黒浜・以下宿・高浜
殿隠山・遠見山・秋葉山
(長崎)
2020.03.08(日)
日帰り
夏の続き
岳路(たけろ、竹留)から黒浜へ向かうと藩境を越えるが、道沿いにそれを意識させるような遺構は見当たらない
古くから伊佐早荘肥御崎寺(観音寺)領と彼杵荘戸町氏領の係争地だった高浜・野母(切杭)は、建長七(1255)年に地頭職として戸八浦へ下向した御家人深堀氏が正嘉元(1257)年、高浜氏、野母氏を庶子として自領に加える
天正十六(1588)年、豊臣秀吉は深堀領を一時没収するが川原、高浜、野母を除き返還
川原・高浜・野母は豊前小倉、肥前唐津預りを経て慶安元(1648)年、長崎代官支配地となる