押立山 鈴鹿50名山 西堀栄三郎先生を偲ぶ
日本コバ
(滋賀)
2020.11.03(火)
日帰り
一昨日は信越方面への遠征でしたが今日は近場、鈴鹿です。
山行の行先の判断の条件は、季節、天候、体調、同行者、懐具合…
そう、ちょっと買い物して単独遠征したりで金欠気味なんです。笑
秋晴れの祝日、毎度の山行よりはゆっくり出発して祝日行楽に向かう車の多い東名阪を走らせると桑名あたりからは色づいた鈴鹿山脈が目に飛び込んできます。
自分が山を始めたのは大学で登山部に入ってからですが、そのクラブの名は『鈴峰山歩会』(れいほうさんぽかい)鈴鹿の山を歩くサークルです。
やってたことは一般的なワンダーフォーゲルのそれですが、クラブ設立当初は特に鈴鹿に入れ込んでいたんだろうなあと思います。
春に鈴鹿の錬成合宿で鍛え夏のアルプス長期合宿成功を目指して活動してました。
懐かしき青春時代の話です。😓
あれから幾歳月、若い頃は鈴鹿の錬成なんか早く終えてアルプス森林限界ばかりに憧れてましたが、最近は専ら低山趣味になってきました。😅
さて長い付き合いの鈴鹿の山も『鈴鹿50名山』では押立山と黒尾山の2座を残すのみとなり、今日は押立山です。
前置きが長くなりましたが、押立山は最初釣部谷の林道を行き、林道終点から堰堤を越えると藪漕ぎを想定してましたが、送電線巡視路なのだろうか綺麗なトレイルがずっと続きます。
凡そ自然林の尾根は紅葉も色づき快適に進みます。
途中送電鉄塔からは鈴鹿北部の展望が効きました。
程なく押立山の頂上に着きますがそこは展望はありません。
しかし三角点の横に小さな記念碑がありました。
『西堀栄三郎生誕100年記念登山』とあります。
聞いたことあるようなないような名前でしたからその場でググると、あの奥美濃のパイオニア今西錦司先生と同じ京都大学の山岳部仲間、そして化学者、戦前戦後と日本の産業発展に寄与されながら海外登山や南極探検にも先駆的な活躍をされ日本山岳会会長も歴任された方。
驚いたのは西堀先生の奥様は今西錦司先生の妹さんだそうな。
そしてあのダークダックスが歌った『雪山讃歌』
♪ 雪よ岩よ我らがやどり 俺たちゃ街には住めないからに ♪ という山歌、京都大学山岳部時代に群馬県鹿沢高原でこの方が作ったそうな。
麓の東近江市に探検の殿堂という西堀先生に因んだ博物館があるらしい。
今西先生も西堀先生も学生時代に山に打ち込みながらその後登山界おいても社会的にも輝かしい活躍を遂げられるなど自分とはえらい違いだと呆れるばかり。
誰もいない頂上三角点に座ってひとり感慨に耽ってる様はなんと間抜けなんだろう。
ランチは先程の鉄塔の下で鈴鹿北部の山を眺めながらのんびりと過ごしました。
しかし最近は名人が異動になって以来いっしょに行くことがなくなって単独山行ばかりが続くよ。
鈴鹿50名山 49/50
最後は難関といわれる黒尾山となりました。