京羅木山山頂への登山道は各方面から有りますが、今回の登山は北側の出雲金刀比羅宮から、コンクリート舗装された、幅広く整備された登山道から山行しました。
ロマン街道からの入り口。
上意東簡易郵便局の案内です。
下の駐車場となる 体験施設「おちらと村」
体験施設では蕎麦を挽く水車が有りました。
体験施設です。
案内図が有りました。
出雲東部大型農道と県道上意東揖屋線の交差点から東へ200メートル先を右折すると畑地区・京羅木山・金刀比羅宮の標識があります。曲がりくねった急坂を10分程度走り、”京羅木山登山道と”駐車場”との分岐を駐車場方面へ。
初めて訪れた干し柿の里の案内板。
収穫終えた跡か、マバラナ西条柿が残った様子。
はじめて目にした、干し柿作りの家の構造。
畑一面に栽培された西条柿に、息をのむほど圧倒された。
駐車場横に、金刀比羅宮が有りました、毛利元就が戦勝を祈願して建立したもののようです。建物自体は明治12年に立て替えられたものですが古い様式をそのまま継承しており、四国の金刀比羅宮の本宮でした。
京羅木山山頂への登山は、この出雲金刀比羅宮から登りました。
京羅木山城の築城年代は定かではない。天文12年(1543年)周防の大内義隆が尼子氏の本城月山富田城を攻めたときに、ここ京羅木山に布陣している。しかし、この戦いは出雲国人衆が尼子方に寝返った為、大内氏は敗走し、尼子の勝利で終結した。
山頂まで一町、等間隔で柔和な表情のお地蔵様が案内してくれます。
幅広く整備された登山道
この地域は特産の干し柿作り以外に、孟宗竹林から筍の生産地でした。
統一された赤白の看板が解りやすい。
登山道から外れ下へ降りる。
下へ降りるようです。
何気なく登ると、植物の名前ほとんど解らない、山頂までこのような表示がありがたい‼️。
荒田コースの分岐点。
紅葉はほんの少し残ってました。
かわいい花が❓
長い直線の道に 馬乗り場のネーミングが有りました。
左手荒田へ、右手本道山頂へ向かいます。
この分岐は広瀬に、歩き3キロです。
神庭?の案内板発見。‼️
毛利の付城 勝山城へ行く道が有りました。
コメントを書きます。
いよいよ、山頂に迫りました。
後100mの標識のあたりから道は急坂に変わります。その名も「胸突坂」。 実にきつかった‼️。
急に頭上が開けると、そこは山頂でした。
野イチゴ美味そうです‼️
❓何の実 かわいい🍒みたい。
永禄7年(1564)から同8年にかけて毛利元就が星上、京羅木の両山に進出し、京羅木山から勝山城にかけて城砦化し、勝山城に本陣を置いた。2年間に及ぶ富田城包囲で兵糧攻めにした。
京羅木山城は遺構が乏しく、三角点のある山頂部は観音像などがたてられており、この辺りは緩斜面となっていました。南西側に200m程離れた小ピークには段遺構が残されていました。 今山頂からの眺望は大変優れています。
山頂から見下ろすのは、月山富田城です、手に取るように見えています。
永禄年間(1558年〜1570年)には毛利元就が出雲へ侵攻、京羅木山城砦群とも呼ばれるように月山富田城の向かいにある京羅木山1帯に陣城を構え、永禄8年から永禄9年(1565年〜1566年)の約2年にわたって富田城を包囲しました。しかし力では落ちなかった‼️
山頂は眺望が良い、その為風をまともに受けて、体感が寒くてが凍えました。 暖かいランチで ホット暖まりました。‼️
下りは登りと違うルートを降りました。