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3.2 km
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モデルコース
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4.1 km
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小松市 (石川)
2025.04.16(水) 日帰り
「砂山」は我が青春の想い出の場所。二十歳の頃に良く遊びに出掛けた場所。小松駅から遊泉寺まで電車があった。 S女史と「里山みらい館」の前の駐車場で待ち合わせ。所が忘れ物をしたので遅れるとの事で、私は先に一人で出発する事になった。
01:20
3.5 km
172 m
遣水観音山・遊泉寺砂山・高野山 (石川)
2025.04.12(土) 日帰り
遣水観音山の続きである。 遊泉寺砂山は谷をはさんで、遣水観音山の反対側(西側)にある山である。 山といっても銅鉱の採掘ででた非鉱石や溶錬屑の捨て場が山になったものである。 簡単に言えば人が作った山、炭鉱地帯に見られるぼた山と同じである。 昔は禿山で子供の遊び場だったそうだが、今は木々に覆われてその面影はない。 この山には、観音霊水堂から行く道もついている。しかし、やはり表口から登りたいという妙な拘りから、一旦車で里山みらい館のある表口へと移動する。 この遊泉寺銅山跡は「遊泉寺銅山ものがたりパーク」として整備がされハイキングコースとなっている。 表口にある駐車場の手前には白、桃色、濃紅等の様々な色の花桃が咲いている。その先の里山みらい館の周りは淡いピンクのソメイヨシノが一面を覆い、所々に濃いピンクの桜が交じりアクセントになっている。 下を見ると黄色い水仙がところ狭しと咲き誇り、見上げると青空も見えている。 春本番といった雰囲気である。 里山みらい館の前庭には、この銅山を発展させた竹内明太郎氏の銅像やこの銅山の歴史を記した石碑なども置かれている。 竹内明太郎氏は吉田茂元首相の実兄にあたる。同氏はこの銅山の発展に寄与しただけにとどまらず、小松製作所(コマツ)の創始者であり、早稲田大学理工科の創設等にも尽力された実業家である。 入り口から舗装された道を通ってを谷を詰めていく。まず、物語に出てくるレンガのお家みたいな真吹炉(まぶきろ)跡が右手にある。 以前、整備前に来たときは、この真吹炉(まぶきろ)跡やその先も暗い杉林の下にあった記憶がある。 今はそれらの木が伐採されシダレザクラ園などもできていて、明るい空間へと変貌している。 最盛時にはこの谷に5000人近くの人が住んでおり、学校、病院、郵便局等々の施設、中には遊郭まであったそうだ。また、この谷から銅を運び出すために、小松まで鉄道も敷設されていたとのこと。 進んでいくと舗装路は分岐となり、右手に進む。その道は巨大煙突の脇を通り、竪坑跡で行き止まりとなる。 竪坑跡の所から左手に進むと山道に入っていく。山頂までは450m。 ちょうど半分くらい登ったところにも遺構がある。下で出た不要な非鉱石や精錬屑を捨てるための巻き上げ機跡である。 そこから右手へは観音霊水堂へと至る道が続いている。 頂上には左手に登っていく(頂上まで200mの看板あり)。 尾根道には満開のミツバツツジや咲いたばかりの純白のタムシバの花を見ることができた。 山頂にはベンチが置かれ、そこからは視角は狭いが、小松市を望むことができる。 この山頂を含め、巨大煙突、竪坑跡等の要所には澄んだ大きな音の鳴る鐘が設置されていた。 誰も周りにいなかったので、力いっぱい何度も鳴らすことができたのは、鐘が大好きな私には幸運であった。 山頂からはスギ林の中を一気に下って林道に降りる。そこにはため池があり、この水が当時の町の水源となっていたそうだ。 下山後、里山みらい館の前を見ると 、先ほどの鐘より更に大きな鐘のあることに気付く。 思う存分鳴らしたいという欲求に駆られたが、周りに人も多く憚られる。 心残りだが上品に一度だけ鳴らして、遊泉寺砂山の山行を終えた。
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3.4 km
158 m
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遣水観音山・遊泉寺砂山・高野山 (石川)
2025.03.23(日) 日帰り
よく登るヤリカンのお隣のお山。 こちらも初めて登るお山です。 遊泉寺銅山の遺構が点在しています。 しばらく舗装路を歩き、山の中は階段続きの道でした。 階段の始まり付近にナニワズの花が咲いていました。
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4.5 km
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