🤔誰も知らない静岡の先っちょ手前あたりの縦走🙄

2022年08月06日(土) 日帰り

活動データ

タイム

09:31

距離

36.2km

のぼり

864m

くだり

868m

チェックポイント

1 日目
合計時間
9 時間 31
休憩時間
23
距離
36.2 km
のぼり / くだり
864 / 868 m
9 32

活動詳細

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静岡の菊川市、御前崎市、牧之原市、吉田町の主要城跡5つを一気に歩いてまわるという厳密には人類史上誰もやっていなさそうなニッチな計画を立てた。 5つの里山を36キロ縦走するみたいな感じだろうけど山の中にずっといるわけではないので気楽ではある。 🚌行程🚌 ・【0706】菊川駅前バス停‐0732新野バス停【540円】 ・YamapS ・20分 ・【0750‐0825】舟ヶ谷城跡 ・20分 ・【0840‐0925】八幡平城跡 ・95分 ・【1100−1150】横地城跡 ・120分 ・【1350‐1420】勝間田城跡 ・110分 ・【1625−1655】小山城跡 ・YamapG ・【1708】片岡北吉田特別支援学校バス停‐1723東名焼津西バス停【410円】 ・西焼津駅周辺

 まずはバス停から20分歩いて舟ヶ谷砦跡へ。今川系新野氏の居城と考えられている。
まずはバス停から20分歩いて舟ヶ谷砦跡へ。今川系新野氏の居城と考えられている。
 本曲輪が採土されてしまっていて惜しい。比高70mほど。
出典元「余湖くんのホームページ」
本曲輪が採土されてしまっていて惜しい。比高70mほど。 出典元「余湖くんのホームページ」
 ここの特徴は、まともな曲輪がほぼなく、堀切が次から次へと7つも登場する点で、城好きにはたまらないはず。最大の4号堀切が、高さ7mほどで、非常に鋭角な壁面になっている。
ここの特徴は、まともな曲輪がほぼなく、堀切が次から次へと7つも登場する点で、城好きにはたまらないはず。最大の4号堀切が、高さ7mほどで、非常に鋭角な壁面になっている。
 ただ、とにかく蜘蛛の巣が多い。それだけ人が入らない山城跡なのだろう。常に2本のトレッキングポールを眼の前で前後左右に動かしながら歩いた。
ただ、とにかく蜘蛛の巣が多い。それだけ人が入らない山城跡なのだろう。常に2本のトレッキングポールを眼の前で前後左右に動かしながら歩いた。
 次に20分歩いて八幡平城跡へ。今川系新野氏の居城と考えられており、舟ヶ谷城以前の居城であった。
次に20分歩いて八幡平城跡へ。今川系新野氏の居城と考えられており、舟ヶ谷城以前の居城であった。
 こちらには大きな曲輪はちゃんとある。
比高100mほど。
出典元「余湖くんのホームページ」
こちらには大きな曲輪はちゃんとある。 比高100mほど。 出典元「余湖くんのホームページ」
 ここはこの巨大で短い二重堀切の存在感が抜けていた。
ここはこの巨大で短い二重堀切の存在感が抜けていた。
 こちらも同様に無数の蜘蛛の巣地獄。このレベルでもニッチすぎるのか。本気になれば蜘蛛の巣でワタアメぽいものを作れる自信あり。
こちらも同様に無数の蜘蛛の巣地獄。このレベルでもニッチすぎるのか。本気になれば蜘蛛の巣でワタアメぽいものを作れる自信あり。
 95分歩いて3つ目の横地城跡へ。横地氏の居城であったが1476年に 今川義忠に攻められ落城。
95分歩いて3つ目の横地城跡へ。横地氏の居城であったが1476年に 今川義忠に攻められ落城。
 広範囲3拠点に分かれているのが特徴。
比高100mほど。
出典元「余湖くんのホームページ」
広範囲3拠点に分かれているのが特徴。 比高100mほど。 出典元「余湖くんのホームページ」
