前日の天気とは打って変わって12/4は大雨でしたが、那覇マラソンハーフ地点の摩文仁の丘にある、昨年、訪れた読谷村にもある義烈空挺隊の慰霊碑と、マラソン25キロ地点のひめゆりの塔を訪れました。 ひめゆりの塔では、入口にあるひめゆり学徒隊となった普通の高校生の明るい笑顔の集合写真が心をゆさぶりました。 証言者の映像の体験談は、筆舌に尽くし難い体験をされ、ご苦労をされて紙一重で生き残った当時の学生さんがお話をされておりました。 沖縄戦当時の海軍根拠地隊の太田少将の海軍次官宛の最後の電文に、このひめゆり学徒隊のような看護婦の献身的な行動が記載されています。 最後の締めくくりの文章が沖縄を訪れるたびに頭に浮かびます。 「沖縄県民斯く戦えり、県民に対し、後世、特別のご高配を賜らんことを」 各県の慰霊碑が並ぶ摩文仁の丘の平和記念公園の奥にひっそりと義烈空挺隊の慰霊碑があります。 昨年は突入した旧読谷村飛行場のある読谷村の慰霊碑を訪れましたが、ここ摩文仁の平和祈念公園にも慰霊碑があるとお聞きし、今年は訪れました。 出撃前にそれぞれの故郷の方角に向かって礼をする隊員の絵と、唯一強行着陸出来た機の飛行場での奮闘の絵の掲示がありました。 平和祈念資料館の展示を過ぎるとガラス張りの綺麗な海の景色が広がります。 78年前はこの海に、海岸の岩場に追い詰められた県民、兵士の亡骸が波に洗われていたのが信じられないくらいの綺麗な景色です。 平和を感じて、そのありがたさとパレスチナ、ウクライナにも思いを馳せました。 ひめゆり学徒隊の女性はその悲しく辛い海を思い出すから、しばらく海に行けなかったと証言していました。 戦争で亡くなった方々のご冥福を祈ります。 ※電文抜粋 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出發シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ□□眞面目ニシテ一時ノ感情ニ駈ラレタルモノトハ思ハレズ更ニ軍ニ於テ作戰ノ大轉換アルヤ夜ノ中ニ遙ニ遠隔地方ノ住居地區ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者默々トシテ雨中ヲ移動スルアリ是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖繩ニ進駐以來終止一貫勤勞奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ惡評ナキニシモアラザルモ)只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□與ヘ□コトナクシテ本戰鬪ノ末期ト沖繩島ハ實情形□一木一草焦土ト化セン糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ沖繩縣民斯ク戰ヘリ 縣民ニ對シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

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