熊野・九十九王子を訪ねる②(14近木王子~29川端王子)

2023.05.22(月) 日帰り

活動データ

タイム

10:44

距離

37.4km

のぼり

405m

くだり

419m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
10 時間 44
休憩時間
1 時間 16
距離
37.4 km
のぼり / くだり
405 / 419 m
10 45

活動詳細

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八軒家から熊野三山へむかう九十九王子探訪の二日目。 初日は17佐野王子までを予定していたが、スマホの予備バッテリーもなくなって麻生川王子で断念。翌朝、仕切り直しとなった。

 15)鞍持王子(くらもちおうじ)推定地
阪和線和泉橋本駅の南側を熊野街道は横切るがこの辺りを原宮といい王子跡ともいうそうだ。写真のとおり宅地造成されている。近くにイオン貝塚店がある。
15)鞍持王子(くらもちおうじ)推定地 阪和線和泉橋本駅の南側を熊野街道は横切るがこの辺りを原宮といい王子跡ともいうそうだ。写真のとおり宅地造成されている。近くにイオン貝塚店がある。
 15)鞍持王子(くらもちおうじ)推定地
写真中央の杜が南近義神社。電柱に「王子」の表示がありここらあたりが九十九王子関連地であることがわかる。先の路地を右折すると正福寺があり鞍持王子の推定地とされる。
15)鞍持王子(くらもちおうじ)推定地 写真中央の杜が南近義神社。電柱に「王子」の表示がありここらあたりが九十九王子関連地であることがわかる。先の路地を右折すると正福寺があり鞍持王子の推定地とされる。
 14)近木王子(こぎおうじ)参考地
15)鞍持王子(くらもちおうじ)参考地
現在は、南近義神社(みなみこぎ)に二つの王子が合祀されているという。神社の西に吉祥園寺がありその南に字権現がある。ここに王子権現社(熊野神社)があって近木王子とされる。
14)近木王子(こぎおうじ)参考地 15)鞍持王子(くらもちおうじ)参考地 現在は、南近義神社(みなみこぎ)に二つの王子が合祀されているという。神社の西に吉祥園寺がありその南に字権現がある。ここに王子権現社(熊野神社)があって近木王子とされる。
 善正寺(ぜんしょうじ)
善正寺(ぜんしょうじ)
 16)鶴原王子(つるはらおうじ)参考地
別名、貝田王子(かいだおうじ)
『泉佐野市史』には鶴原王子の名の記述がある。
『泉州誌』では、貝田王子を加支田神社(泉佐野市鶴原/この貝田橋から西400m)と推定している。
16)鶴原王子(つるはらおうじ)参考地 別名、貝田王子(かいだおうじ) 『泉佐野市史』には鶴原王子の名の記述がある。 『泉州誌』では、貝田王子を加支田神社(泉佐野市鶴原/この貝田橋から西400m)と推定している。
 17)佐野王子(さのおうじ)
明治41年、春日神社(泉佐野市春日町)に合祀
17)佐野王子(さのおうじ) 明治41年、春日神社(泉佐野市春日町)に合祀
 18)樫井王子(かしいおうじ)
別称、籾井王子(もみいおうじ)
大正4年、日枝神社(泉佐野市南中樫井)に合祀。
南中樫井の集落の始まりに「いづみモータース」があり、その店裏に「籾井王子之跡」の石碑がある。
『泉州誌』には樫居王子、『和泉誌』には籾井王子の記載があるが、籾井の表記は誤りとされる。
18)樫井王子(かしいおうじ) 別称、籾井王子(もみいおうじ) 大正4年、日枝神社(泉佐野市南中樫井)に合祀。 南中樫井の集落の始まりに「いづみモータース」があり、その店裏に「籾井王子之跡」の石碑がある。 『泉州誌』には樫居王子、『和泉誌』には籾井王子の記載があるが、籾井の表記は誤りとされる。
 大正大橋
大正大橋
 明治大橋
明治大橋
 樫井古戦場
樫井古戦場
 明治大橋
明治大橋
 19)厩戸王子(うまやどおうじ)参考地
