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臥牛山 備中松山城(岡山)
備中松山城 (岡山)
2026年07月19日(日) 日帰り
またも歴史登山🏯 日本で一番標高の高いお城 備中松山城 山全体が要塞になってて、石垣や天守が現存してる。 登山道も整備されており、歩きやすい。 夏の暑さも凌げる木陰。 気持ちよく歩けました🚶
モデルコース
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6.8 km
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備中松山城 (岡山)
2026年07月19日(日) 日帰り
またも歴史登山🏯 日本で一番標高の高いお城 備中松山城 山全体が要塞になってて、石垣や天守が現存してる。 登山道も整備されており、歩きやすい。 夏の暑さも凌げる木陰。 気持ちよく歩けました🚶
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備中松山城 (岡山)
2026年06月29日(月) 日帰り
備中松山城案内パンフレットから取ってきました。 備中松山城の歴史 この城の歴史は古く、鎌倉時代の延応二年(一二四〇)に有漢郷(現在の高梁市有漢町)の地頭に任ぜられた秋庭三郎重合により臥牛山のうちの大松山に砦が築かれたことに始まります。 その後、小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化しますが、なかでも天正二年(一五七四)に起こった「備中兵乱」時は、「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれていたことが記録として残っており、臥牛山全域が一大要塞となっていたことが、うかがえます。 当時の城主であった三村氏が滅んだ後も、毛利氏の東方進出の拠点として、またさらに毛利氏が防長二国に退いてからも、備中国奉行として赴任していた小堀正次・政一(遠州)父子により修改築がなされるなど、備中の要衝としての役割を担っていたようです。以降、池田氏、水谷(みずのや)氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主が変わり明治維新を迎えますが、現存する天守などは天和三年(一六八三)に水谷勝宗により修築されたものと伝えられています。
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備中松山城 (岡山)
2026年05月30日(土) 日帰り
今日は軽めのハイキング🥾で高梁市の備中松山城へ城主さんじゅーろー🐈に会いに行くのと臥牛山へセットで行って来ました。
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