弥陀ヶ原、そして室堂・ミクリガ池
立山・雄山・浄土山
(富山)
2024.06.29(土)
日帰り
6月29日は前日とは打って変わって晴天に恵まれました。これなら、計画通り、二ヶ所の散策をたっぷり楽しめそうでした。
1)国民宿舎立山荘でチェックアウト時に荷物を預かってもらい、私と長男の二人とも軽装で弥陀ヶ原に向かいました。コースの第1は、立山荘からバス道路を横切って弥陀ヶ原ホテル前まで歩き、弥陀ヶ原ホテル前からの木道を、「ガキの田広場」(池塘群)を経て一の谷分岐まで進み、そこから木道丁字路へ左折、追分分岐から再び左折し、バス道路手前で左折してのち、立山荘付近まで戻る、という外回りコースです。
これに続くコースの第2は、立山カルデラ展望台までの往復です。
弥陀ヶ原ホテル前の弥陀ヶ原の木道に入るとすぐにチングルマなどの花々が眼に飛び込んできたので、この先の歩きが大いに期待できました。木道脇の花々を撮影しつつ進むと、すぐ先にもう池塘群(通称「ガキの田広場」)が見えてきました。ここから一の谷分岐までの、青空に映える池塘群、周囲の鮮やかな緑の山々、木道付近の様々な花(とくに多かったのがチングルマ)、をたっぷり楽しんだことは、言うまでもありません。
長男に、木道歩きの途中で弥陀ヶ原の感想を聞かれたので、「控えめに言って、最高だね」、と応じました。表現こそ違え、長男も同様の感想を抱いたようで、そのことは、長男が、東京の街中では決して見られない雄大な自然に繰り返し感嘆したことからも知られました。弥陀ヶ原の存在を知らなかった長男をここに連れてきた甲斐があったというものです。
知ってはいたものの、訪れたのが初めてだった私も、ここが期待以上に素晴らしいことを知り、それこそ手の舞い足の踏むところを知らず、といったうきうき気分になりました。もっとも、小躍りして木道を踏み外す、ということにはなりませんでしたが。
一の谷分岐から追分分岐までは、池塘は少なくなり、むしろチングルマなどの群生や沢渡りなどのアップダウンが楽しめました。これまでと同じくこの付近の木道も濡れていて滑りやすかったので、注意しながら歩いて、です。
追分分岐からの高原バス沿いのコースは登り基調でした。弥陀ヶ原ホテル前の木道に入った頃の気温は、不動の状態だとやや寒いでしたが、歩いていると寒さは感じず、むしろあとになると汗をかくほどでした。ことに追分分岐からの登りでは、かなり汗をかいています。
六甲学院立山ヒュッテの先で、ミズバショウの小群生を見ることができたのは、嬉しいことでした。
国民食者立山荘まで戻ったところで、予定通り、立山カルデラ展望台へのコースに入りました。ここは、展望台までずっと石畳の登りで、昨日の立山歩きの疲れが取れていない身には、ややこたえる登りでした。あまつさえ、展望台からの展望は深いガスに覆われて視界ゼロ状態でしたから、折角展望を期待したのが肩透かしを食らった格好で、やれやれでした。とはいえ、ここまでの登り降りでは、弥陀ヶ原では見かけなかった花々をいくつも観察できたので、歩いた甲斐はあったと思っています。
展望台への登り下りは意外にも合わせて25分程度しかかかりませんでした。このため、9:12頃に立山荘に戻って預託荷物を受け取り、9:20発の室堂へのバスに十分間に合わせることができました。
2) 弥陀ヶ原からバスで室堂まで移動。室堂では、長男の希望するミクリガ池を見るのが主な目的でした。まずは、28日と同じく、バスターミナル奥のコインロッカーにそれぞれの荷物を預けたのち、10時頃、軽装で登山口に降り立ちました。
そこからは、コースとしては、27日に大分の女性が案内して下さったのと同じく、反時計回りを選びました。ただ、27日は一ノ越への登山道途中までの石畳の道を通って室堂山荘へ左折したのですが、29日は室堂平を、一の越への石畳の道を横切って進み、室堂山荘左端への道を歩くことにしました。しかしこれは不正解でした。というのも、いたずらに歩きの疲れる雪原を2度も歩くはめになってしまったからです。しかも石畳の道の脇なら観察できたはずの花を、雪原では一切見ることができませんでした。敢えてこの行程のありうるプラスを挙げるとすれば、この時季のこのコースは歩きにくく見るものが殆どないとの経験知だけ、でしょうか。
ともあれ、室堂山荘前の石畳の散策路に到達したあと、起伏のあるこの石畳の遊歩道を反時計回りに進みました。途中では、27日より遊歩道を歩く人々が遙かに多いという印象でした。もちろん、27日の女性のご案内が記憶になお新ただったので、遊歩道途中のあれこれの花々をたっぷり確かめ、かつ楽しみつつ、でもありました。ミドリガ池のターコイズブルーの美しさやリフレクションに目を奪われたことは言うまでもありません。
