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モデルコース
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小谷山・虎御前山 (滋賀)
2026年04月05日(日) 日帰り
桜が咲いてきたので、お花見ハイキングです。 小谷城は桜の馬場に桜がたくさんあったような記憶があったので行ってみました。 登ってみると桜の馬場は、ヤマザクラが多いのかまだあまり咲いてませんでした。でも、本丸ではソメイヨシノが満開でした。 山頂の近くでは、イワウチワがまだ残っていました。 暖かくて、大勢のかたが来られてましたが、登山客はそんなに多くなかったです。 その分、山頂あたりではのんびり一服できました。 ----- 写真アップの制限があり、少ないため、詳細はこちらヤマレコをご覧ください。 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-9500873.html
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小谷山・虎御前山 (滋賀)
2025年12月12日(金) 日帰り
29歳の若さでこの世を去った浅井長政 もちろんそんな人はいくらでもいる 昔も今も でも、この旅を通じてほんの一部だけど長政に関わって俺の心の中がざわついてしまった。 今回の『小谷城探索』は感傷的過ぎると言われるのを覚悟で、浅井長政追悼の気持ちで山旅をし、浅井長政が自刃したと云われる場所で手を合わせてきます🙏 さて、姉川の戦いで勢いに乗ったはずの織田信長ですが小谷城が堅城である事を知っていたので、浅井家臣の引抜や主要砦の攻略などに3年の歳月をかけました。 時は1573年8月8日 虎御前山に陣を構えた信長 戦力は織田軍三万、浅井軍五千で数の上では、織田軍圧倒的優勢でした😰 もちろん両軍とも3年間じっとしていたわけではなくあっちこっちで戦闘を繰り広げていましたが、ここでは省略します。 いつか俺が坂本城とか比叡山を訪れることがあったら、またその時に… 信長は虎御前山に陣を構えた後も長政の援軍に来た朝倉軍を撃ち破り一乗谷まで追いかけ朝倉を滅ぼしてきてしまいました。 そして虎御前山に戻ったのが8月26日。 全然戦局が動いていない事に怒った信長は全軍に総攻撃を命じました。 翌27日夜半には秀吉率いる三千の兵が長政のいる本丸と長政の父久政がいる小丸の間の京極丸に攻め上りました。 追い詰められた久政の自刃の後も長政は必死に戦い持ちこたえました。 その間に嫡男万福丸を城外に逃し、妻のお市の方と三人の娘を織田軍に引き渡しました。 妹を救った長政に対して大和一国を与える事を条件に降伏を勧めましたが、長政は最期まで戦うことを選びました。 そして9月1日に長政が自刃して、 北近江のプリンス浅井長政の短い生涯が終わりました。
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