後鳥羽上皇の熊野御幸の記録に信達庄にある厩戸の御所に泊られたとある。明治40年、この一岡神社(泉南市信達大苗代)に合祀された。
19)厩戸王子(うまやどおうじ)参考地 後鳥羽上皇の熊野御幸の記録に信達庄にある厩戸の御所に泊られたとある。明治40年、この一岡神社(泉南市信達大苗代)に合祀された。
 19)厩戸王子(うまやどおうじ)推定地
「史跡 厩戸王子跡」の石碑が一岡神社の西300mほどのゴルフ練習場の横にある。
厩戸王子神社、筆王子神社とも称したという。王子の名称も馬戸王子、馬留王子、筆王子など多数ある。
19)厩戸王子(うまやどおうじ)推定地 「史跡 厩戸王子跡」の石碑が一岡神社の西300mほどのゴルフ練習場の横にある。 厩戸王子神社、筆王子神社とも称したという。王子の名称も馬戸王子、馬留王子、筆王子など多数ある。
 信達宿の本陣跡
信達宿の本陣跡
 信達宿の常夜燈
信達宿の常夜燈
 20)信達一ノ瀬王子(しんだちいちのせおうじ)推定地
別称、信達王子、一ノ瀬王子、
長岡王子。
馬頭観音、地蔵菩薩を祀っている。信達神社の大鳥居があった所の狛犬がここに移されている。
20)信達一ノ瀬王子(しんだちいちのせおうじ)推定地 別称、信達王子、一ノ瀬王子、 長岡王子。 馬頭観音、地蔵菩薩を祀っている。信達神社の大鳥居があった所の狛犬がここに移されている。
 馬頭観音菩薩堂
馬頭観音菩薩堂
 21)長岡王子(
21)長岡王子(
 21)長岡王子(ながおかおうじ)参考地
林昌寺(泉南市信達岡中)は長岡王子の跡という説もあるが不確定
21)長岡王子(ながおかおうじ)参考地 林昌寺(泉南市信達岡中)は長岡王子の跡という説もあるが不確定
 21)長岡王子(ながおかおうじ)参考地
岡中鎮守社(泉南市信達岡中)は長岡王子の跡という説もあるが不確定。昔「天照太神宮」と呼ばれた社があったという。
21)長岡王子(ながおかおうじ)参考地 岡中鎮守社(泉南市信達岡中)は長岡王子の跡という説もあるが不確定。昔「天照太神宮」と呼ばれた社があったという。
 21)長岡王子(ながおかおうじ)参考地
JR阪和線和泉鳥取駅横の波太い神社遥拝鳥居(阪南市和泉鳥取)のあるところという説もあるが不確定
21)長岡王子(ながおかおうじ)参考地 JR阪和線和泉鳥取駅横の波太い神社遥拝鳥居(阪南市和泉鳥取)のあるところという説もあるが不確定
 22)地蔵堂王子(じぞうどうおうじ)推定地
熊野街道(紀州街道)は山中渓にむけて山中川を上る。滑下橋を渡り鋭角に左折れて進むと「地蔵堂王子跡」の石碑がある。
22)地蔵堂王子(じぞうどうおうじ)推定地 熊野街道(紀州街道)は山中渓にむけて山中川を上る。滑下橋を渡り鋭角に左折れて進むと「地蔵堂王子跡」の石碑がある。
 23)馬目王子(うまめおうじ)推定地
別称、「ウハメ王子」
現在、ここから西北に3kmくら離れた波太神社(はたじんじゃ/阪南市石田)に合祀され、もとの御神体の丸石は数百メートル上の山中神社に祀られているという。
阪南市山中渓の山中地区の入口「王子原」にあったといわれるが、阪和線開通時に平地化されたという
23)馬目王子(うまめおうじ)推定地 別称、「ウハメ王子」 現在、ここから西北に3kmくら離れた波太神社(はたじんじゃ/阪南市石田)に合祀され、もとの御神体の丸石は数百メートル上の山中神社に祀られているという。 阪南市山中渓の山中地区の入口「王子原」にあったといわれるが、阪和線開通時に平地化されたという
 23)馬目王子(うまめおうじ)
参考地
山中神社(阪南市山中渓)には、馬目王子の御神体「丸石」が祀られている。
23)馬目王子(うまめおうじ) 参考地 山中神社(阪南市山中渓)には、馬目王子の御神体「丸石」が祀られている。
 山中関所跡
山中関所跡
 境谷
和泉と紀州の境
境谷 和泉と紀州の境
 日本最後の仇討ち場
文久三年(1863)土佐藩士広井岩之助は、和泉側の境で、同藩士棚橋三郎を仇討により打ち取った。日本で許された最後の仇討ちであった
