福地山・六角山・針岡山(宮城県石巻市)
石投山・硯上山・羽黒山
(宮城)
2025年12月13日(土)
日帰り
盛者必衰。
福地山は旧北上雄勝領境付近の富士沼西にある山。歴史の話になるので面倒な人は読まなくて良いけど、元々この福地とやや西にある横川という集落は独眼竜政宗の時代に非常に栄えた場所で、宿場があった為に人の出入りも多くそれらの客の為に食料や燃料を用意する目的で山も活用されただけに、雄勝から北上辺りの山というのはかなり開かれている。逆に言うと翁倉の方が自然味溢れる状態になっているのはこの宿場に資材搬出するには遠かった為だ。
それだけ人が入ったので、各地に小字以降になるような地名が点在していたが、それらは今はもう殆ど失われてしまって山名も周辺は福地山の一つが残る(剣ヶ峰は別として)だけになった。石巻に繋がる水運が開かれて以降、横川宿は、晩年の伊達政宗が横川の役人を集めて「なんであの隆盛を極めた横川がこんなに廃れたんだ、お前ら何してたんだ! 馬鹿アホ死ね!」と怒るくらいに廃れたそうで。何と凄い事に今、河北IC側から富士沼に向かう途中の横川の通り(通った事がある人は多いと思うけど、ちょっとの商店と集落があるやや屈曲した町道の様な所)は「東北の京都」と謳われるくらい栄えていたらしい。今の風景からは考えられない。
で、山そのものに話を戻すと、とりあえず福地山は登った感覚で言えば、地理院地図に名が記されているし傾斜もそれほど急でない所が多く、作業道も多いので非常に簡単だった。一応ながら藪山の範疇だろうけど、最初の取り付きで「ひとまずは稜線に出る」という事だけ意識していればなーんにも、もうまんたい。その後も稜線上に複雑な所が無いので、藪の程度を確認しながら行けば大抵の所に降りられると思う。(ただ、今日は積雪+凍結でチェンスパ無しなのであんまりひどい所は行かなかったけど)
そしてまた山名に話を戻すと、福地山というのは単純に「福地(この地名は川があり土地が肥えた所の意味でもある)集落の山」であって、昔の文献を読むと過去、集落の近くにある山は大抵その集落の名で呼ばれ、その集落を代表する山になっていた。だから例えば薬莱山は昔、加美富士だったってのは「加美の郡にある代表的な山だから」で、近くだと五十浜三山の明神山なんかも「明神集落の山だから」と、そういう具合で名がつけられてた事が多い。
ほいで、また昔の資料にはこの地が栄えた時期があった為だろうけど「針岡山」「六角山」「雄勝山」等の記述があり、福地山がたまたま残っただけの話でこれらの山名も実は昔はついていた。針岡山はもう調べるまでも無く羽黒神社の所で、雄勝山は今の硯上山の旧名、となると、六角山は六角集落の山で、これは恐らく点219の所だろう、と思って、今回実は福地山に行ったというよりこの「六角山」がここの事なのかどうかと、六角集落からよく見える代表的な山となりうるかを確認しに行ったに近い。
で、結果から言うと「多分間違いないと思う」だった。現地に行ってみるとこの点だけが突出していてよく見える山で、他の高い所は単純に尾根道の途中になっているから余り山々してないし、もうちょっと南に入るともう水沼山の領分になる。いつも通り、恐らくはここだろう、で帰ってきたけど、今回針岡山にも登れたし、余は満足じゃ。