 ここは登城口から奥まったところに本城があるが、そこまでの道も堀切の一部かと思わせるような規模感だった。
ここは登城口から奥まったところに本城があるが、そこまでの道も堀切の一部かと思わせるような規模感だった。
 ここで一番印象に残るのは、「金玉落し」でしょう。間違いない!
ここで一番印象に残るのは、「金玉落し」でしょう。間違いない!
 あとは城の主要部である金寿城跡の主郭と
あとは城の主要部である金寿城跡の主郭と
 そこからの眺めが印象的だった。
そこからの眺めが印象的だった。
 続いて主に牧之原の茶畑地帯を歩いて次の城跡へ。
続いて主に牧之原の茶畑地帯を歩いて次の城跡へ。
 太陽光発電との大規模な二重プラント構造は絶景。
太陽光発電との大規模な二重プラント構造は絶景。
 気になったこの意味ない扇風機の謎をすぐにググったら、個人的に20へぇ(満点)だった。
気になったこの意味ない扇風機の謎をすぐにググったら、個人的に20へぇ(満点)だった。
 で歩きスマホしながら120分かかって勝間田城跡へ。勝間田氏の居城であったが、1476年に今川義忠に攻められ落城。
で歩きスマホしながら120分かかって勝間田城跡へ。勝間田氏の居城であったが、1476年に今川義忠に攻められ落城。
 広い三曲輪と二曲輪で東方の守りが硬い縄張りか。
比高70mほど。
出典元「余湖くんのホームページ」
広い三曲輪と二曲輪で東方の守りが硬い縄張りか。 比高70mほど。 出典元「余湖くんのホームページ」
 本曲輪を裏から攻めた。
本曲輪を裏から攻めた。
 本曲輪。整備状態は良い。
本曲輪。整備状態は良い。
 本曲輪から東曲輪の眺め。守られている感がある。
本曲輪から東曲輪の眺め。守られている感がある。
 逆に東曲輪から本曲輪を見る。守っている感がある。
逆に東曲輪から本曲輪を見る。守っている感がある。
 最後に110分歩きスマホして小山城跡へ。1568年、武田信玄が遠江をおさえる第一歩として築いた砦が起源で、徳川家康との激しい戦いが何度もこの地で繰り返された。
最後に110分歩きスマホして小山城跡へ。1568年、武田信玄が遠江をおさえる第一歩として築いた砦が起源で、徳川家康との激しい戦いが何度もこの地で繰り返された。
 台地にあり防御は手薄かと思いがちだが、三重の三日月堀という攻める側からしたら地獄のような構造を持っている。何も知らずに攻めたら更に恐ろしい。
出典元「余湖くんのホームページ」
台地にあり防御は手薄かと思いがちだが、三重の三日月堀という攻める側からしたら地獄のような構造を持っている。何も知らずに攻めたら更に恐ろしい。 出典元「余湖くんのホームページ」
 まず模擬天守が目を引くが、コンクリート造りだとか博物館になっているとかそういう意味ではなく、戦国期こんなものはなく、あまりにも史実とかけ離れているので興醒めもの。
まず模擬天守が目を引くが、コンクリート造りだとか博物館になっているとかそういう意味ではなく、戦国期こんなものはなく、あまりにも史実とかけ離れているので興醒めもの。
 その影にひっそり隠れてあるのが三重三日月堀。一番手前から全体を見渡す。
その影にひっそり隠れてあるのが三重三日月堀。一番手前から全体を見渡す。
 台地上で整備もされていないのにまだ水が溜まっているのが凄い。
台地上で整備もされていないのにまだ水が溜まっているのが凄い。
 2番めからでも主郭方向を見ると全く辿り着ける気がしない恐ろしい守りであった。最後に良いものを見させてもらって満足。
2番めからでも主郭方向を見ると全く辿り着ける気がしない恐ろしい守りであった。最後に良いものを見させてもらって満足。

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