04:16
14.1 km
675 m
碓氷峠アプトの道
鼻曲山・氷妻山・留夫山 (群馬, 長野)
2026年06月10日(水) 日帰り
今日は『峠の釜めし』で有名な横川へ遠征。 横川は群馬県安中市にある歴史と鉄道の町。 江戸時代には、『入り鉄砲に出女』を厳しく取り締まる中山道の『関所』が設けられて、やがて明治以降『鉄道の時代』が到来すると信越本線の難所中の難所である『碓氷峠』の麓町として栄えた町。 碓氷峠といえば、昔『頭文字D』の聖地巡礼を兼ねてクルマで当地を度々訪れていたが、その頃はまさか将来自分が往復約12kmの『アプトの道』を自分の足で歩くとは夢にも思わなかった。 あの頃はただひたすら、インパクトブルーのシルエイティの影を追いかけて、碓氷峠(国道18号線の旧道)をカッ飛ばしていたけど、よもやこの様な鉄道遺構がこの峠道のすぐそばにあるとは露知らず、コーナーを攻めまくっていたっけ··· 鉄道の碓氷峠に話を戻すと、最大勾配66.7‰(パーミル)の碓氷峠を越えるために日本初の『アプト式』が採用され、また蒸気機関車による煤煙問題解消と輸送力増強のため日本の幹線鉄道として初めて『電化』されるなど、当時の最新技術が投入された、日本鉄道史における最も重要な場所の1つ。 そんな碓氷峠ではあったが、その後昭和の世になると、輸送量増加需要がさらに高まったことから『新線』へと切り替わりアプト式は廃止され、平成9年『北陸新幹線』高崎駅〜長野駅間(通称名『長野新幹線』)開業に伴い遂に在来線である信越本線の横川〜軽井沢間は廃止されてしまった。 『在来線で『天城越え』ならぬ『碓氷越え』が出来なくなるとは何事ぞ!』と、沿線住民並びに『鉄オタ』界は一時騒然とし、驚愕しそして、それでも廃止を断行したJRグループの無慈悲な所業に恐怖した。 それはまるで、かつての『一年戦争』の序盤てジオン公国軍が決行した『ブリティッシュ作戦』により、地球の総人口の約半数を死に至らしめた時のような衝撃。その時『人々は自らの行為に恐怖した』という。 しかし地球連邦宇宙軍第2連合艦隊第13独立部隊所属の強襲揚陸艦『ホワイトベース』が中立コロニー『サイド6』の領空を出るなりジオン公国軍『コンスコン隊』と戦闘を開始した時、発進待機中の『コア・ブースター』のコクピット内でクルーのセイラ・マス准尉が『慣れていくのね、自分でもわかる···』と呟いたように、人は"慣れていく"生き物。 時の経過と共に人は『分断された信越本線』に慣れてしまった。 そして、時は過ぎ日は流れて、已む無く廃線となった横川〜軽井沢間の一部(横川駅から旧熊ノ平駅まで)は『碓氷峠アプトの道』という廃線跡ハイキングコースとして生まれ変わり『廃線鉄』と呼ばれる『鉄オタ』たちがその無限の沼に嵌り、今なお成仏できずに碓氷峠を彷徨っているという··· では、異様に長い前置きはこれくらいにして『碓氷峠アプトの道』のウォーキング、いざスタート! 10コのトンネルを抜けると『旧熊ノ平駅』に着くらしい。てくてく進む。 『碓氷峠鉄道文化むら』を左に見ながら進むと『碓氷関所跡』の案内板が。 関所跡には復元された『東門』があり、当時が偲ばれる。 それからこの後『丸山変電所跡』『峠の湯』『碓氷湖』『めがね橋』を経て、ようやく『旧熊ノ平駅』に到着。 と、ここまで、ウォーキングの件(くだり)は超あっさり塩味で綴ってきたが、しかし実はそれぞれのポイントでイチイチ感激して立ち尽くしてしまったため、まったくもって時間がかかってしょうがない! 丸山変電所跡、めがね橋、旧熊ノ平駅、其々がとんでもなく貴重な鉄道遺構であり、心のヨダレがダァラ〜ッと止まらずに、なかなかその場を立ち去ることができなかった。 そればかりか、未だ撤去されず残されたままの『信号機』や『レール』の一本一本にまで感情移入が止まらず、そのうち廃線のレール上を今は亡き189系『L特急あさま』の幻影が軽井沢方面に走り去っていった。 また思い返せば高2の夏、悪友たちと八高線で高崎まで出て、高崎から信越本線の115系鈍行列車で軽井沢まで行った時に俺達はココを通ったのか···と思うに至り、改めて時の流れを痛感した。 おっと、このあと『碓氷峠鉄道文化むら』に行くんだった。 復路は往路の約半分の時間で帰還。このあと活動日記『碓氷峠鉄道文化むら』に続く!