モデルコース
郡山 周回コース
- 01:14
- 1.9km
- 187m
郡山は、戦国時代の名将・毛利元就の居城跡として知られる歴史深い山です。広島県安芸高田市に位置し、登山者にとっては歴史探訪と自然を同時に楽しめる魅力的なコースです。登山の所要時間は約1時間半から2時間程度で、整備された道が多く、初心者や子供連れでも安心して楽しむことができます。 登山のスタート地点は安芸高田市歴史民俗資料館で、ここでは郡山城の歴史や見どころを学ぶことができます。資料館からのスタートは、登山の前に歴史を感じる良い機会です。登山道は整備されており、途中には毛利元就の墓所や「百万一心」の石碑など、歴史的なスポットが点在しています。特に、毛利元就の墓所は静けさに包まれ、心を落ち着ける場所です。 登山中は、時折急な登りがあるものの、全体的には歩きやすく、途中には休憩用の椅子も設置されています。頂上に到達すると、本丸跡が広がり、周囲の景色を楽しむことができますが、眺望はあまり良くないとの声もあります。それでも、達成感を感じる瞬間は格別です。特に、歴史を感じながらの登山は、他の山とは一味違った体験を提供してくれます。 季節ごとの魅力もあり、春には桜が美しく咲き誇り、秋には紅葉が楽しめます。特に桜の季節には、下山後に公園でのコーヒータイムが最高の癒しとなるでしょう。また、周辺には温泉や地元の美味しいグルメも豊富で、登山後の楽しみも多彩です。 アクセスも良好で、バスを利用すれば手軽に訪れることができ、登山後の疲れを癒すための休憩スポットも充実しています。歴史と自然を同時に楽しめる郡山は、歴史好きな方や家族連れに特におすすめの登山コースです。次回は、周辺の甲山や光井山にも足を延ばしてみたいと思わせる、充実した登山体験が待っています。

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コースマップ
活動概要
- タイム
- 01:14
- 距離
- 1.9km
- のぼり
- 187m
- くだり
- 187m
標高グラフ
チャート
チェックポイント
このコースで通過する山
「郡山 周回コース」を通る活動日記
すべて見る- もらった絵文字8写真10枚01:323.4 km274 m
- もらった絵文字20写真3枚01:323.4 km275 m
- もらった絵文字223写真15枚01:363.0 km258 m
やっと来れました🏯郡山
郡山(広島)2026年10月23日 (金)日帰り平日の今日、用事ついでに以前から気になっていた安芸高田市の郡山へ🏯 思いの外大きな城址でした😊 お花は期待してなかったけど、今気になっているキッコウハグマさんを見つけた! ただ‥やはり開花には会えず😭 そのまま、又又用事ついでに飯南町の赤名湿原にも寄り道。 もうお花は少ないよねー😁 それでも、アケボノソウさんの残り花に出会えてラッキー✌️ ちなみに、ここでもキッコウハグマさんに出会うけど‥やはり開花には会えず😭 ここまで会えないのってどうなのか?😭 今日も無事に帰宅🏠 感謝感謝🙏
- もらった絵文字77写真141枚02:043.5 km220 m
郡山(402m)...広島県100名山
郡山(広島)2026年10月18日 (日)日帰り新しい山旅の相棒のジムニー🚙で遠くに行きたくて遠征ばかりしているから地元の山散歩がおろそかになっている。 たまには地元の山を歩く事にする...。🤣 郡山と言っても福島県ではなく広島県のど真ん中の安芸高田市吉田にある⛰️山。 何のへんてつも無い地味な里山だがこの郡山が広島県100名山に選ばれているのはこの山が毛利元就の本拠地の郡山城🏯があった山⛰️だからだと思われる。 広島県にとっては歴史的に重要な山だという事だろう。 毛利家は江戸時代を通じて山口県の大名だったから山口県のお殿様というイメージであるが、毛利家発祥の地は広島県のど真ん中の安芸高田市吉田なのだ。 広島県の山の中の小大名だった毛利家は室町時代の大大名の山名氏、大内氏、尼子氏に従属して大内氏の配下になったり尼子氏に鞍替えしたりして何とか戦国時代を生き延びる弱小勢力だったが、一代の英雄毛利元就の出現により次々と近隣の大名を従えて晩年には中国十ヶ国の大大名に成長した。💪 毛利元就は生涯この安芸高田市吉田の郡山城🏯を本拠地にしていたので、この郡山城🏯がある吉田が中国地方の事実上の首都だったという事だ。 その後毛利元就が没して孫の毛利輝元の代になって織田信長との長い戦いで信長の派遣した羽柴秀吉と中国地方東部のあちこちで戦い疲弊したが、三本の矢の二本である二人の叔父に支えられた毛利輝元は織田信長が急死する本能寺の変までほとんど領土を減らす事無く大大名であり続けた。 