さらに、27日には立ち寄らなかった雷鳥荘への途中の地獄谷展望所まで歩いて、ここで小休止。展望所からは、地獄谷のおよその全体像を見ることができ、また雷鳥荘への道も確かめることができました。
27日に閉館中だったみくりが池温泉・レストラン施設はなんと営業中でした。時刻が11時過ぎとまだ早かったので、ここでの昼食は摂らないことにして、テラスから地獄谷を見たのち、ミクリガ池の展望場所に下りました。予想通り、ここも人が多いでした。
残念ながら、ミクリガ池では、立山などはまだ山頂が雲に覆われていて、27日のような完璧なリフレクションを見ることはできませんでした。それでも、立山リフレクションの様子は十分楽しむことができ、また、ドラゴンアイの名残も見ることができました。
また、この場所を含め、周回中、しばしば一ノ越までの雪渓路や一ノ越から雄山までの急登を眺めることもできています。前日苦労して歩いたばかりなので、その感慨はひとしおでした。
ともあれ、室堂のミクリガ池めぐりは、長男が立山に来たかった最大の願いでした。その長男は、この29日にかなりよい気候条件下で池めぐりができたことで、大いに満足したようでした。私も長男を、弥陀ヶ原とともに、ここに連れてきた甲斐がありました。
3) 室堂に戻ったのち、立山自然観察保護センターの展示物を見て、12時8分頃から建物内のレストランでカレーを食べました。その後、再度登山口に上がって立山の様子を確かめてみたところ、雲はさらに広がっていました。そこで、晴れ上がるのを待つことなく、ロッカーの荷物を取りだし、かつ、長男に空いたペットボトルを托して湧水を汲んでもらうなどしました。ただ、残念ながら美女平への12:20発のバスには僅差で間に合わず、次の13:20発まで待合室で待機モードに。その間にショップを眺めたり、(長男が)買い物したりして、です。
発車時刻にバスに乗り込み、バスがターミナルを走り出した直後に、背後をみると、なんと、立山がきれいに晴れ上がってその全貌がはっきり見えていました。休憩中にこれを再び確かめなかったのが悔やまれたほど、それは見事な展望でした。長男は、実際の姿を目にすることができたので、いいよ、と言ってはくれましたが。
美女平までのバスからは、路肩のニッコウキスゲやナナカマドの白い花をずっと見ながらでした。ニッコウキスゲもナナカマドの花も、室堂では見かけませんでした。気温差のため開花には時期が早すぎたのでしょう。その一方、この二つの花は、標高1930mの弥陀ヶ原あたりから標高977mの美女平のすぐ近くまで切れ目なく咲いているのを確認できました。
ともあれ、13:20室堂発のあと、立山駅前駐車場には14:30に達しています。
駐車場から、長男の目的地の新湊へ、一部高速を使って移動。新湊では、己の土産用に当地の鮮魚を買い求めたかったのですが、漁港近くの「新湊きっときと市場」には加工品はあったものの、期待していた鮮魚は殆ど見あたらず、結局スーパーで2点ほど買い求めるに留めました。
市場の人たちに事情を伺うと、半年前の震災の影響で海底が荒れているなどで漁ができていない由。魚屋さんも閉まっているはずです、と。
おそらく能登半島沿岸では多くの定置網が壊れるなどの影響もあったかも知れず、関連の仕事に就かれている人々にはまことにお気の毒なことでした。
またこの市場付近では、明らかに震災によるとみられる港湾空間や道路の隆起や破壊が随所に見られ、通行止めの道もありました。能登半島の付け根あたりなので、そうなったであろうことは容易に推測できたわけですが、この眼でその事実を確認した格好でした。これらの道路や港湾施設の復興は、広範に及ぶだけになかなか容易でないだろうとも推測され、ますます現地の人々がお気の毒に思われました。
買い物をしたのち、船の係留された内川とそれにかかる橋を見物。ベネチアのリアルト橋を思わせるなかなか風情のある景観です。残念ながら晴天なら見られたはずの、背景の北アルプスは雲に覆われていて目にすることはできませんでしたが。
内川からほど近いホテルに長男を送り届け、私は帰途へ。途中の南条SAで、スーパーで買い求めた鮭弁当を食べてのち、高速を走り続け、19:40に無事に自宅に帰り着きました。疲労回復のためもあってすぐに沸かした風呂に入り、なんとか落ち着いた感覚でした。
4) 備考:2ヶ所を経巡ったため、掲載画像がやや多目となりました。どうかご海容の程を。なお、室堂・ミクリガ池周回の記録(軌跡)も取っていますが、これを弥陀ヶ原の軌跡と合体させることはやりませんでした。合体方法に詳しくない私が敢えてこれを試みて、おかしな結果となるのを避けるためです。