柳山(鹿児島)
2026.08.18 (火)日帰り
郷里にある川内川(せんだいがわ)の河口に近い月屋山は、昭和33年(1958年)の小学5年の遠足で登った標高160mの低山(当時は月山と呼ばれていたはず)です。当時の写真で、生徒たちが冬と夏の境目の服装だったことから推して、写真メモの通り遠足が5月の行事だったのは間違いなさそうです。 座っているのが5年2組の生徒たちで(全部で58人。昭和22年4月~23年3月生まれ。戦後ベビーブームの頂点でした)、立っている大人が担任の先生でした。先生の後ろ側に立っているのは他の組の生徒なので、5年生1学期の学校行事だったようです(5年は1組から5組までありました。5年生合計で300人近いでしたし、1年~6年までは合わせて1500人程はいたように、うっすら記憶しています)。
以後、月屋山(月山)の遠足のことは、写真を保存していたこともありずっと記憶に残ったままでしたが、2026年8月18日になるまで、一度も再訪したことがありませんでした。今回法事で帰省したのを契機に、8月18日に再訪することにしました。68年ぶりという、半世紀をゆうに超える長い歳月を閲してのセンチメンタル・トレッキングsentimentale Wanderungでした。
当時の写真は、結構広い、石灰岩の採取場所付近で撮影されています。再訪は、その場所に立って懐旧の情に浸るのが目的でした。すでに鬼籍に入った同級生もいるので、その場所で先に逝った彼らや彼女らを偲ぶ意図もありました。
歩き始めは夕方の16:30頃でしたが、登山口の気温はまだ35.5度もありました。樹林帯に入るとやや気温が下がった感じで、樹間を少し風が渡ったこともあり、いくらか凌ぎやすくなりました。それでも33.5度でしたが。樹林帯を抜けて、南国の厳しい陽射しがじかに照りつける、途中の石灰岩上の階段路は、その前の日蔭で小休止をはさまずにはいられぬほど、登るのに気力が必要、との感覚になる道でした。
登山道のほぼ8割は、(地域の自治会により整備されたらしい)プラスチックの階段路で、しかも、つづら折れのない急登の連続でしたから、夕方とはいえなお炎暑の残る時間に登るのはなかなかの修業でした。もちろん、この残暑厳しい中で登山していたのは往復とも私ひとりだけでした。私も、久方ぶりの帰省ということと、センチメンタル・トレッキングという動機がなければ、敢えて厳しい暑さのこの山に登るようなことはしなかったはずです。
山頂は石灰岩の岩山でした。
小5の写真に写った場所はそのあたりだったのではと推測していましたが、どうやら、さして広くはないこの山頂ではなく、やや下った別の場所だったようです。もっとも、その場所が正確にどこかなのかは、現地ではよくわかりませんでした。登山口の案内板によると、昭和33年には石灰岩鉱山が閉山されたとあるので、遠足はおそらく閉山直後に実施されたようです。ということは、閉山後現在まで半世紀以上経過しているので、この間に採掘場は山林に戻ってしまったかもしれません。あるいは、登山道とは別なところに閉山直後の採掘場があって、そこが昭和33年の写真の場所だったかもしれません。当時の写真を事前に確かめずに登ったので、採掘跡の位置のことはうっかりですが念頭にありませんでした。この写真を再確認したのは、郷里を去って滋賀に戻ってからです。で、さきほどグーグルマップの航空写真で月屋山を調べたところ、山頂北側の斜面らしいところが採掘場所だったようです。付近にいまなお砕石・砂利を扱う会社もあるようですから。
ともあれ、写真の場所ではなかったものの、やはり石灰岩により形成されたこの山頂で、かつての級友たちを思い、鬼籍に入った級友たちにも思いを馳せ、かれらを偲んでいます。直前にあたる18日昼のミニ同窓会で月屋山(月山)への遠足のことを話題にした級友たちは、そのあと私がその月屋山に実際に登ったと伝えると、おそらく驚くだろうとも思いました(あとで、小5の写真にも写っているその一人からは、元気だネ~、との応答がありました)。
さて、やはり地域の自治会が整備したらしい山頂の展望台に上がると、北を除く三方向の眺望が得られました。東は紫尾山が見えましたが、高千穂の峰などの霧島連山が見えたかどうかははっきりしません。南の桜島は見えなかったようです。やはり南の川内川沿いの山々には、風力発電用の風車が林立していました。対岸の久見崎の河口の左側には九州電力川内原発があり、またかつては手前側の京泊には火力発電所があったのですが、それに加えて自然エネルギーの発電もなされていることになります。余談ながら、火力発電所跡地にはデータセンターができることは、帰省して初めて知りました。
京泊の川内港からは昨年夏、高速フェリーで甑島に渡ったことを思い出します。画像では甑島がかなり近くに見えるのも、今さらながらですが、新鮮な驚きでした。
いまひとつ余談ながら思い出したことがあります。川内港ができる前の京泊は、遠浅で水のきれいなよい海水浴場であり、ここに母に連れられてきた際、アサリが沢山獲れたことが、海中の砂を踏むと歩くたびにアサリの感触が足の裏に伝わってきたこと、だからこそ母が私に海から上がるよう繰り返し促したのに、アサリを獲るのに夢中だった私がなかなか上がろうとしなかったこと、とともに、いまだに記憶に残っています。これはおそらく小3頃、つまり70年程前の記憶です。子供を持つ身になって、当時の母が、そばでもっと幼い妹と弟を見ていて自ら動けず、すぐに上がってこない長男の私に相当やきもきしただろうその気持がわかるようになりましたが。一方、父がその日になぜ一緒に海に来ず、何をしていたのかは、まったくわかりません。
月屋山(月山)山頂でそうしたことを含むあれこれについて懐旧の情に浸り、展望台で遠景を眺めてのち、暑いので長居をせずに下山しています。
階段路は登りはきついでしたが、下りは途中で休むことなくまずまず順調に歩いています。
花があるかもしれないと、デジイチと60mmマクロレンズを持参しましたが、花は皆無だったのでその出番もなく、首からぶら下げたカメラは、ただ単に歩きにくいだけの代物でした。
今回は、写真の場所を目で確かめられず、その限りで心残りがありますから、今度の冬に帰省した際、採掘場跡を訪ねてみることにします。この夏と同様、片道約1000kmを走行してです。
これまた余談ですが、熊本地震で通行止めとなっていた九州自動車道は、往復とも応急修復がなされていて、通行可能となっていました。波打つ補修部分ではやはり往復ともそのつど速度を落とす必要がありましたから、いずれ平坦な再舗装工事がなされるでしょう。
南九州自動車道は八代南ICから九州自動車道八代ICまでの間にある八代分岐付近の道路の継ぎ目に高さ1.5m程の段差ができており、その復旧の見通しは立っていないようで、そこだけは一般道を迂回する必要がありました。おそらく今度の冬までにはここも復旧されていると予想されます。
余談の補足です。実家は町家ですが、実家脇の私道から夜空を仰ぎ見ると、7月と8月の2度の伊吹山山頂駐車場から見上げた時よりさらにはっきり夏の星空が見えました。前日、前々日とも雨が降っていないにも拘わらず、これほどくっきり星座が見えるのは、当地の商工業が大都市やその近郊ほど盛んでなく、人口密度も大きくないゆえに、空気がそれほど汚れていないためのようです。この状況を幸いと思うか残念に思うかは、見方によりけり、ということでしょうか。いずれにせよ、幸いと残念は、言い換えれば、プラスイメージとマイナスイメージは表裏一体の関係にあることは間違いありません。