毛利輝元は織田信長の死後、後継者となった羽柴秀吉改め豊臣秀吉と和解して秀吉の配下の大名となったが、依然として中国地方の大部分を支配する大大名であり続けた。 やがて毛利輝元は不便な山奥の安芸吉田から瀬戸内海の交通の便の良い広島に広島城🏯を作ってそちらに移って本拠地としたから吉田の郡山城🏯は単なる領内の一つの城に格下げになった。 更に関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は大幅に領土を減らされて山口県に移ったので、広島城も郡山城も失う事になった。 戦国時代で最も謀略に長けていたと思われる毛利元就が関ヶ原合戦まで存命だったら孫の毛利輝元のように易々と徳川家康に手玉に取られる事も無く、逆に家康を手玉に取っていたかも知れない。 そうなれば広島は今ごろ日本の首都だったかも知れない。😱 家康も元就を強敵と見做してよほど慎重に行動すると思われるから関ヶ原合戦など無かったかも知れない。 そう考えたら元就は家康に手玉に取られた孫の不甲斐無さにあの世で輝元を叱り付けたに違いない。😅 色々な想像が頭をよぎる。 郡山城🏯が他の大名の支配地になっても毛利家代々の墓は郡山城🏯に残って今では郡山城趾公園として今に伝わっている。 郡山城趾は遊歩道が整備されて気軽に城趾を散策出来るようになっている。 郡山登山は山登りというより城趾見学という感じで毛利家墓地や城趾を見物しながら歴史を偲ぶ散策となった。
- もらった絵文字22写真10枚01:402.2 km181 m
- もらった絵文字70写真16枚01:082.3 km199 m
郡山城跡へ 毛利元就の故郷 安芸高田市
郡山(広島)2026年10月10日 (土)日帰り体力まだあったので続いて近くの郡山城跡登山へ。 ここは毛利元就のお墓がある場所。 安芸高田市の中心部のお山です。 観光地なのでとても綺麗な山道でスニーカーでも登れます👟 帰り鹿さんと遭遇🦌フランが近づいたのでスッと居なくなりました〜 今日はとてもいいお天気で暑いくらいでした。
- もらった絵文字9写真4枚00:451.9 km173 m
- もらった絵文字131写真97枚01:042.7 km211 m
吉田郡山城攻め ~広島県安芸高田市毛利氏居城
郡山(広島)2026年9月27日 (日)日帰りまた天気が微妙ということで観光ついでのピークハントへ。 広島県安芸高田市へ毛利氏居城吉田郡山城跡のある郡山に登ってみました。 小雨がパラつき滑りやすい所もありましたが公園として整備されとても歩きやすかったです。 安芸高田市観光ナビ > 毛利元就と郡山城 https://akitakata-kankou.jp/main/motonari/ 秀長が死去した1591年に毛利輝元が広島城に移るまで長年毛利氏の居城だった吉田郡山城。 この大河でも豊臣家との関係が深彫りされそうなので見ておきたいと思っていました。 毛利輝元が秀長の大和郡山城を訪れた際には大いにもてなされたそうです。 「郡山」繋がりの輝元と秀長の掛け合いもどのように描かれるかさらに楽しみですね。
- もらった絵文字24写真19枚01:172.5 km197 m
郡山 吉田郡山城 2026-9-22
郡山(広島)2026年9月22日 (火)日帰り郡山・吉田郡山城踏破報告書 2026.9.22 広島・安芸高田、郡山へ。 毛利元就が生涯をかけて守り抜いた居城、吉田郡山城址。距離2.5km・標高差197m・1時間17分の山行なり。 山としての難易度は高くない。しかれども、この山には他の山にはない重みがある。戦国の世、希代の謀将・毛利元就がこの地より中国地方の覇者へと駆け上がった。その足跡を踏みしめながら歩く城址登山は、単なる山行にあらず。歴史の中に分け入る行為である。 登山道は手入れが行き届き、厳かな雰囲気の中にも歩きやすさがあった。整備してくださっている方々への感謝を忘れてはならぬ。 百万一心。 一日、一力、一心。 百万という大きな力も、一日一日の積み重ねと、一人ひとりの力と、ひとつの心から生まれる。元就はそれを知っていた。 「三本の矢は折れぬ。されど心がバラバラでは、百万の軍も烏合の衆に過ぎぬ」 この山に立てば、その言葉の重さが、足の裏から伝わってくる気がした。 「認めたくないものだな…元就の智謀の前では、我が武力など、いかに無力であるかということを」
- もらった絵文字59写真31枚01:393.1 km261 m
郡山城🎯🎯🎯(毛利元就)
郡山(広島)2026年9月21日 (月)日帰り子供の頃見た、志村けんの三本の矢のシーンが忘れられなかった。 歴史に疎い私が、この歳にして城スタンプに嵌っていろいろ勉強する事になるとは…😓 学生時代に嵌っていれば、もう少し日本史の成績良かったかも😅