誕生寺~天津山~時切稲荷神社 法然縁の地を歩く
高ノ峰・金刀毘羅山・五本地蔵山
(岡山)
2025年05月26日(月)
日帰り
【法然の生誕地・誕生寺】
今回の出発点とした誕生寺は、浄土宗開祖である法然上人の生家跡に建つ寺院です。
学校の教科書で鎌倉仏教の宗派の一つとして浄土宗を学びましたので、法然の名前は昔から知っていました。
法然は阿弥陀仏を信仰し、念仏「南無阿弥陀仏」を唱えることによって死後は誰でも極楽浄土へ行けると説きました。
この教えは民衆に広く受け入れられ、浄土宗は今年開宗851年、現在も信徒は大勢おられます。
誕生寺は法然上人の命を受けた熊谷直実(くまがいなおざね)により建久4年(1193年)に創建されたといわれています。
直実は源平合戦の一の谷の戦いで平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取ったことで知られる鎌倉時代の武将で、自分の息子と同年代の若者を討たなければならなかった後悔の念から出家して法然上人の弟子となりました。
なお、現在境内の石畳などが工事中のようで、令和8年2月27日までとの掲示がありました。工事の音は聞こえますが、建物は手つかずで参拝に支障はありません。
国指定重要文化財の山門<写真09>を通り抜けると、法然上人のお手植えと伝えられるイチョウ<写真10>が茂っていました。
この木は誕生寺七不思議のひとつで、15歳の勢至丸(法然上人の幼名)が比叡山へと旅立つ際、杖にしていた岡山県奈義町の菩提寺のイチョウの枝を上下逆に地に挿したところ、根が天に向かって伸びたといわれています。
実は、この菩提寺のイチョウも法然上人のお手植えとされています。
保延7年(1141年)、夜襲により父をなくした9歳の勢至丸は、遺言に従い岡山県奈義(なぎ)町にある菩提寺の住職である叔父の下に向かいました。
道中で杖に用いていた奈義町の阿弥陀堂の大イチョウ(岡山県天然記念物)の枝を菩提寺の境内に挿したところ、根付いたのが菩提寺の大イチョウ(国の天然記念物)であるとの言い伝えがあります。
平成25年の鑑定の結果、この2本の木のDNAが一致、大きな話題となりました。
誕生寺のイチョウも同じ木のはずですが、奈義町のイチョウ2本は雄木、誕生寺のは雌木。まあ、伝説ですから😅
御影堂(みえいどう)<写真11>と呼ばれる本堂は、寺院建築では珍しい唐破風造り(からはふづくり)の向拝を持つ建物です。
宇喜多直家の日蓮宗への改宗命令を拒否したため、天正7年(1579年)に2代目の本堂が破壊され、元禄8年(1695年)に約1世紀もの期間をかけて再建された現在の本堂は3代目となります。
さすが、破壊王・宇喜多直家です。誕生寺の歴史にまでその名がしっかりと刻まれていました😅
向拝の下の扁額(へんがく)<写真14>の縁には葵紋と菊花紋章が描かれており、皇室や徳川家との結びつきも感じられます。
また、軒下に施された竜や麒麟といった神獣の彫刻<写真12,13>も見応えがあります。
本堂の中には、法然上人自刻の御影がご本尊として祀られています。浄土宗を開いた43歳の時の姿だそうです。
撮影禁止のため画像では紹介できませんが、たくさんある仏像や肖像などはどれも芸術性が高く、かつ美しく、目を見張るものばかりでした。
御影堂のすぐ北西には、方丈と庭園があります。
拝観時間は9~16時で拝観料300円は寺務所で支払います。
唐門<写真19>をくぐりスリッパに履き替えて、座敷をぐるりと囲む廊下を蝦蟇(がま)の間<写真23>から順に時計回りに進んで芸術的な襖絵などを鑑賞できます。
江戸時代の狩野派の絵師・法橋義信(ほうきょうよしのぶ)によって描かれた鶴などは見応えがありました。
また、初代椋の霊木<写真22>など法然上人にまつわる伝説の物なども展示されており、ゆっくり見て回りました。
ガラス戸を開けて外に出ると、庭園(法楽園)<写真46,47>は緑豊かで心が安らぎました。
方丈と庭園の拝観だけで40分かかりましたが、貸し切りで過ごした贅沢なひとときは最高でした。
さらに奧に進むと、 法然上人御両親御霊廟の「勢至堂」(せいしどう)<写真55>がありました。
先程も述べましたが、保延7年(1141年)、9歳で仏門に入った勢至丸は菩提寺の住職である叔父の下、修行に励みました。
叔父・観覚得業(かんがくとくごう)は勢至丸が非凡であることを見抜き、比叡山延暦寺で修行するように勧めました。
15歳になった勢至丸は久安3年(1147年)の春、母に別れを告げるために生家へ帰ってきました。
数年前に夫・漆間時国(うるまときくに)を失い、さらに一人息子である勢至丸を送り出すことは彼女にとって耐え難い悲しみでしたが、比叡山行きを承知しました。
その秋、勢至丸を思いつつ37歳の若さでこの世を去った母君の無念はいかほどだったでしょうか。
両親を失った悲しみを乗り越え、万民救済の念仏門を開いた法然上人はこうして誕生したのです。
勢至堂やその前に位置する「両幡(ふたはた)の椋(むく)」<写真51>などの伝説を知り、ますます法然上人の奥深い歴史に興味が湧きました。
最後に訪問したのは、宝物館です。
入口で拝観料300円を箱に入れ、貴重な文化財を見て回りました。
岡山県指定重要文化財の木造清涼寺様釈迦像<写真66>はありましたが、同文化財の木造阿弥陀如来立像には気づきませんでした。普段は非公開なのでしょうか。
