelog.jp/blog/2021/04/2021-d47b.html
『新わかさ探訪』
宝尾山縁起と一乗寺 若狭のふれあい第107号掲載(平成10年5月15日発行)
消えた古代山岳寺院 伝説を裏づける仏像
高浜町日置から、おおい町川上の鉱生(こび)谷に通じる峠道は、昔、高浜の海産物を京都に運んだ、いわゆる〝鯖街道〟の一つです。その町境の峠(標高約440m)は「宝尾峠」とも「日置峠」とも呼ばれ、500mほどおおい町側の山の中(宝尾山〔標高490m〕の8合目付近)には、今は廃墟となった宝尾の集落と宝尾神社(宝尾蔵王大権現)跡が残っています。
『越前若狭の伝説』https://tangonotimei.com/wakasa/ooi/kawakami.html
宝尾山(川上)
宝尾山にむかし摩野山一乗寺という寺があった。人皇三十代欽明(きんめい)大皇の開基で、仏法が百済(くだら)国から日本へ初めて渡って来たとき、この山に納め、お経を読誦した。天皇は日夜帰依して、一万余石の禄を賜い、たびたび行幸があった。おなりがだん(谷)というのは、行幸のときおなり門を建てた跡である。
それより三百メートルほど上に山鳥屋敷という所がある。殺生を禁ずる山であるから、日ごろここに鳥が集まり、往来の人が食べ物を与えれば、食べていた。
しゃりがさこ(舎利が迫)という所がある。百済から渡って来た肉付きの舎利(仏陀の骨)を納めた金銀造りの舎利塔の跡である。
峰に観音堂があった。堂は宝形造りで、ぎぼし(擬宝珠)の空は風がはげしく、鳥がとまらなかった。よって鳥とまらずという。山が退転したとき、本尊の観音は、五色の雲に乗って、どこかへ去って行かれた。
三十六坊のうち祈年堂というのは、本尊は不動尊であった。寺が絶えて後、お堂の跡に草木が茂りたが、その中に不動尊が雨露にさらされていた。人皇七十四代鳥羽院は、久しく病気に悩んでいたが、あるときの夢に不動尊が出現し。「むかし若狭の国宝尾山に大きな寺院かあった。わたしはそこに安置してあった不動尊である。今は寺院は絶破し、人の登らぬ荒れ山になって、雨露を受けている。よって丹後国河原(舞鶴市)の金剛山に堂を建て、不動尊を勧請するならば、三日を過ぎずして病気は平復しよう。」と告げ、北の方に帰った。
天皇は勅使を派して山を調べさせるに、草の中に不動尊を発見した。天皇はこれを聞き、平の弘盛をつかわし、河原金剛山に寺院を建立して、不動尊を勧請した。
本堂の本尊である釈迦如来は、聖徳太子の作である。この本尊は、当地の蔵王大権現の本地である。
蔵王大権現は、人皇三十五代舒明(じよめい)天皇の建立である。今も朝廷の鎮守としている。権現にある宝剣は、人皇四十代天武天皇が納めたものである。大とも皇子が反乱を起し、天皇を殺害しようとした。天武天皇は当山一乗寺に落ちのび、ここで軍陣の用意をして、権現に祈誓して出陣し、悪逆を討ちとめた。よって祈誓のときの剣を奉納した。
権現に納めてあるわきざし(脇差)の由来は次のとおりである。むかし旅人がこの山を通り、拝殿に腰かけて休息しているうちに眠った。そのとき後から大蛇(じゃ)が来て旅人をのみこもうとした。すると腰のわきざしがおのずと抜け出て、大蛇を切りさき、またもとのさやにおさまった。旅人は目がさめてみると、大蛇が切りさかれており、自分の刀が血に染っているので、事情をさとり、さてこそ権現の加護により危うい命を助けてもらった、そのご恩報謝にと、このわきざしの血を洗い、奉納した。
荒神に納めてあるやりは、そのむかし大乱のとき、蘇我の大臣が志願あって納めたものである。
当山が絶破に及ぶゆえんは、大同二年(八〇七)に高野山が建立され、諸国の真言宗はみな高野山に従ったが、当摩野山は、仏法の最初の地であり、天皇の祈願所でもあるので、それを鼻にかけて、諸国の法師を軽々しくあっかった。それで万人の憎しみを受け、高野・比叡の衆僧がおぼえのない悪逆をざん言したので、朝廷の帰依も薄くなり、ついに禄を取り上げられ、追討を受けた。
宝尾の藤原家は、藤原朝臣(あそん)左大臣の役人で、蔵王権現の神官の子孫である。 (宝尾山縁起)
参照 一乗寺(高浜町高野)
Android三角点Viewerソフトに一二等三角点写真を登録するシリーズ
一等三角点はコンプリート済
今回は牧山(二等三角点)東三松村
国土地理院によると福井県には一等三角点7カ所二等三角点は53カ所あるそうです。
https://www.gsi.go.jp/hokuriku/chizu_gyouhou-index2_2.html
下記のリンクでグーグルマップの360°で公開したのが見れます。
牧山(二等三角点)東三松村
https://maps.app.goo.gl/uccmPj8h9qc6Zygz5
宝尾山(烏とまらず)
https://maps.app.goo.gl/roP1ZHHvCwoUjCLw5
宝尾峠
https://maps.app.goo.gl/82FNnKEpYy7QshgHA