日本最後の仇討ち場 文久三年(1863)土佐藩士広井岩之助は、和泉側の境で、同藩士棚橋三郎を仇討により打ち取った。日本で許された最後の仇討ちであった
 24)中山王子(なかやまおうじ)推定地
滝畑の入口で紀州で最初の王子。明治時代に山口神社(和歌山市谷)に山口王子とともに合祀され、跡地も阪和線開設工事により今はない。「中山王子跡」の説明板がある
24)中山王子(なかやまおうじ)推定地 滝畑の入口で紀州で最初の王子。明治時代に山口神社(和歌山市谷)に山口王子とともに合祀され、跡地も阪和線開設工事により今はない。「中山王子跡」の説明板がある
 雄ノ山峠
熊野街道(紀州街道)と阪和自動車道が並行して進む。
雄ノ山峠 熊野街道(紀州街道)と阪和自動車道が並行して進む。
 和歌山JCT・雄ノ山高架橋
和歌山JCT・雄ノ山高架橋
 25)山口王子(やまぐちおうじ)推定地
『続風土記』に湯屋谷村の王子権現社の項に「村の北にて山の麓にあり。一に三橋王子ともいう」とある。現在、山口神社に合祀されている。
25)山口王子(やまぐちおうじ)推定地 『続風土記』に湯屋谷村の王子権現社の項に「村の北にて山の麓にあり。一に三橋王子ともいう」とある。現在、山口神社に合祀されている。
 湯屋谷
電柱表示板に「湯屋谷」とある。
湯屋谷 電柱表示板に「湯屋谷」とある。
 25)山口王子(やまぐちおうじ)参考地
葛城修験の山なみから湯屋谷を下り、山口王子跡から麓を西南に向けて進むと山口神社(和歌山市谷)がある。明治42年山口王子は山中王子とともに山口神社に合祀されている。
25)山口王子(やまぐちおうじ)参考地 葛城修験の山なみから湯屋谷を下り、山口王子跡から麓を西南に向けて進むと山口神社(和歌山市谷)がある。明治42年山口王子は山中王子とともに山口神社に合祀されている。
 26)川辺王子(かわべおうじ)推定地
別称、「四橋王子」の名も記録されている。和泉と紀州の境にあった境橋から数えて四番目の箸付近にあったことからという。「史跡川辺王子跡」の石碑がある。王子跡が幾分離れているため薬師堂付近の説もある。現在は中村王子とともに力侍神社に合祀されている
26)川辺王子(かわべおうじ)推定地 別称、「四橋王子」の名も記録されている。和泉と紀州の境にあった境橋から数えて四番目の箸付近にあったことからという。「史跡川辺王子跡」の石碑がある。王子跡が幾分離れているため薬師堂付近の説もある。現在は中村王子とともに力侍神社に合祀されている
 27)中村王子(なかむらおうじ)推定地
中村王子は紀ノ川を渡る準備を行う王子とされる。紀ノ川は水浴する祓川でもある。力侍神社の西300mがその跡とされる。能地の中に「中村王子社跡」の説明板がある。現在は力侍神社に合祀されている
27)中村王子(なかむらおうじ)推定地 中村王子は紀ノ川を渡る準備を行う王子とされる。紀ノ川は水浴する祓川でもある。力侍神社の西300mがその跡とされる。能地の中に「中村王子社跡」の説明板がある。現在は力侍神社に合祀されている
 力侍神社(りきしじんじゃ)
本殿力侍神社と摂社八王子神社と並ぶ。
力侍神社はもと神波(西北700m)にあり、その後上野(西北1000m)の八王子境内に移り、江戸時代の初めに力侍神社と八王子神社の両社が現在地に移ったという。
力侍神社の参道入口には「川辺王子跡」の石碑しかないのは、両王子の変遷の煩雑さを物語っている。
力侍神社(りきしじんじゃ) 本殿力侍神社と摂社八王子神社と並ぶ。 力侍神社はもと神波(西北700m)にあり、その後上野(西北1000m)の八王子境内に移り、江戸時代の初めに力侍神社と八王子神社の両社が現在地に移ったという。 力侍神社の参道入口には「川辺王子跡」の石碑しかないのは、両王子の変遷の煩雑さを物語っている。
 28)吐前王子(はくまえおうじ)推定地
28)吐前王子(はくまえおうじ)推定地
 29)川端王子(かわばたおうじ)推定地
29)川端王子(かわばたおうじ)推定地

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