大手門跡
ステキ✨
臥牛山-大松山つり橋 往復コースの写真
臥牛山-大松山つり橋 往復コースの写真
早速の紅葉🍁⠜
少し歩くと眺望有ります。
備中松山城方面を見上げる
暫くは車道歩き

モデルコース

臥牛山-大松山つり橋 往復コース

コース定数

標準タイム 02:59 で算出

やさしい

11

  • 02:59
  • 4.7 km
  • 488 m

コースマップ

タイム

02:59

距離

4.7km

のぼり

488m

くだり

487m

標高グラフ
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チェックポイント

このコースで通過する山

「臥牛山-大松山つり橋 往復コース」を通る活動日記

  • 19
    52

    02:50

    6.8 km

    564 m

    臥牛山 備中松山城(岡山)

    備中松山城 (岡山)

    2026年07月19日(日) 日帰り

    またも歴史登山🏯 日本で一番標高の高いお城 備中松山城 山全体が要塞になってて、石垣や天守が現存してる。 登山道も整備されており、歩きやすい。 夏の暑さも凌げる木陰。 気持ちよく歩けました🚶

  • 92
    90

    01:38

    3.9 km

    332 m

    天空の城塞「備中松山城」 山の頂より今も見つめる悠久の刻。-2026-06-29

    備中松山城 (岡山)

    2026年06月29日(月) 日帰り

    備中松山城案内パンフレットから取ってきました。 備中松山城の歴史 この城の歴史は古く、鎌倉時代の延応二年(一二四〇)に有漢郷(現在の高梁市有漢町)の地頭に任ぜられた秋庭三郎重合により臥牛山のうちの大松山に砦が築かれたことに始まります。 その後、小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化しますが、なかでも天正二年(一五七四)に起こった「備中兵乱」時は、「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれていたことが記録として残っており、臥牛山全域が一大要塞となっていたことが、うかがえます。 当時の城主であった三村氏が滅んだ後も、毛利氏の東方進出の拠点として、またさらに毛利氏が防長二国に退いてからも、備中国奉行として赴任していた小堀正次・政一(遠州)父子により修改築がなされるなど、備中の要衝としての役割を担っていたようです。以降、池田氏、水谷(みずのや)氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主が変わり明治維新を迎えますが、現存する天守などは天和三年(一六八三)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられています。

  • 112
    34

    01:30

    5.3 km

    538 m

    臥牛山

    備中松山城 (岡山)

    2026年05月02日(土) 日帰り

    西に向かう途中で寄り道。 ヤマップピークがあったのでアプリを起動させてみました。 現存天守10城目。