そちらは胎内から「法然上人御誕生所本尊」と刷り込んだ印仏が多数発見され、誕生寺の旧本尊と判明しています。歴史的にとても貴重なものです。
やはり岡山県指定重要文化財の櫓時計(やぐらどけい)<写真71,72>は、三つ葉葵の紋が入っており、底部には尾張徳川家のお抱え時計師・津田助左衛門の銘があります。
ちなみに、助左衛門の銘のある時計は数例しかなく、和時計の歴史を知る上でも貴重な資料となっています。
この他にも貴重な文化財が多数ありました。詳細は写真のコメントで説明しています。
【花と建物跡?と神社、飽きることなく楽しめる天津山周回ロード】
2時間近くにおよぶ誕生寺拝観の後、JR津山線誕生寺駅<写真85>を経由し、稲岡神社<写真90,91>を訪問しました。
この神社の一の鳥居<写真87>はなんと、金属でできていました。
そのことよりも、この斜め背後に位置していた「農園スイーツmoimo」(もいも)の存在のほうがとても気になりました。
自社栽培のサツマイモを使用したスイーツを販売している店で、金・土・日・月曜日のみ営業しているようでした。
ちょうど営業中でしたが、時間が押していたのでスルーしました。
帰宅後に調べてみると、“いもんぶらん”など、ネーミングからこれは絶対においしいはずとイメージできるオリジナルスイーツがいくつもあり、機会があれば寄ってみようと思いました。
稲岡神社<写真90,91>から天津(あまつ)神社方面に延びている舗装道路を歩きました。
道端にはノイバラやスイカズラなどの旬の花が咲いていました。
途中、コンクリート道があり入口から少し奥の右端に小さな赤い鳥居が見えました。
予定していた地形図の破線の道よりもかなり北西だったのでいったんはスルーしたのですが、これが歩けたらかなりの近道なので、一か八か進んでみることにしました。
道はすぐに土道になり、山之城旧跡「志茂の前」の道標<写真101>が現れました。
直進のほうがきれいな道でしたが、城跡があるのだろうかと思い、城跡大好きな自分たちは、予定になかったこの場所に向かうことにしました。
矢印の方向へ進むと、最初は低いササがまばらに茂っていましたが、すぐにきれいになりました。
竹が四方八方に倒れた箇所は平坦で、小さな建物跡のような気もしました。
さらに進むと少し開けた平坦地<写真98>に出ました。
周辺を適当に歩いてみると、高さ数十cmの石垣<写真99>がありました。山城の石垣にしては低く石が小さいです。
他にも低い段差のある平坦地がいくつもあり、やはり何か建物があったように思えました。
この周辺が志茂の前だろうと思いますが、説明板などはなく、帰宅後に調べてもよくわかりませんでした。
再び分岐<写真101>まで戻ると、直進はヤブになりそうだったので、左折して斜面を登りました。
最初は苔むした粘土に落ち葉が積もった道で少し急でしたが、尾根に出ると歩きやすくなりました。
予想通り、道は天津山頂上まで続いており、山頂一帯が天津神社の境内<写真102,103>となっていました。
上ってきた道は境内社の稲荷神社の参道だったのでしょう。
ここからは北に延びる砂利道っぽい土道を進みました。
轍(わだち)がありますが、一部、ぬかるみがあるので自動車でのアプローチはおすすめしません。
西に延びる地形図の破線の道を下りようと思っていましたが、分岐(コガクウツギ<写真104>撮影地点)まで来ると、少し開けており右折方向は入口にロープが張られてヤブでした。
結局、直進して砂利と土の道を南下しました。
標高300mを切ると舗装道路になり、しばらく花を観賞しながらのんびり歩きました。
【なくしものの神様「とっきりさま」】
時切稲荷(とききりいなり)神社<写真121~124>は「とっきりさま」と呼ばれ、なくしものの神様として知られています。
いつまでにと期限を決めて見つかるようにお願いすると、なくしものが出てくるそうです。
復縁をお願いする人もいるようで、ここで無理だったら諦めるのだとか。
昭和10年頃、「無理な願いを時まで切って叶えなされるありがたさ」と書かれた大正時代の絵馬が発見されたという記事が山陽新聞に掲載され、時切稲荷は一躍有名になりました。
昭和初期から太平洋戦争までのピーク時には、阪神や広島方面からも参拝者が訪れ、門前の豆腐店で毎日500枚以上作られる油揚げのほとんどが神社の前にお供えされたため、宮司は毎日片付けに追われたそうです。
かなりご利益がありそうですが、なくしたものはいまさら出てきても困るものばかりなので、他の方のお願いを叶えてあげてくださいとお願いしました。
拝殿の前にはお守りなどがたくさん並んでいますが、普段は無人で、お守りの購入は年3回のお祭りのときのみ可能です。
御朱印は誕生寺<写真09~76>でいただけます。
最後に笛吹川歌碑公園<写真125~128>を訪問しました。
誕生寺第三駐車場の北を巻いて細道を西に進みましたが、通り抜けたほうがよかったようです。
私有地に入りかけ焦りましたが、かなりの細道からなんとか公園入口にたどり着きました。
園内は舗装遊歩道が片目川沿いに延びており、一周することができます。
サツキやウツギ、カキツバタなどを観賞し、肝心の歌碑はすべてスルーしました。
入口にあったパンフレットには、斎藤茂吉や正岡子規などの文学者や犬養毅など岡山ゆかりの有名人の歌碑の位置が記載されていたので、また機会があればちゃんと探してみたいと思います。
今回は短時間お気楽コースのはずでしたが、誕生寺でかなり時間を費やし、謎の「志茂の前」を訪問し、なかなか充実した一日になりました。