立石・鬼形山・金山・小富士山
丸森町
(宮城, 福島)
2022.12.18(日)
日帰り
三峰山の次の日から仕事が立て込んでしまい、とうとう12月も半ば。
昨日は珍しく宮城県内亘理町から仙台3往復で終了。久しぶりに娘の顔でもと思い、夕方某はま寿司で待ち合わせ。
向かっていると、「明日明後日は待機になります」と連絡が入る。珍しい事もあるもんだ…。
鮑とマグロをメインにハイボールを飲み、〆の茶碗蒸し。カエルの子も口が似て同じような食べ方。来春からは旅行業界に就職。コロナ禍でなければ、海外にも行ってほしかった。
「地球上にいるうちは、ウイルスからも放射能からも逃れられないんだぜ」何て外に出ると仙台平野も雪が降り出していた。
朝5:00ごろ目が覚め、寝台から弦のたるんだ今年最後の下弦の月を眺め、何処か山に行こうと考える。
天気も天気だし…潮風トレイルの名取岩沼間を歩こうか、それとも亘理地塁山地か…。
ふと丸森町の「立石」を思い出した。5、6年前に数回登った立石。安倍貞任も登ったと伝承のある巨石。
YAMAPの地図を眺めると近くに鬼形山とか、小富士山とか。よし!ぐるっと回って見ようと6:40、六丁の目を出発。
丸森町に向かいながら、確か角田か柴田郡には白鳥伝説があったような(うろ覚え)…奥州藤原氏の祖は藤原経清。亘理権大夫とも言い、相婿の伊具十郎こと平永衡と共に安倍貞任の姉妹をお嫁さんにしている。立石の貞任伝説はまんざらではないな。
すき家で朝食をとりコンビニへ立ち寄りってから丸森町羽入の拡幅に車を駐めた。
カフェきっさこ先から立石へ登ろうと店の前まで来ると、丁度マスターが来て立石の事を伺う。どうやら台風19号の影響でこちらからは登れないらしい。
戻って羽入から入山。先に羽山(丸森富士)からと思ったが、破線入口には立ち入り禁止の札。林道を少し金山方面へ進んでみたが、踏み入る場所も見当たらない。
今回は諦めるか…と先に立石へ登る。立石までは整備された道。立石の巨石を眺めていると、もっと知られても良い場所なのだがなといつもながらに思う。
破線を立石先のピークに進むが問題はその先からだ。破線上は倒木と笹藪に塞がれ戦力喪失。185ピークから244ピーク間が特に酷かった。
鬼形山手前では笹に湿った雪が乗り衣類を濡らす。下だけでもとゴアを履き、3メートルほど歩いたら山頂だったという…何ともお粗末。
鬼形山には山頂プレートもなく展望も良くない。二等三角点に挨拶して鬼岩も見つけずに戻った。
破線に出るとピンテが実線まで続いていた。砂利道を進むとアスファルト道になり、家電製品の不法投棄現場を目の当たりにし身体も心も寒くなる。こんな現場は初めて見た。行政も見て見ぬふりなのだろう。
石倉に下り雉子尾川の右岸に渡り金山神社へ参る。神社脇から金山城跡へ登ると
三の丸、不動明王、出丸に石垣。二の丸は見落としか?本丸に立つと雪が降って来て景色もモノクロになる。中々の要害で、一見の価値はある“城物”だ。
金山城から雉子尾川を渡り、石垣のある佐野製糸場跡をすぎ羽入への道を進む。横殴りに雪が降りつける。工女の墓にお参りをして少し先の小富士山古墳群の石標を山へ入った。てっきり小富士山への登山道かと思っていたが、第一古墳群の所で道は途切れている。薄っすら踏み跡らしき跡を辿ってピークに出れば、トラロープが張られていてやはりこちらからの道ではなかったようだ。
日の丸の旗なびく小富士山山頂。地蔵様に手を合わせ振り向けば先程の金山城が雪に煙る。
小富士山から鞍部に下り羽山方面へ続く重機道を少したどり尾根へ出た。
踏み跡が羽山(丸森富士)方面へ続いている。一旦下り巨石脇を登ってくと山頂へ出た。巨石の山頂で木々に覆われ展望は良くない。少し低い所に四等三角点が頭を出していた。とてもじゃないが、破線を下る気分にもなれず往路を小富士山下まで戻った。
小富士山登山口に出てからは砂利道を立石登山口、羽入へと進み「カフェきっさこ」さんにて遅い休憩と昼食をいただく。冷えた身体にストーブの温もりがありがたい。カレーセットもあっという間に平らげてしまった。
災害の事なども色々お聞きしたかったが、窓の外の復興現場を眺めながら静かにコーヒーをいただいた。
福島の復興では放射性物質仮置き場の敷き砂に、ここ、丸森町から1日に大型ダンプ何百台もの山砂が浜通りに運ばれた。
今は2019年台風19号の豪雨災害の復興途上。
何の力にもなれないが、静かに見守るしかないのだろう。