こちらは右側の池塘。
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草千里ヶ浜(駒立山)-2022-10-07(15)の写真

2022.10.06(木) 13:35

こちらは右側の池塘。 こっちの方が水量が豊富です。

この写真を含む活動日記

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2.3 km

75 m

草千里ヶ浜(駒立山)-2022-10-07(15)

NATIONAL PARK WALK 03 阿蘇くじゅう国立公園|阿蘇山上 (熊本)

2022.10.06(木) 日帰り

『艸千里濱』三好達治 --前半部略-- そのかみの思はれ人と ゆく春のこの曇り日や われひとり齡かたむき はるばると旅をまた來つ 杖により四方をし眺む 肥の國の大阿蘇の山 駒あそぶ高原の牧 名もかなし艸千里濱 この詩に初めて出会ったのは、今から40年近く前の高校生の時。 学校で購入した伊藤信吉著『詩のふるさと』の本の中で紹介されていた一編である。 その詩もさることながら、巻頭の口絵の草千里ヶ浜の写真に魅せられてしまった。 山を背景に一面に広がる草原と湖、その緑の美しい様がとても印象的な写真であった。 世の中にはこんな美しい場所があるものなのかと、すっかり心を奪われてしまった。 高校を卒業して都会に出て、テレビも無く身動き出来ないほどの狭いアパート暮らしの苦学生?であった私は、この本だけが私をまだ見ぬ遠い世界へと誘ってくれた。 黒川温泉方面から車でやまなみハイウェイを通って阿蘇に向かうと、外輪山の一角から広大なカルデラが姿を現す。 その中に町が形成されるほど広大なカルデラを、頭の中で理解するには暫し時間が掛かった。 見渡す限りの牧草地、緩やかなサインカーブ状の丘陵地の連なりを抜け、車は阿蘇五岳の方へ上って行く。 すると、突然視界が開け、草千里ヶ浜とおぼしき場所が目に飛び込んで来る。 車を駐車場に停め、YAMAPで地図を開いて、草千里ヶ浜の中央に位置する駒立山へ歩いて行く。 烏帽子岳を正面に見ながら、緩やかな斜面を歩いて行くと、丘の様な駒立山山頂にたどり着く。 見渡す限りの草原、そこに浮かぶ池塘、遠く中岳から湧き立つ噴煙。 そこには長年夢見ていた光景が広がっていました。 ここで高校時代に買った愛読書を広げ、冒頭の詩を朗読することにしました。 人目もはばからず、積年の思いと共に読む詩の何と感慨深いこと。 40年間の夢が叶った瞬間です! 「詩のふるさと」の著者によると、三好達治は1920年頃と1939年頃の2回この地を訪れ、「大阿蘇」と「艸千里濱」の詩をそれぞれ詠んだそうです。 今から百年前のことですが、自分の40年間の思いと錯綜し、実に感慨深い。 三好達治が見た光景と自分が見た光景、思いは異なるであろうが、確かにここに来てこの広大な草原を自分の目で見ているのだ。 『大阿蘇』三好達治 --前半部略-- 馬は草をたべてゐる 艸千里濱のとある丘の 雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる たべてゐる 彼らはそこにみんな靜かにたつてゐる ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは靜かに集つてゐる もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう 雨が降つてゐる 雨が降つてゐる 雨は蕭々と降つてゐる この詩にある様に、百年という時間は自然にとって、ほんの瞬間に過ぎないのであろう。 どんなに科学文明が発達しても、百年前も百年先も人間の根元的な営みというものは変わらないのではないでしょうか。 自分にとっての40年間というものは長かった様な気もするが、それほどでも無かった様な気も一方ではします。 人間がどんなにあくせく日常を過ごしていても、この大自然は自然に任せたまま、ゆっくりとその時間を過ごしている。 登山を始めてから分かったことだが、人間はこの厳しくとも美しく優しい雄大な自然に囲まれて生きている。 駐車場に戻り、その先にある展望デッキに立つ。 すると、巻頭の口絵と全く同じ光景が広がっていることに気付く。 ああ、この光景だったのだね。 この光景は40年間変わらず待っていてくれました。 今日ここに来れたことに感謝です。 これからの自分の人生、新たな目標に向かって歩いていきます。